人々を励ます オリンピック・マーチ 福島 福島市

こころのレガシー 1964→2020 vol.15
2018年1月30日
レガシーvol.15:オリンピックマーチ

【戦後復興を世界にアピールした“オリンピック・マーチ”】
1964年、当時最多の94の国と地域が参加した東京オリンピック。開会式で、各国選手団の入場行進の際に演奏された曲が「オリンピック・マーチ」でした。
当時の日本は、高度経済成長期のまっただ中。オリンピック・マーチの明るいメロディと軽快なリズムは、戦後復興を遂げた日本の姿を世界にアピールし、国民に“明るい未来”を感じさせるものでした。

曲にこめた思い 作曲家・古関裕而さん (当時55歳)

古関裕而さん
オリンピック・マーチを作曲した古関裕而

オリンピック・マーチを作曲した古関裕而。夏の全国高校野球の大会歌「栄冠は君に輝く」や、阪神タイガースの「六甲おろし」など、数々の名曲で知られる、昭和を代表する作曲家です。
古関は戦前・戦中、戦地に向かう若者の気持ちを高揚させる曲を数多く作曲しました。
「若鷲の歌」「露営の歌」…。古関が作った軍歌に送られ、多くの命が失われました。

古関の長男、古関正裕さんは「父が作った軍歌を聴いて、特攻隊に志願して亡くなった若者の話を聞くと、なんともいえない思いをしてたようです」と話します。
それだけに正裕さんは、“平和の祭典”であるオリンピックの曲づくりを依頼されたときの、父のうれしそうな様子が忘れられないそうです。
「普段、仕事の話はほとんど家ではしなかったんですけど、オリンピック・マーチの依頼を受けたときは、すごく喜んで、家族に嬉しそうに話していました。戦争で傷ついた人たちを励まし、勇気づける曲を作ることが、自分の責務だと思っていたんだと思います」。
オリンピック・マーチには、古関の、復興と平和への強い思いがこめられています。

古関のふるさと、福島県福島市。現在、商工会議所や市が中心となって、2020年の東京オリンピックで、福島の若者たちの手でオリンピック・マーチを再び演奏することを目指しています。そこに込められているのは、“震災から復興する被災地の姿を世界に発信したい”という思いです。
古関の母校、福島商業高校の吹奏楽部。部員のほとんどは、東日本大震災で被災しました。毎年、市が主催するコンサート等で、オリンピック・マーチを演奏し続けてきた生徒たちは、「どんな気分のときでも、吹いていると楽しい気持ちになれる曲だと思います」「古関先生が、どんな気持ちでこの曲を作ったかということは知っています。私たち一人ひとりが復興に向けて努力していることを、日本だけではなくて、世界に伝えられたらいいと思います」と話してくれました。古関がオリンピック・マーチにこめた思いは、50年の時をこえ、被災地の若者たちに受け継がれています。

「オリンピック・マーチは“人生の応援歌”」 料理人・大羽耕一さん (当時17歳)

銀座で40年近く料理店を営む大羽耕一さん。長野県の農村で生まれ育った大羽さんは、高校2年生のとき、東京オリンピックの開会式をテレビで見ました。日本選手団の堂々とした行進と、鳴り響くオリンピック・マーチを聴いて、涙が出るほど感動し、気持ちが高ぶったといいます。
“一流の料理人になる”ことが夢だった大羽さん。高校卒業後、1人で上京し、修行の道に入りました。背中を押してくれたのがオリンピック・マーチだったといいます。

大羽耕一さん
料理人 大羽耕一さん

「これから世の中に出るという時期に聴いて、“よし自分も!”という気持ちにさせてくれた曲です。都会に出るのも怖くなくなって、どんどん前に進めるような気がしました」。
それから半世紀。銀座に店を構えるまでになった大羽さん。今でも、悩んだり、疲れたりしたときはオリンピック・マーチを聴き、自分を奮い立たせているといいます。
「口ずさむだけで、胸を張ってずっと歩いて行けるような気分になれる曲です。私にとっては昔も今も“人生の応援歌”です」。

(撮影・文)報道局映像取材部カメラマン 福納将之

動画は、「サンデースポーツ2020」で放送されたVTRを再編集したものです。
[総合]日曜日午後9時50分~(放送時刻変更の場合があります)

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