聖火ランナー

グループランナー

チーム岡山古今東西

走る日
5月19日(水)

志望動機

大会組織委員会に提出されたものを、そのまま掲載しています。

森末 慎二

Shinji Morisue
私は、出身地岡山の関西高校時代から本格的に体操競技を始め、ロサンゼルスオリンピックに出場、メダルを獲得することができました。競技選手を引退してからも体操の楽しさを子どもたちに伝える活動や、大学での体操指導、また、スポーツをはじめとした様々なイベントなどにも関わってきました。今回は、聖火ランナーとして走ることで、ふるさと岡山のお役に立てるなら、大変嬉しく思います。聖火リレーが大いに盛り上がり、皆さんが笑顔になり、多くのみなさんの想い出に残るものとなればと思っています。
(2020年用に書かれた文章です。)
地元岡山県の為に走りたいと思います。
(2021年用に書かれた文章です。)

神達 靖久

Yasuhisa Kandatsu
私は55年前、前回の東京オリンピックの聖火ランナーを務めました。その時の感動は今でもはっきりと覚えています。その後、選手として指導者として陸上競技と関わってきました。特に指導者としては選手とともに努力を重ね、複数の選手が国際大会・全国大会で活躍してくれました。現在は岡山陸上競技協会専務理事の拝命し、岡山県の陸上界が全国で活躍できるよう今も努力を続けています。特に平成28年の全国高等学校陸上競技選手権大会、平成30年の全国中学校陸上競技選手権大会では、役員の方々の協力もあり成功裏に終えることができました。また、岡山マラソンの準備にも尽力しています。私がここまで頑張ることができたのは、聖火ランナーを経験したことが力の源となりました。今回の東京オリンピックに私が聖火ランナーを努めることで、岡山県の陸上競技界、延いては岡山県のスポーツ界の盛り上がりに寄与したいと思います。
(2020年用に書かれた文章です。)
二回目の聖火ランナーに選んで頂き感謝しています。一生懸命に全力で頑張りたいと思います。目標が延びて元気をもらいました。
(2021年用に書かれた文章です。)

本井 誠治

Seiji Motoi
私は井原市芳井町というところで懐石料理のお店を営んでおります。地域の方の食を支える分野でもお役に立てておりますし、食材も地域で採れたものを積極的に取り入れております。また、地域においては、東日本大震災をきっかけに地域の繋がりの重要性を認識し、2011年より過疎化が進む地元商店街で、地域を元気にしたいという思いから「芳井宵あかり」というお祭りを友人たちと始めました。このお祭りは、地元小学校、中学校、商工会を巻き込み、3000人が集まる夏の一大行事になり、芳井町の夏の祭りとして欠かすことのできないものとなりました。また、経歴としては、消防団分団長、小学校PTA会長、中学校PTA会長、矢掛高等学校PTA副会長を歴任し、現在は井原商工会議所理事、備中西商工会副筆頭理事、(社)食品衛生協会井原支部副支部長、芳井町まちづくり協議会副会長、この4月からは井原市長が本部長を務める井原市ひとづくり実行委員会委員長も務めさせていただいております。昨年の西日本豪雨災害で、私のお店も被災をいたしましたが、家族と従業員一丸となってお店を再建してまいりました。年齢は54歳。東京オリンピックの「支えあう心」「認めあう心」「高めあう心」の精神に強く共感しております。健康状態は良好で地元貢献度や体力的にもランナーにふさわしいと考えております。どうぞよろしくお願い致します。
(2020年用に書かれた文章です。)

