なにがあろうとも挑戦し続ける ~トライアスロン/マラソン 土田和歌子

トライアスロン 陸上 2020年3月5日
写真:トライアスロン用の自転車にのり、左腕を上げている土田和歌子選手

去年7月、パラトライアスロンの土田和歌子選手の練習を撮影しました。
「9月にスイス・ローザンヌで行われるグランドファイナルは、世界で最も過酷と言われるトライアスロン大会なの」と、とても楽しそうに話す土田選手の様子に、昔から全く変わっていない彼女のアスリート魂が見えました。
グランドファイナルは、世界ランキング上位の選手から選考される、まさに世界最高峰のパラトライアスロン大会です。

そのスイス・ローザンヌのコースを調べてみると、坂道が多く、最もきつい勾配が10パーセントでした。これは100メートル進むとマンションの3階(約10メートル)の高さまで到達する勾配です。


写真:海で泳ぐ土田選手

パラトライアスロンは、スイム(750メートル)・バイク(20キロ)・ラン(5キロ)と、距離は五輪競技の半分なのですが、短い分、最初から最後まで全速力で臨まないといけないのでゴールまで気が抜けず、まさに過酷で、苦しさの塊みたいな競技です。

トライアスロンの中で土田選手が苦手としている海での練習は、僕にとっても大変な撮影です。
胸まで浸かりながら土田選手をじっと撮影していると、海洋生物に脚をチクっと刺されました。


写真:坂を自転車で上る土田選手

バイクの練習では、山の中を通るので、撮影中にアブに追いかけられ、逃げ回った果てにチクっと刺され。


写真:陸上用の車いすで走る土田選手

ランの練習では、富津岬(千葉県)の防風林の中、蚊に容赦ないぐらい無数に刺され。

僕は散々刺されているのに、土田選手にその様子はなし。
アスリートの体は違うものだなと勝手に感心しながら、僕は、1か月、皮膚科に通い続けました。


写真:力を込めて陸上用の車いすで走る土田選手

僕が初めて土田選手を知ったのは、2000年のシドニー五輪です。
当時、オリンピックのエキシビション(公開競技)として、陸上競技の中で、車いすレース女子800メートルが行われていました。そこで、土田選手が、1分56秒49のタイムで銀メダルに獲得したのです。

シドニーで同居人たちと一緒にテレビの生中継を見ていた僕は、「陸上で車いす?」と疑問に思っているうちにゴールしていたのですが、一緒に観戦していた同居人から、「日本人が2位に入ったね、おめでとう」と言われてうれしくなったことをよく覚えています。
翌朝の地元新聞にも大きく取り上げられて同じ日本人として誇らしい気持ちになりました。

五輪終了後に、シドニーパラリンピックを撮影取材するご縁をいただき、初めてのパラリンピック撮影取材に臨むことになるのですが、その中でもひときわ、印象に残っているのが、土田選手でした。
最初の頃は、土田選手の疾走感の美しさに魅了されていましたが、ここ数年は、挑戦し続ける姿、裏を返せば“逃げない姿”に、惹かれるようになっていきました。


写真:笑顔でガッツポーズをする土田選手

土田選手は、アテネパラリンピックの5000メートルで、金メダルを獲得しました。冬季のアイススレッジスピードレースで、既に2つの金メダルを獲得していた土田選手は、日本人初、夏・冬の金メダリストになりました。


写真:トラック内で転倒する選手に巻き込まれている土田選手

車いすマラソンで、国際大会では数え切れないほどの優勝をして、世界記録も塗り替えてきた土田選手でしたが、パラリンピックでは、2000年のシドニーで銅、2004年のアテネで銀という成績でした。
満を辞して臨んだ、2008年の北京パラリンピック。大会前半、車いすマラソンへの調整も兼ねて出場した5000メートルで他の選手の転倒に巻き込まれる不運で、全治4か月の大けがを負い、マラソンのスタート地点に並ぶことすら出来ませんでした。


