幸せなら手をたたこう

こころのレガシー 1964→2020 vol.25
2019年2月14日
レガシーvol.25:幸せなら手をたたこう

1964年に東京で開催されることになったパラリンピック。障害のあるアスリートが世界中から集まるこの大会ですが、その時の日本では障害者スポーツへの理解がほとんどなく関心がとても低い状況でした。

1964東京パラリンピックが開催の危機?

“パラリンピック”という名称が用いられたのはこの大会が初めてで国民の間に浸透していなかったことも原因のひとつと言われています。さらに世の中は直前に開催されたオリンピック一色。パラリンピックはますますかすんでしまいました。

車いす

関心が低ければ予算も少ない危機的状況

井手精一郎さん
井手精一郎さん(取材当時94歳)

障害者スポーツへの関心の低さは予算にも表れています。国と都が充てた予算は直前のオリンピックが268億円だった一方、パラリンピックはたったの3000万円でした。選手の数も大会の規模も大きく違うとはいえ、この額では運営もままならない状況。元厚生省の職員で1964年の東京パラリンピックの運営にあたった井手精一郎さんは当時の様子を「貧弱でお粗末」と話しています。「スポーツの大会なのだから開会式も閉会式もやらなくてはいけないのにとても3000万円ではまかないきれませんでした。特に人件費に充てられる予算はほとんどなく選手の介助や会場の設営などは知り合いや地域の人々に頭を下げて手伝ってもらうことにしましたが、パラリンピック自体何をする大会なのかみんな知らず説明して回りました。」と資金も理解も不足していて深刻な状況だったことを話してくれました。

国民的歌手の助け

歌手・坂本九さん

この時期、人気絶頂だった歌手が坂本九さんです。「上を向いて歩こう」が世界的なヒットとなりテレビやイベントに引っ張りだこでした。

そんな忙しいなかでも坂本九さんが欠かさずに行っていたのは「障害者への支援活動」です。幼いころから母親の「分け隔てなく」という教えを守っていた坂本さんは、障害者に対する差別や偏見をなくしたいと考えていました。その頃の口癖は「みんな一緒に」。小児マヒの子どもたちがいる施設で無償のコンサートを開くなど当時としては珍しく障害者福祉に力を入れていました。そんな坂本さんは日本で開かれるパラリンピックが成功することで、社会に障害者についての理解を深めてもらうきっかけにしようと考えます。みずからチャリティーコンサートなどのイベントを次々と開き寄付を募る活動を始めたのです。

車いすに乗る人に向けて歌う坂本九さん

この歌しかない

パラリンピック開幕の半年前にリリースした曲「幸せなら手をたたこう」。坂本さんはチャリティーコンサートでは必ず冒頭にこの歌を歌いました。それは社会に訴えるにはこの歌しかないと考えたからです。

木村利人さん
「幸せなら手をたたこう」の作詞をした木村利人さん

この歌を作詞した木村利人さんは「障害者も健常者も関係なく一緒に楽しみながら未来を目指して歌えるのはこの歌しかないと九ちゃんは言っていた」と当時直接話したことを覚えています。「“態度にしめそう”という歌詞は厳しい言葉だが日本人の消極的な性格を変えて一緒に行動しようじゃないかと訴えている。日本人でもやればできるところを見せようじゃないかという意味。九ちゃんはそれに賛同して自分なりに障害者福祉を訴えた」と歌詞に込められたメッセージを教えてくれました。

坂本九さん

坂本九さんが歌うたびに話題となりたくさんの芸能人などがチャリティーイベントを活発に行うようになりました。運営スタッフだった井手さんの元にも反響が伝わってくるようになります。「九ちゃんが言っていたパラリンピックに協力したい」いつの間にか寄付金は4800万円も集まっていました。当時、ラーメン1杯が60円の時代にこの多額の寄付は考えられないことでした。

パラリンピックの成功とその後

ついに迎えたパラリンピック開会式。会場には入りきらないほどの4000人を越える観客が押し寄せ世界各国から集まった障害者アスリートに温かい歓声を贈りました。

車いすをこぐ選手
握手をするパラリンピック選手たち

グランドでは選手たちが躍動し観客は熱狂しました。のちにこの大会が“日本の障害者福祉のはじまり”と言われるようになったのも坂本九さんを初め支えた人たちの強い思いが大会を成功させたからではないでしょうか。

拍手をする観客

パラリンピックが終わったあとも坂本九さんは障害者との“共生”を訴え続けます。全国の障害者施設を周り直接社会に対する要望や意見を聞く一方で、障害者にも自立を促し支援する活動を精力的に進めました。しかし―
1985年8月、航空機事故により帰らぬ人となってします。全国の障害者やその関係者は胸を痛めました。

それから20年後、北海道栗山町に坂本九さんの思い出の品を集めた記念館「坂本九思い出記念館」がオープンします。

生前、深く親交のあった障害者施設とその地域の人々が坂本九さんの遺志を受け継ごうとお金を出しあって建てたのです。いま記念館では障害者と健常者が「支援と自立」を目指し共に働いています。坂本九さんの思いをつないでいるのです。

坂本九思い出記念館
坂本九思い出記念館

坂本九さんゆかりの展示品

「ともに暮らせる社会を」東京パラリンピックの成功から50年あまり。
坂本九さんの思いは2020東京へと続いています。

笑顔の坂本九さん

(撮影・文)報道局映像取材部 小玉義弘カメラマン

動画は、「サンデースポーツ2020」で放送されたVTRを再編集したものです。
[総合]日曜日午後9時50分~(放送時刻変更の場合があります)

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