あらゆる人生に物語がある ~多様性から感じる解放感を

2021年9月30日
写真:紫にライトアップされた東京パラリンピック閉会式の模様。

「WeThe15」と名付けられたIPC(国際パラリンピック委員会)のキャンペーン
世界の人口のおよそ15%、12億人に何らかの障害があるとして、身近にいる多くの障害者に目を向けるように呼びかけている


東京オリンピック・パラリンピックが終わり、1か月が過ぎようとしています。あの大会を経て、皆さんの心に残っているものは何かありますか?

私はNHKパラリンピックサイトのwebディレクターとして、動画やコラムのコンテンツを5年にわたり制作してきました。初めは現場への取材を通して知見を積み、大会が近づくにつれ取材仲間が増えてきたらバックヤード側にまわり、いつか誰かが見てくださるよう、データベースを構築するように情報を補強してきたつもりです。

2016年のリオパラリンピックからの「時間」とこれからの「人生」を絡めて、待ち望んでいた東京大会への思いをつづってみます。


■苦しい5年の「準備時間」


東京オリンピック・パラリンピックの開催が決まったのは2013年10月。その段階でパラリンピックを見たことのある人はどれくらいいらしたでしょうか?

東京大会が決定し、初めて行われたパラリンピックの2014年の冬季ソチ大会を経て、2016年のリオデジャネイロパラリンピック。「リオの次は東京」ということで気合いが入っていた選手たちも多かったことでしょう。しかし、オリンピック日本選手団が過去最高の記録だったことに対し、パラリンピック日本選手団の金メダルはゼロに終わりました。

写真:リオパラリンピック 車いすテニス 男子シングルス 準々決勝で敗れた国枝選手

シングルス三連覇を目指していた車いすテニスの国枝慎吾選手。
20代後半、勝負の時期に大会に挑んだ競泳の木村敬一選手や鈴木孝幸選手。
リオ大会直前に世界記録を出し、順調に調整をしていた陸上の山本篤選手など、この他にも「リオを弾みに東京へ」と考えていた選手は多いと思います。

写真

2016年5月 鳥取で行われたパラ陸上日本選手権、男子走り幅跳び(T42)の決勝で、山本篤選手は当時の世界新記録で優勝した

そこから4年、さらにまさかのプラス1年。舞台に上るまでの時間がありました。

アスリートとして自国開催の大会で金メダルを手にしたいとあらゆる手を尽くしたり、自らけん引役になり後輩の育成に目を向けたり。
世界選手権の金メダルで大会気運を勢いづけてくれた車いすラグビーの選手たちや、陸上の中西麻耶選手、競泳の山口尚秀選手や東海林大選手など、一人一人の顔が思い浮かびます。

写真:笑顔の中西麻耶選手

2019年11月 世界パラ陸上世界選手権の中西麻耶選手

「リオの雪辱」という表現はよく使われますが、一方で、リオからの5年の日々の中には、悔しさを忘れられなかったり、理想の自分に追いつけなかったりするつらい時間のほうが長かったと感じる人もいるでしょう。そして、それは選手だけではなく、あらゆる現場のスタッフの方々も同じ思いを抱いていたであろうと想像します。

金メダルでも自己ベストでも改善の日々を重ねて自分を出し切り、満足する結果を得られた選手やスタッフの皆さんは、格別な喜びを実感しているのではないでしょうか。本当におめでとうございます。

そして、アスリートだけではなく、わたしたちの人生においても「結論の見えない準備時間がつらい」ということはままあることです。彼らが過ごしたこの5年の時間が、あらゆる人の今後の人生における準備に対し「それはつらいものだけれど、やり切ることが出来るのだ」と、少し勇気づけられるイメージにつながればうれしいです。


■パラリンピック後の人生、メダルと就労。


5年の準備時間の中で、選手人生における「東京大会と就労の関係」を意識させられた選手とのエピソードがありました。

写真:狙いを定める高橋選手

2016年9月 リオパラリンピックにて

ボッチャのBC3・ペア戦で銀メダルを獲得した高橋和樹選手は、リオ大会でメダルが取れなかった悔しさを味わった選手のひとりです。5年かけてメダルに近づくために、圧倒的な練習量の確保を検討していました。しかし、障害者総合支援法の「重度訪問介護」は「居宅又はこれに相当する場所」のみの利用となっており、「仕事中(練習中)の介助制度が使えない」という大きな問題があります。

写真:記者会見の高橋選手

高橋選手は2017年9月、「就労中の介助を認めてほしい」と行政(さいたま市)に要望。翌2月下旬には、市は「パラアスリートの育成強化」を事業化し、高橋選手の仕事中(練習中)に必要な介助は、市の裁量で対応できる体制が作られました。

そして2018年2月、高橋選手は練習が仕事とみなされるようになるアスリート雇用の道を選び、株式会社フォーバルに就職。当時「世界を目指すため、より競技に集中できる環境が出来たことに喜びと感謝します」と記者会見で語りました。また、スポーツでも他のものでも、重度障害で世界を目指す人が“その選択が可能になる”環境を作りたいとも話していました。