写真:ロンドンパラリンピックの土田選手

2012年のロンドンパラリンピックでは、車いすマラソンに出場しましたが、またも転倒に巻き込まれて5位。ゴールする直前、両手で顔を覆い隠しました。


写真:悔しそうな表情の土田選手

2016年のリオデジャネイロパラリンピックの車いすマラソンでは、レース展開は申し分なかったのですが、ゴール手前であと一歩力及ばず、優勝した中国選手とは1秒差の4位という結果でした。

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リオ後、再度、車いすマラソンで東京パラリンピックのマラソンで金メダルを目指すのだろうと思っていましたが、土田選手はぜんそくを発症し、これまで通りにマラソン大会に参戦することができなくなってしまいました。
ぜんそくの治療のために水泳を始めたのですが、ハンドサイクルにも興味があったこともあり、「自分の可能性を広げたい」と、トライアスロンへの転向を決意したのです。
ここから土田選手の新たな世界がスタートします。

トライアスロンの苦しいトレーニングを積み重ね、去年6月から始まった東京パラリンピックの選考レースでは序盤から、好成績をおさめました。
ちょうどその頃、ぜんそくの治療も上手くいっていたこともあり、東京パラリンピックでは、トライアスロンとマラソン、2競技の挑戦を目指すと教えてくれました。


9月に開催された、世界トライアスロングランドファイナル直前、予想外の出来事が起こりました。
パラトライアスロンの車いすの部は、障害の軽いクラスと障害の重いクラスの2つに分かれています。
障害の軽いクラスは、障害の重いクラスより4分04秒遅れてスタートし、2クラス一緒に競技を行います。
土田選手は障害の重いクラスでしたが、突然、障害の軽いクラスに移動させられてしまったのです。
総合的な身体の動きと、トランジションと言われる乗換え(スイムからバイク、バイクからラン)の部分で障害が軽いクラスと判断されたようです。
僕は、苦しい練習を積み重ねたからこその、トランジションの時間短縮ではないのかと思うのですが、そのような判断には至らなかったようです。

写真:ウェットスーツで笑顔でカメラに手を振る土田選手

大会直前でのクラス変更は、レース展開、他の選手たちの動き、すべてにおいて計算が狂ってしまい、大変なストレスだと思いますが、それでも土田選手は、レースのスタート前、カメラに向かって笑顔を見せてくれました。


写真:スイム・バイク・ランの土田選手

レース結果は、11位で最下位でしたが、予想外の事が起きても、気持ちを切らすことなく競技に挑みゴールした土田選手、凄いと思いました。


写真:車いすで走る土田選手の背中と腕

なぜ、この時期に?と理不尽さを感じるクラス変更ですが、それでも土田選手は前を向きます。


ことし、4月24日のアジアパラトライアスロン選手権(広島)、4月26日のロンドンマラソン(イギリス・ロンドン)にもエントリーをしていて、どちらも東京パラリンピック出場に向けた重要なレースです。
*アジアパラトライアスロン選手権は新型コロナウィルスの影響で中止、ロンドンマラソンは、新型コロナウィルスの影響で10月4日に延期となりました。(3/16追記)


試練に見舞われながらも、前を向き挑戦し続ける土田選手。
これからもレンズを通して土田選手の挑戦を追いかけ続けていきます。


【関連記事】土田和歌子(トライアスロン)「レジェンドの過去・現在・未来」(2018/7/17)

写真家 越智貴雄

写真家 越智貴雄(おち・たかお)

2000年のシドニーパラリンピックから国内外のパラスポーツの撮影取材活動を続けている。2012年、陸上アスリートの競技資金集めの為、セミヌードカレンダーを1万部出版し国内外で話題となる。2013年9月のブエノスアイレスでの2020東京オリンピック・パラリンピック招致最終プレゼンテーションで映し出された「跳躍の写真」が話題になる。2014年、義足を美しくかっこよく履きこなす女性たちを撮影した写真集「切断ヴィーナス」を出版。2017年、寝たきりのお笑い芸人“あそどっぐ”さんの写真集「あそどっぐの寝た集」を出版。取材活動の他にも写真展開催や義足女性によるファッションショーなど、多数開催している。NHK-BS1「パラ×ドキ」に出演中。

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