高岡 宗徳

Munenori Takaoka
私は矢掛町で生まれ育ちました。父は祖父の代から矢掛町で営む製材所に勤務する傍ら、小田郡選出の岡山県議会議員として、地域のためにその人生の多くを捧げました。祖父も父も、人のために役立つ生き方を私に説いてきました。私は現在外科医師として、微力ながら地元岡山での医療に従事しています。いつかは地元矢掛町で、医療による恩返しをしたいと考えています。矢掛町は私にとって心の拠り所であり、また誇りでもあります。小学生の時に渡邉武次郎賞に選んでいただいたことは今でも誇らしく思います。昨年7月の西日本豪雨では私の実家も半壊被害に遭いました。帰る所がなくなる不安の中、町職員や町内会、ボランティアの方々の多大なる御尽力を賜り、被災した母も3か月後には自宅へ戻ることができました。東北出身の母は東日本大震災に心を痛め、また熊本地震の医療ボランティアを経験した私は、災害の悲惨さとボランティア活動の素晴らしさに心を打たれました。昨年被災者であった私たちが元通りの生活を取り戻せることに深い感謝の念を抱き、いまだ災害や疾病に苦しんでいる方々の希望の灯りとなるであろうスポーツの祭典を彩る聖火を私は是非つなぎたいと思います。
(2020年用に書かれた文章です。)
私を育ててくれた故郷への感謝、被災した故郷の復興に尽力下さった方々への感謝の思いが、私の聖火リレー応募の理由でした。ランナー内定後、職場や友人から多くの期待を寄せられ、人生最大の名誉と実感し始めた矢先の延期に私も喪失感を禁じ得ませんでしたが、医療に従事する私には2020年はオリンピックも聖火リレーも開催できる状態ではないと早々に覚悟したように思います。地域の医療を守り、病める方々に安心と健康を届けるために外科医としてどのように行動すべきか自問自答の1年でした。延期されたことで、病気や様々な困難によりオリンピックの興奮や感動を共有できなくなった方々がおられることに思いを馳せ、当初の感謝の思いとともに、大変な世の中にあっても周囲の支えがあって生かされ、健康な生活が送れることへの感謝と、目に見えない脅威に対し最前線で奮闘する同僚や関係者へ敬意を込め、東京オリンピックが、誹謗中傷や敵意・分断のない「やさしい社会」の象徴となることを願って聖火リレーに臨みたいと思います。
(2021年用に書かれた文章です。)

一坪 花音

Kanon Ichitsubo
私が聖火ランナーに応募した理由は昨年の西日本豪雨災害の経験から、人に勇気を与えることができる人になりたいと思ったからです。私は西日本豪雨の時、高校生ボランティアとして活動させていただきました。その時、人と人との繋がり、絆、そしてその絆から生まれる団結力、”総社魂”を強く感じました。私が聖火ランナーになれたら、そんな温かい人達が沢山集まるこの総社の地で、総社の歴史に残る聖火リレーを私だけでなく総社市民全員で作りたいです。そしてこの聖火ランナーに応募することを勧めてくれた祖父は昨年、重い病気にかかりました。祖父は走ることが大好きな人でしたが、今は走ることができません。祖父の思いを胸に、そして全国の病気で苦しんでいる人々に勇気と希望が与えられたらいいなと思います。また、私は総社市を拠点として活動している合唱団こぶに所属しています。歌を歌い、音楽を届けることで人に勇気を与えられるよう、日々努力しています。人に勇気を与える方法は数え切れないくらい沢山あります。私は今回、聖火ランナーという新しいチャレンジをして、総社市に岡山県にそして全国の人々に勇気を与えられるような聖火ランナーを務めたいです。
(2020年用に書かれた文章です。)

近藤 愛翔

Manato Kondou
昨年7月の豪雨災害で今まで普通にしていた事ができなくなり、すごく悲しかったです。今はまだみなし仮設住宅で、家と学校の距離が遠いので、片道車で40~50分かけて毎日通学しています。春頃には家が完成して真備に戻れる予定なので、真備にまた住める日をすごく楽しみにしています。被災して、全国の方々に、支援や応援メッセージをもらってとても感謝しています。あれから1年が経ち、恩返しができないかずっと考えていたときに、先生から聖火ランナーの話を聞き、チャレンジしてみたいと思いました。全国の人に感謝の気持ちを走るという形で届けたいし、真備を元気付けたいと思ったからです。
(2020年用に書かれた文章です。)

