書道家は五輪メダリスト 秋田 八郎潟市

こころのレガシー 1964→2020 vol.8
ウエイトリフティング 2017年10月1日
レガシーvol.8:書道家は五輪メダリスト

1964年東京オリンピック。渾身のジャークで日本勢初のメダルを獲得し、国民を歓喜の渦に巻き込んだメダリストが、引退後に書道家に転身して今はふるさと秋田で暮らしています。書の道にあっても、当時と変わらぬ信念を貫いて生きる、オリンピアンの姿を見つめました。

重量挙げバンダム級日本代表 一ノ関史郎さん(当時20歳)

一ノ関史郎さん
一ノ関史郎さん(73)

東京オリンピック2日目。日の丸掲揚に日本中の期待がかかるなか、初出場の一ノ関さんは並みいる強豪に挑んで、銅メダルを獲得しました。しかし1968年のメキシコオリンピックでは、金メダルに最有力ながらも重圧によるけがで5位。けがは治らず引退しました。競技人生を離れた一ノ関さんでしたが持ち続けたのは「心を鍛えたい」という思い。新たな鍛錬の場として選んだのが、重量挙げと同じく反復と精神力を要する「書の道」でした。

ふるさとは語る

秋田県八郎潟町出身の一ノ関さん。競技当日、ふるさとの人々はこの日のために購入した真新しいテレビを通して一ノ関さんの活躍を見守りました。一ノ関さんの親戚にあたる村井剛さん(当時高校生)は「お祭り騒ぎだった。銅メダルを取った瞬間、万歳と乾杯で沸き返った」と当時を思い出し、興奮気味に語ってくれました。
重量挙げ日本代表コーチとして一ノ関さんとともに五輪の舞台に立った小林努さんは「あんなに緊張した一ノ関を初めて見た。バンタム級絶対王者のワホーニン(金メダル・ソ連)に打ち勝つべく、練習でもあげたことのない重量に挑戦した。戦った気持ちは金メダル級だった。絶対に諦めない生き方は今も変わらない」と一ノ関さんを称えました。

亡き友に誓う「挑戦」

今回の取材で一ノ関さんが繰り返し語ってくれたのは、何事も諦めず取り組むことの大切さ。
「挑戦」の文字を書いてもらったスタジオ撮影では、こちらが驚くほどの精力的な姿を見せてくれました。「納得いくまで」と重たい筆を走らせること半日以上。何度も何度も書いてくれました。実は、鬼気迫る姿勢で挑んでくれたのには、もうひとつ理由がありました。当日、一ノ関さんが使っていたのは、亡き友から受け継いだ筆だったのです。法政大学の重量挙げ部でともに切磋琢磨し、書道仲間としても語り合った友から送られた筆。一ノ関さんは天国の親友に誓うように、自分の生き様を書で表していたのです。

「挑戦」の文字と一ノ関さん写真

(撮影・文)秋田局映像取材 カメラマン 森川 健史

動画は、「サンデースポーツ2020」で放送されたVTRを再編集したものです。
[総合]日曜日午後9時50分~(放送時刻変更の場合があります)

おすすめの記事