記録映画『東京オリンピック』にかけた超望遠レンズ職人 神奈川 横浜市

こころのレガシー 1964→2020 vol.11
2017年10月1日
レガシーvol.11:記録映画『東京オリンピック』

スポーツ撮影に欠かせない超望遠レンズ。
このようなレンズが登場したのが、53年前の東京オリンピックでした。選手の表情をアップで捉えるため、レンズ職人が手作業で作り上げました。
「躍動する選手の姿を記録したい…。」その精神は今も受け継がれています。

超望遠レンズ職人
萩谷登志雄さん(当時30歳) 間瀬修さん(当時30歳) 平岡憲義さん(当時21歳)

超望遠レンズ

きっかけは記録映画『東京オリンピック』

1965年、オリンピックの翌年に公開された記録映画『東京オリンピック』。市川崑監督と3人の脚本家が練った映画では、独特な構成と映像表現で選手の緊張感や観客の熱狂ぶりなど単なるオリンピックの競技映像に終わらない人間らしさが随所に描かれています。
例えば男子の100m走は、通常であればレース全体を描く映像とそれぞれの選手のアップ映像などを交えて表現するのですが、映画の中では一人の選手のスタートからゴール後の表情を映し出し、レース展開については見せずに終わっています。それでも魅せられるのは、躍動する選手の表情や筋肉の生々しさが分かるサイズで表現されているから。今でこそアップの映像は当たり前かもしれませんが、焦点距離100ミリのレンズが主だった時代だと考えると、映画の見方もまた違って見えてくるかもしれません。

萩原さん

間瀬さん

平岡さん

超望遠レンズ職人のこだわり

今回は、そのレンズを製作した技術者、いわば東京オリンピックを裏の裏から支えた人々にスポットをあてました。レンズ設計を担当した萩谷登志雄さん、レンズ研磨を担当した間瀬修さん、レンズ整備を担当した平岡憲義さん。選手の表情や筋肉の動きを撮るために必要だと監督からの要請で作られた1,000ミリや2,000ミリの焦点距離を持つ映画用の望遠レンズ。そもそも映画用のレンズには横長スクリーンに変換するための特殊レンズが組み込まれており、普通に設計すると大砲並みの大きさのレンズになってしまうそうです。
そこを当時コンピューターの無かった時代に、光の入る角度を一つ一つ手回し計算機で数字をはじき出し、根元に特殊レンズを組み込むというそれまでに無い形で作り上げた事で小型化に成功させました。まだレンズ磨きも経験と勘を頼りに職人が手作業で慎重に磨き上げ、そして部品はまた別の職人が手作業で組み立てていく。まさに職人たちの技術と誇りのバトンリレーで誕生したレンズでした。

レンズをのぞく職人

3人の職人

実は職人の皆さん、レンズの注文が来た時には何のために使うレンズか分からなかったそうです。世間の東京オリンピック熱が高まった頃でも、製作に追われてそれどころでは無く、工場にこもりっきり。唯一、完成したレンズの機材整備を担当した平岡さんが工場と現場を行き来するわけですが、その時に出会ったカメラマンのプロ意識に圧倒されたそうです。
「それまでレンズを機械的に組み立てるのに精一杯だったが、使う人の姿を思い浮かべてどうやったら使いやすくなるか考えるようになった。東京オリンピックは私の仕事に向かう姿勢を変えてくれた。」と話してくれました。

超望遠レンズ2

ピントを合わせるために回すリングには、ここちよい粘りがあるようにオイルが使われています。カメラマンが一番しっくりくる粘りはどれか、様々なオイルの調合にもこだわりました。今も大切に保管されていたレンズは、そのシルエットの美しさだけでなく、触った時の感触も今の最新レンズの遜色なく、まさに『色あせない』レンズでした。そんな製品に心を込めて作り上げ、東京オリンピックを陰で支えた技術者の魂は、2020東京五輪にも引き継がれています。

(撮影・文)報道局映像取材部カメラマン 小幡 倫之

この記事は、「サンデースポーツ2020」で放送されたVTRに関連して制作しました。
[総合]日曜日午後9時50分~(放送時刻変更の場合があります)

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