“わたしの原点、国立競技場”(1)東京 渋谷区

こころのレガシー 1964→2020 vol.4-1
陸上 2017年10月1日
レガシーvol.4:国立競技場

陸上競技の名場面が繰り広げられた国立競技場。華々しいドラマの裏側には、選手たちが日頃の練習の成果を余すことなく発揮できるよう、支えた人たちがいた。

スターター補助役員 野﨑忠信さん(当時27歳)

男子100メートル決勝を一発でスタートさせたい

「東京大会が原点なんですよ」。
50年以上に渡り、スターターとして陸上競技を支えてきた元高校教員の野﨑忠信さんは、そう振り返った。野﨑さんも陸上競技の選手だった。大学卒業と同時に審判員の資格を取りスターターとなってからも30歳まで選手を続け、国体にも4度出場した。野﨑さんが東京大会に臨んだのは、大学卒業から5年後。高校教員と陸上選手とスターターの3役を担い、超多忙な毎日を送っていた27歳の秋だった。

「私の役割は、スターター主任の佐々木吉蔵さんを補助することでした。佐々木さんは、一番いいピストル音を探して火薬の配合を何十種類も試し撃ちしたり、走る距離に合わせてスタート台の高さを変えたり、細部までこだわる人でした。東京大会の練習会場に毎日足を運び、選手にスタートのタイミングをレクチャーしたりもしました。ルールに厳しい方で、選手をいかに落ち着いて走らせるかを常に考えていました。そんな佐々木さんの考え方が、私の頭の中に自然に染み込んでいました」

野﨑忠信さん
野﨑忠信さん(79)


野﨑さんたちスターター陣には、東京大会でどうしても実現したいことがあった。それが、男子100m決勝を一発でスタートさせることだった。

「男子100メートル決勝を一発でスタートさせたいという執念に燃えていました。1956年のメルボルン大会でも1960年のローマ大会でも、男子100メートル決勝はフライングがあり、一発でスタートできませんでしたから」

東京五輪 男子100メートル決勝
東京五輪 男子100メートル決勝


たどり着いた1.8秒

コンマ数秒を競う陸上の100M競走。64年の東京大会のスターター達は、注目の決勝レースをフライング無く一発で出したいと、それまでにない努力を行っていました。当時スターター役員の一員だった野﨑忠信さん(79)は、練習会場だった東京大学駒場グランドを何度も訪れ、実際に選手を相手にピストルをうち、「よーい」から「ドン」の間隔をストップウオッチで測って記録しました。この間隔は長い間スターターの感覚任せで、大会によってバラバラのタイミングがとられていました。そのためオリンピックでフライングが繰り返されたのではないかと野﨑さん達は考えたのです。
東京大会に向けて海外の選手たちが来日を始めてから本番までの3週間に、野﨑さん達が記録したスタートの回数は約600回。その結果、フライング無く選手が出やすいタイミングの平均値が約1.8秒ということがわかりました。この数値は、世界で初めて導き出され、その後のスターター技術の基準となりました。
本番の東京大会男子100M決勝は選手全員が「用意」でピタッと止まり、一発で綺麗にスタート。ボブ・ヘイズの世界タイ記録(当時)を生む舞台となりました。その陰には、世界最高の舞台を作りたいという男たちのたゆまぬ努力があったのです。

(撮影・文)報道局映像取材部カメラマン 佐野哲也

動画は、「サンデースポーツ2020」で放送されたVTRを再編集したものです。
[総合]日曜日午後9時50分~(放送時刻変更の場合があります)

「予測スタート」を防げ

東京五輪後、スターター主任の佐々木さんは「おれの仕事は終わった」とスターターを引退。一方の野﨑さんは、厳正で公平なスタートへのこだわりを一層強めていった。野﨑さんが目標にしたのは、スターターがピストルを鳴らすタイミングを想定して選手がスタートを切る「予測スタート」を防ぐこと。1980年代からは、大手時計メーカーが開発した不正スタート発見装置付きのスターティングブロックが使われていたが、それでも、スターティングブロックを蹴って踏み出す時の加重のかけ方によって精度にばらつきがあった。
1991年、明星大学の体育担当教授になっていた野﨑さんは、電気工学科助手の横倉三郎さんに相談をもちかけた。横倉さんは、加重の量ではなく、力の変化の量による新しいシステムを開発した。2年後、そのシステムを組み込んだスターティングブロックが大手時計メーカーによって製造され、広島県で開かれた1994年のアジア競技大会で正式に使われた。
野﨑さんの知識と経験を元に新しいシステムを開発した横倉さんは今、明星大学大学院の教授として生体情報工学の研究を続けている。

横倉三郎さん
明星大学大学院教授 横倉三郎さん(64)

「意識的に筋肉を動かしたときの周波数の検出感度を高くして、無意識に力を入れたときの周波数の検出感度を低くしています。大きな体で力の強い外国人選手であっても、力の弱い女性選手であっても、正確にスタートのタイミングを検出することができるのです」

最新のスターティングブロックを大手時計メーカーで見せてもらった。技術部の社員が、スターティングブロックに足を置いた。「パン」という乾いたピストルの電子音とともにブロックを踏み込んでスタート。次の瞬間、別の社員が「0.6秒、反応が遅いですね」と。スターティングブロックは、スターターピストルと連動していてピストルの合図から0.1秒未満でスタートするとフライングと判定される。スタートがうまい選手は、合図からの反応が0.1秒に限りなく近いそうだ。企画部長の山口秀樹さんによると、現在、このシステムは世界で開催されている国際大会でも使用されているという。

システム開発の様子
協力:セイコータイムシステム

「開発当初は、フライング判定をすると特に外国の選手からクレームがありましたが、周波数の波形を見せると、納得して引き下がっていきました。今では、正確な計測ができるという認識が広まり、選手たちからクレームはなくなってきました」

1964年の東京大会でスターター補助役員を務めた野﨑さんは、今も年に1〜2回、スターターを務めている。「日々練習に励んでいる選手が、その努力の成果をいかんなく発揮してほしい」、その思いを胸に。

「陸上競技を続けてきたからこそ、選手たちの気持ちがわかります。スターターはただピストルを撃てばいいのではありません。いかにして選手を気持ちよく公平にスタートさせるか、いつも考え続けています」

東京大会のスターター陣
東京大会のスターター陣 野﨑さん(右端)

(取材・文)フリーライター 柏木智帆

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