伝説の体育館 大阪 貝塚市

こころのレガシー 1964→2020 vol.13
バレーボール 2017年12月6日
レガシーvol.13:伝説の体育館

1964年10月23日。東京・駒沢球技場で行われた女子バレーボール決勝。日本は宿敵ソ連を破り優勝。「東洋の魔女」の快挙に日本中が沸き立ち、テレビの視聴率はなんと66.8%を記録。スポーツ中継としてはいまだに破られていない大記録です。彼女たちが練習を重ねてきたのが大阪・貝塚市にあった実業団・ニチボー貝塚の体育館。名将・大松博文監督の厳しい特訓に耐え伝説の「回転レシーブ」を身につけた彼女たち…。

「鬼の猛練習」井戸川(旧姓・谷田)絹子さん(当時24歳)

「東洋の魔女」の一人、井戸川(旧姓・谷田)さんによると、「鬼の大松」の異名で知られた監督の練習は熾烈を極めたということです。回転レシーブの練習の後は、全身がアザだらけに。夕方から始まる練習、納得がいかなければ翌日の明け方まで続けられたことも。
厳しい練習を強いる監督ですが、実は、選手のケアには人一倍気をつかっていたそうです。五輪期間中も選手たちをにぎやかな選手村ではなく都内の常宿に宿泊させ、平常心とチームワークを高めるようにしました。選手たちはその大松監督の熱い思いに応えるように、練習に励んだのです。

井戸川絹子さん
井戸川(旧姓・谷田)絹子さん(78)

「もうひとつの金メダル」映画監督・渋谷昶子(のぶこ)さん(当時32歳)

実は、「東洋の魔女」の“世界一”は、金メダルだけではありません。動画に出てくる当時の練習シーン。これは映画監督・渋谷昶子さんの記録映画「挑戦」の一コマです。撮影が行われたのはオリンピックの前の年。すでに世界最強と言われていた「東洋の魔女」を映像に残そうと企画されました。
渋谷監督はチームの本当の姿を知るために選手と寝食を共にして撮影に臨んだということです。
鬼気迫る練習の様子を通じて人間の可能性を描いた作品は高く評価され、1964年のカンヌ映画祭・短編部門でグランプリを受賞しました。「東洋の魔女」が東京五輪で金メダルを獲得したのは、その5か月後のことでした。

記録映画「挑戦」より

(撮影・文)大阪映像取材 上田敬一郎

動画は、「サンデースポーツ2020」で放送されたVTRを再編集したものです。
[総合]日曜日午後9時50分~(放送時刻変更の場合があります)

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