松山 正春

Masaharu Matsuyama
私は75歳になります。55年前、20歳の時に「東京オリンピック」が開催されました。昭和39年9月20日、聖火リレーの走者として清輝橋から中央郵便局まで聖火を運びました。55年前のことですが、当時の写真はセピア色に変色していますが、私の思い出は「総天然色」です。高等学校、大学と陸上競技部で走り回っていました。今でも走ることが好きです。東京マラソン、徳島マラソン等を走破しました。残念なことに、おかやまマラソンには出場できませんでした。おかやまマラソンには、初回から医事救護部長として関わりました。救護体制の構築に関携わり、現在の医療救護の基礎を作りました。おかやまマラソンが、全国的に高く評価されていることは私にとって誇りです。人生100年時代にあって75歳はまだまだ若者です。聖火リレーに参加し75歳は高齢者ではないことを広くアピールしたいと思います。
(2020年用に書かれた文章です。)
私は、1964年東京オリンピックの聖火リレーでも岡山市内を走った、77歳のお”爺ちゃん”です。今回は、一昨年5月、2歳の孫が白血病になってしまいました。孫を元気つけるために、二度目の聖火リレーを走るつもりでした。1年延期されましたが、幸いにも、孫は全快しました。元気に応援に来てくれると思っています。私自身も、コロナの最前線でウイルスと戦っていますが、この聖火がコロナ収束の火種になってくれたらと祈念しています。
(2021年用に書かれた文章です。)

金平 莉紗

Risa Kanehira
私は中学3年生まで真庭市で過ごしていました。高校は兵庫県のサッカーの強豪校へ進学し寮生活を始めました。1年生の頃から試合へ出させていただき全国高等学校総合体育大会では1年生と3年生の時に優勝、2年生の時は3位という成績をおさめる事ができました。そして日本代表としてアジア大会も経験することができました。大学へ進学し、昨年はなでしこリーグ1部でプレーし、全日本大学女子サッカー選手権大会では1位という成績でした。私がこのような素晴らしい経験ができている事は真庭市で過ごした15年間のおかげです。サッカーと出会うきっかけとなったのもキッズサッカー大会でした。この大会のおかげで「生きがい」を見つけることができました。21歳の誕生日を迎えるという事もあり、次は私が一人でも多くの方へスポーツの楽しさ、「生きがい」がある喜びを伝えたいと思います。
(2020年用に書かれた文章です。)
聖火リレーを通して多くの方々にまだまだ明るい未来はあるという希望を与えられたらという願いを込めて走らせていただきます。
(2021年用に書かれた文章です。)

黒田 眞路

Shinro Kuroda
スポーツで受けたご恩はスポーツで返したい。私自身とそれぞれ家庭を持った子どもたちも、これまで数え切れないほどのご縁によって支えられ、今日、生かされています。ご縁を「縁起がいい」と捉えて自分自身を変えていく。おかやまマラソンボランティアに刺激され、トレイルラン大会を開催。来年は第5回大会。最初から実行委員長としてコース整備から関係各位との調整に走り回っております。聖火ランナーというチャンスを糧に、近隣自治体と連携して、国際大会と認められるような、環境に配慮した世界基準、お手本トレイルラン大会に育てていく決意を強くいたしました。山村源流地域ならではのスポーツ活動を、今後、自転車ダウンヒル、マウンテンバイクサイクリング等も現在テスト中。小さなお子様から、女性の皆さんが安心して楽しめるスポーツを通じた地域交流活性化、関係人口増へ努力邁進続けます。聖火ランナー後、さらにパワーアップした新庄村に期待してください。
(2020年用に書かれた文章です。)
予定通り出来なくなったことで改めて全ての考え方を見直す良い機会となりました。地球人として世界規模で取り組む課題を互いに理解協力しあい課題を乗り越えるために皆が知恵を出し工夫して進化形の未来を作り上げる生まれ変わった初めてのオリパラ大会を盛り上げる一役をさせて頂けることに感謝しかない。世界平和の象徴再スタートは日本から
(2021年用に書かれた文章です。)