アフガンの女性を変える車いすバスケ ~女子代表キャプテンの挑戦~

車いすバスケットボール 2019年11月29日
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アフガニスタンと聞いて、何を思い浮かべるでしょうか。11月末、車いすバスケットボールの東京パラリンピックの出場権を争う国際大会がタイで行われます。日本代表も出場するこの大舞台に初めて挑むのが、アフガニスタンの女子代表です。
キャプテンのニロファ・バイオット選手(26)は、2歳のときに爆撃で負傷。女性の外出も厳しい社会で、家族に反対されながらも競技に打ち込んでいます。民間人の死者数が過去最悪に上り、治安の悪化に歯止めがかからないアフガン。「紛争だけではないアフガンの一面を見せたい」というキャプテンに、東京パラリンピック、そしてスポーツにかける思いを聞きました。(中野淳)


▼国際大会にデビューしたばかりのアフガン

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去年10月のアジアパラ競技大会。試合前、ピースサインで応えてくれたニロファ選手(撮影:越智貴雄)

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アフガニスタン対カンボジアの5位決定戦。チームを引っ張るニロファ選手(中央)(撮影:越智貴雄)


ニロファ選手と出会ったのは去年10月。アフガニスタンの車いすバスケットボール女子代表が初めて出場したアジアパラ競技大会です。白いヒジャブを着けて、激しく当たり、大声を上げてプレーするアフガンの選手たち。エネルギッシュな姿に、紛争地の悲壮感や暗いイメージが一気に崩れました。

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試合後、英語で答えるニロファ選手。「強いチームをたくさん目の当たりにし、やっと車いすバスケがどういうもので、どうやったら強くなるのか分かってきました」(撮影:越智貴雄)


▼庭に落ちた爆弾で車いす生活に

ニロファ選手が生まれたのは1993年。反政府武装勢力タリバンが勢力を伸ばし始めた頃、2歳のときに首都カブールにあった自宅の庭に爆弾が落ちました。兄は亡くなり、自身も重傷で入院。外出していた父親も家族を探す途中で撃たれて離れ離れに。再会できたのは半年後でした。脊髄を損傷したニロファ選手は何度も手術を繰り返し、理学療法や薬によって、10歳になる頃にようやく回復したといいます。

「障害が恥ずかしく、表に出ないよう、目立たないように生きてきました」。小学生の時期はタリバンの影響で学校に行くこともできず、自宅で勉強する日々だったといいます。そんな引きこもりがちな生活が一転したのは、19歳のとき。治療を受けていた赤十字国際委員会(ICRC)が運営するリハビリテーションセンターで出会った車いすバスケでした。ICRCはアフガンの代表チームを支援していて、男子に続き女子も2017年に初めて国際大会に出場。ニロファ選手はICRCで障害者支援の仕事をしながら、週2回、練習に励んでいます。「バスケを始めてから人生が大きく変わりました。私にもできることがあると思えるようになり、自信がもてるようになったのです」。

障害のある友人との出会いや、海外遠征。アフガンの女性にとっては簡単にできるものものではありません。「チームメートと喜びも悲しみもすべてを共有できる。バスケをしているときは心から笑えて、自分の障害や直面している困難も忘れられるんです」

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赤十字国際委員会の支援で練習する選手たち。今ではカブールだけでも女子チームが3つあり、国内で大会も開かれている。


▼父の言葉が人生を変えた

しかし、女性の外出すら難しく、安全面も不安なアフガン社会において、最初は激しいバッシングにあいました。「バスケを始めたとき、病院の体育館、つまり多くの人の目に触れる公共の場所で練習をしていたので、自分たちがプレーしているところを見かけた多くの男性から文句の電話がかかってきました。多くの人が『女性は家庭にいるべきだ。何のスポーツをしているんだ。女性がやるものではない』と。親戚も『家族以外の男の目に触れるところに出るべきではない』と父や兄に言ってきたのです」。母も、車いすバスケは危険だからできないと最初は反対しました。

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スポーツはもちろん、大学進学も就職も後押ししてくれた父。「女性であることや障害があること、年齢は関係ない。一人の人間として、やるべきことをやりなさいと言ってくれる」。