高橋選手を含め、ボッチャのBC3クラスでは、アシスタントが投球を行います。高橋選手のアシスタントの峠田佑志郎さんは、大会1年前と考えていた2019年3月に職を辞し、メダルに向けた練習時間を確保しました。退路を断ったのは「東京大会で結果を残し、ボッチャにおけるアシスタント選手の認知向上を目指したい」という強い意思からでした。

写真:ボッチャBC3ペア戦メンバー 2位表彰式

結果はペア戦で銀メダル獲得。高橋選手(中央手前)と峠田さん(中央奥)は3年後のパリ大会には選手、そしてBC3ペアに必要不可欠なアシスタント雇用の動きを整え、日本ボッチャの競技環境を充実させたいと考えています。


アスリートにとって、大会出場やメダル獲得はゴールではなく、その後も人生は続きます。
「アスリートのセカンドキャリア」とは最近よく聞かれますが、自閉症のある、ひとりの競泳選手の忘れられない言葉があります。

写真:ブーケに顔を寄せる田中選手

田中康大選手は2012年のロンドンパラリンピックの競泳・知的障害クラスで初めての金メダルを獲得しました。

写真:田中選手の絵日記

私が田中選手の取材を始めたのは2016年。母・紀子さんの「競泳は人生の一部」という言葉を聞き、田中選手と紀子さん、そしてかかわる人たちの人生を見つめていこうと心に決めました。

田中選手は絵日記を毎日描いており、この絵は2017年の3月、世界選手権の選考会への記録突破ができなかった時のものです。「2020年東京大会で 3月1位でメダルを取り しゅうしょくで仕事です!」という田中選手の人生設計、そして紀子さんが普段から伝えていた「競泳だけが人生じゃない」という思い。息子がいずれ一人で生きていくことになっても「金メダルを取って就職ができていたら」その後の人生にかかわる人たちの層が広がり安心だと考えていたのではないかと想像します。

田中選手が東京大会に出場することは叶いませんでしたが、今年5月、最終選考会の時の変化に紀子さんは幸せを感じたと言います。1つは、苦手と思っていたコーチに自分から何度もあいさつをして穏やかなコミュニケーションができたこと。もう1つは、平泳ぎの決勝レースで自分は記録を突破できなかったとわかっていながら、内定が決まっていた山口尚秀選手のところに寄っていき、グータッチをして「おめでとう」と言っていたことです。

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2019年2月 練習が終わった後、榎本仁コーチ(左)とグータッチをする笑顔の田中選手(右)

田中選手は選考会後、競泳選手としては引退しました。紀子さんは取材のたびに「康大は人に恵まれている」と話してくださり、支えてくれる多くの人たちに感謝していました。田中選手はそうした人たちとともに、18年の競泳人生、そして、東京大会に向けた日々で心の成長を遂げた選手のひとりです。(10/4に一部追記しました)


■あらゆる人生に物語がある

2021年のその日に向け、様々な選手・関係者が努力を重ねた東京パラリンピック。しかし、オリンピックも同じように努力が重ねられていたと改めて私は感じています。パラリンピックは、見た目が異なっていることが分かりやすいため、「多様性」に気づきやすいですが、例えばDNAや脳、指紋などに同じものはありません。とすれば、オリンピックも「異なる人間」がそれぞれ、自分の身体の最大限のパワーを発揮しているのです。

写真:スタートする義足の選手たち

2017年7月 世界パラ陸上ロンドン 男子100m(T42)にて


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2020年8月 東京オリンピック 陸上男子100m 決勝より

また、パラリンピックを見て感動してくださった皆さんの中には「障害があるのにここまでできるんだ」という感想を持たれた方もいらっしゃると思います。パラリンピアンの唯一無二の体の使い方には驚きますが、実は障害者も健常者も関係なく、みな「それぞれの体」を自分なりに工夫して“生きている”のではないでしょうか。


2019年3月、「東京2020大会に向けたラストスパート期における重点支援」の「東京重点支援競技」が各所の合意をもってスポーツ庁から発表されました。『集中と選択』とはよく聞くビジネス用語ですが、選ばれたものにも選ばれなかったものにも、時間と人生は平等に流れています。

写真:白熱の試合を繰り広げる 車いすバスケ決勝 日本対アメリカ

東京パラリンピックで準優勝した車いすバスケットボール日本代表は、「東京重点支援競技」には選ばれていなかった


東京大会が終わり、スポーツ、さらにはパラスポーツへの支援はどこまで続くかは不明です。イギリスでは2017年、国営宝くじと政府資金でスポーツ団体を支援するGBSportsが、東京大会でのメダル獲得のための『選択と集中』を行い、車いすラグビー、ゴールボールなど7競技の支援金を削減するということがありました。

もちろん、今回「自国開催のための特別感」はあったかもしれませんが、パラリンピアンたちが気づかせてくれた「パラスポーツの多様性」、そして「多様性の居心地の良さ」を日常にも意識することで、わたしたちの生活はより心豊かになるのではないでしょうか。


長きにわたりこちらのサイトでパラスポーツを応援くださりありがとうございました。
アスリート達の人生から感じることのできたやわらかく清々しい気持ちが、人生を豊かに味わえるきっかけにつながりますよう願っています。

2022年には神戸でパラ陸上世界選手権が、2026年には愛知・名古屋でアジアパラ競技大会が開催されます。この時はぜひ観客席でも「多様性の解放感」を味わってみてくださいね。

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