日本で初めてのオリンピック

こころのレガシー 1964→2020 vol.29
飛び込み 2019年9月20日
画像01_馬淵かの子さんサムネイル

「初めて日本で行われたオリンピックですから予想以上のことが起こりましたよ」こう語るのは1964年東京オリンピックに水泳・飛び込みの日本代表として出場した馬淵かの子さん(81)です。

当時、日本で初めて行われるオリンピックとあって、国を挙げて盛り上がっていました。

代々木体育館

開会式には国立競技場を埋めつくすほどの多くの観客が集まりました。馬淵さんが出場した飛び込みはそんな開会式の翌日、競技としては初日に行われました。馬淵さんは直前の世界大会でも良い記録を出し、メダルは確実と大きな期待が寄せられていました。

メダルへ立ちはだかった意外な敵

当時の馬淵さん

「1.6秒間」飛び込みの競技時間です。飛び込み台から水面までのこの時間は、オリンピック全種目のなかで最短と言われます。選手はこの1.6秒のために飛び込み台に立つまでの時間に極限まで集中を高めます。

観客

しかしその集中を邪魔する意外な敵が馬淵さんの前に立ちはだかります。それは観客の“大声援”でした。

当時の馬淵さんアップ

本来、飛び込みでは競技の際に観客は静かにしなければなりません。選手の集中を邪魔しないためです。

観客

しかし観客の多くは飛び込みを見るのは初めて。さらに競技初日とあってメダルを期待する気持ちから絶え間なく声援を送りました。観客も初めてのオリンピックで応援のマナーを知らなかったのです。

自分に負けた馬淵さん

飛び込む馬淵さん

戸惑ったのは馬淵さんです。自分に向けられた声援に心を乱されるとは思ってもいませんでした。さらに飛び込み台へと向かう途中、メダルを期待する声が聞こえてきます。「足はガクガク震え、自分がどこを歩いているかもわからなかった」

馬淵さんは完全に自分を見失っていました。そして「絶対に失敗は許されない」と考えてしまいます。演技はこれまで失敗したことがない前方回転の技。しかし飛んだ瞬間に体は斜めになり、ひねりをいれた状態に。入水も大きく乱れました。「やってしまった」失敗を恐れるあまり思い切った演技ができず失敗してしまったのです。

7位の表示板

順位は7位。メダルはおろか入賞もできませんでした。

後悔から

プール

馬淵さんはリベンジを果たそうと再度オリンピックを目指すも、代表に選ばれることは叶いませんでした。そんななか周りのすすめもありコーチとして子どもたちの指導を始めます。目にしたのは純粋に飛び込みを楽しむ子どもたちの姿でした。「東京オリンピックでの失敗の経験を伝え、次の世代にメダルを取ってもらいたい」馬淵さんは自分の思いを次の世代に託すことを決めました。

指導する馬淵さん

まず行ったのは環境の整備です。馬淵さんは自治体や企業、一般の人にまで支援を募り、日本で初めてとなる屋内の飛び込み専用プールを造ります。そして飛び込みの教室を開きました。1964年の東京オリンピックでの“後悔”が原動力でした。

指導する馬淵さん2

教室を開いた馬淵さんが子どもたちに必ず伝える言葉があります。それは“失敗を恐れるな”。どんな場面でも後悔のないように思いっきりやってほしいと伝えているのです。

そしてついに現れた逸材

馬淵さんと玉井選手

馬淵さんは現在もプールサイドに立ち子どもたちに指導を続けています。なぜなら日本は飛び込みでいまだオリンピックのメダルを獲得していないからです。

玉井選手アップ

そんななか馬淵さん待望の逸材が現れました。玉井陸斗選手(12)です。ことし行われた日本屋内選手権で優勝。次の東京オリンピックでは最年少メダリストとして期待を集めています。玉井選手が幼いころから馬淵さんが指導をしてきました。

見守る馬淵さん

しかし馬淵さんには心配がありました。
玉井選手は練習中、技を成功させようと力んでしまうことがあります。
その姿が50年前の自分の姿と重なるのです。メダルを期待されたことで消極的となり 本来の力を出し切れなかった自分と。そんな時、馬淵さんはそっと声をかけます。

馬淵さんと玉井選手2

「失敗してもいい。絶対にできる。大丈夫だよ」

馬淵さん越し玉井選手

1964から2020へ。初めての東京オリンピックで心に刻んだ思いを胸に、馬淵さんに育てられた選手たちが2度目の東京オリンピックに挑みます。

(撮影・文)報道局映像センター取材グループ小玉義弘

動画は、「サンデースポーツ2020」で放送されたVTRを再編集したものです。
[総合]日曜日午後9時50分~(放送時刻変更の場合があります)

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