唯一の理解者は父でした。「自分の信じた道を進みなさい」と後押ししてくれたのです。父は元エンジニアで、今はアフガン全土でラジオ局を運営するNGOでガードマンをしています。「父は高い教育を受けた人たちと働いているので、オープンマインドで民主的な考え方を持っている。本もたくさん読んでいて、進歩的で女性をサポートできるのです」とニロファ選手。「ほとんどの家庭では教育を受けた人がいません。だから昔ながらの考え方に固執してしまう。女性は家にいて、母になって家事をして、学校や仕事に行くのは男性だけ。女性が病院に行くのは出産のときくらいで、医療も十分にアクセスできません。アフガンにおいて女性は“セカンド・ジェンダー”なのです」。

一方、兄は今でもニロファ選手が有名になって喜ぶどころか、自分の友達に妹がバスケットボールをしていることを隠し、家族以外の男性の目に触れるようなことはしてほしくないそうです。「彼が考え方を変えてくれることを願って、競技を一生懸命続けています。変わるかわからないけど」とニロファ選手。

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アフガンの車いすバスケ女子チームにとって初めてのパラリンピック出場を目指す。「肝心のシュートが課題。ミスが多い。練習をして自信をつけることが必要です」


▼明日も分からぬ不安のなかで

ことし11月、アフガンにいるニロファ選手に再びコンタクトをとり、東京パラリンピックの出場権がかかる大会に向けた思いを聞きました。「東京パラリンピックの出場権を獲ることは私たちにとって最も大きな目標です。去年のアジアパラ大会以降、多くの合宿をカブールで行い、チームの結束をはかってきました。実績のあるイラン人コーチのもと、選手の若返りも進めてきました」。
選手は爆弾や地雷よる負傷、ポリオなどで障害を負った12人。各地から集まったメンバーをキャプテンとして一つにまとめあげることがニロファ選手の役目です。「アフガンの皆さんが誇りに思うチームに成長させたいです」。

写真:ニロファ・バイオット選手

大学では法律を専攻。「将来は弁護士になって障害のある女性を支援し、女性のための法律の整備に取り組みたい」。

常に前を向くニロファ選手。しかし、政治や治安の状況次第では、今まで築いてきたものが崩れてしまう不安も明かしてくれました。「私だけでなく、アフガンの人々は常に将来を案じています。いつまで生きていられるのか、明日があるのかも分かりません」。
国連によると、アフガニスタンで2018年に戦闘やテロに巻き込まれて死亡した民間人は3800人あまりと過去最悪。また、死者とけが人を合わせると5年連続で1万人を超え、治安の悪化に歯止めがかかっていません。危険と隣り合わせの生活で、競技はICRCの支援があるからこそ続けられるといいます。
「私が生まれたときからこの国では戦闘が続いています。もう戦いはうんざり。だからこそ団結して1つになって立ち上がりたい。それを示す表現の一つが車いすバスケ。女性、しかも障害のある選手が一丸となって、アフガンの違う一面を見せたいのです」。

明日も分からぬ恐怖。抗いようのない運命のなかで、車いすバスケはニロファ選手の人生を変え、今度はニロファ選手がアフガンを変えようとしています。スポーツは、紛争や暴力に勝る力があるのです。デビューしたばかりのアフガニスタンチームにとって、東京パラリンピックの出場権を勝ち取るのは厳しい道のりです。しかし、東京を目指すニロファ選手たちの願いと、アフガンの“今”が一人でも多くの人に届くことを願ってやみません。

写真:ニロファ選手(右)と、中野アナウンサー(左)

アフガニスタンチームが挑む「車いすバスケ・2019アジアオセアニアチャンピオンシップス」は、11月30日~12月7日までタイで開催されます。女子は、日本を含む8か国が出場し、3か国に東京パラリンピックの出場権が与えられます。日本は開催国枠で東京パラリンピックの出場が決まっています。


取材協力:赤十字国際委員会 上垣喜寛 加藤真希
写真提供:赤十字国際委員会 越智貴雄

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中野 淳

平成18年入局。
パラスポーツとの出会いは、プライベートで訪れたロンドンパラリンピック。
スポーツ番組のキャスターとして、数多くのパラアスリートを取材し、リオパラリンピックとピョンチャンパラリンピックでは開会式の実況などを担当。
2017年4月から「ハートネットTV」のキャスターとして、福祉とスポーツ双方の視点からの発信を続ける。

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