スポーツが人生を変えた~1964→現在へ あるパラリンピアンの半生~ ⑤"障害"はなくならない

2017年12月22日
写真:東京・新宿の「三徳」前交差点

車いすの人たちのために車道を盛り上げて段差を解消することになった東京・新宿の「三徳」前交差点。1978年9月

スポーツが人生を変えた~1964→現在へ あるパラリンピアンの半生~
④段差が取れた後には、何が残るのか、からの続きです


⑤“障害”はなくならない

――2020年という未来に向けてはどう考えますか?
今、バリアフリー化ってよく言われるけれど、実際にバリアフリー化を成功して現実に広げている所は、誰も知らないじゃない?つまり、誰も知らないいう事は、ひょっとしたら無いんかもしれない、“それ”はまだ過程にあるわけよ、バリアフリー化が。

でも、2020年こそ、「バリアフリー化とはこういう事なんだ」いうトータルな町作りを見せる。しかも外国の人に。それってチャンスじゃあないかと。なぜなら、日本は世界の中でも有数の高齢社会じゃない?高齢社会にあって町のバリアフリー化、それは本当にみんなが住みやすくなることなんだっていうことへくっつけるべきだろうと。だからバリアフリー化を目指す事が2020年、「スポーツ大会の開催」のほかに意味あることなんじゃないかと。

というのは、スポーツってみんなができないじゃない。でも、都市に住んでいる人たちは、みんな“障害のある町”の中で生活している。つまり、町のバリアフリー化は全ての人にかかわること。それだけ大きな価値のあるものだという事。東京に来た人たちに、「これが、バリアフリー化が進んだ時の町だ」という事見せるいいチャンスではないかと。
高齢社会っていうのはそんなに暗いものじゃなくて、むしろ人間が生きる町作りの基本のような物を提起できるチャンスだと思ってます。そういう考え方があっていいんじゃないかな。

――どうしても、“少しの不安”が恐れになったり、萎縮してしまったりすると思うんです。特に年をとると、「あぁ、昔はできてたのにできなくなってしまった」と、小さな段差がどんどん心の中で大きくなってしまう。その段差を取ってみようと思うには、自分が一歩踏み出す事が大切ですね。
そうね。それと、その価値ね。小さいようにありながら、自分が小さいと思ってる事、不便に思ってる事は、同じ立場にある人はみんな不便に思ってるのよ。

――自分の段差はみんなの段差だと。
そうそう。さっき、仙台市に初めて出来た車いす用トイレの話をしたけれど、これを使ったのが、お年寄りや妊婦のお母さんだった。そこで私は気づいたの。「どこの家でも、和式トイレでお腹の大きいお母さんが用を足すのはどれだけ大変だっただろうか」と。車いす用のトイレを腰掛けて使ったそのお母さんは「てっきり私たちのために作ってくれたんだと思ってた」と言って、車いす用トイレだとは知らなかったわけ。そこから見ると“障害とは何か”という事が根本にあるわけよ。

トイレを使いにくいと言った妊婦のお母さんは、これまでどれくらいいたのだろうか?と想像してみる。人類は延々として続いてるやない?結果、洋式トイレというのは、手すりがあるし、中腰のままで良い、すっごく楽なものが出来上がっている。車いす障害者用のトイレを作ってくれと言ったら、「少ない障害者のために、なんで予算を取って作らないといけないんだ」と言われてしまうと、太刀打ちできなくなってしまう。でも、その時に妊婦のお母さんの事を思い出して「障害者のための車いす用トイレだけじゃなくて、妊婦も安心して使える、酔っぱらいのお父さんも安心して使える車いす用トイレをつくろう」と言ったら、みんなが納得してくれて。
だから、伝える事の意味を掘り下げて行く事が必要なのよ。その時に障害者は障害を持つ代表選手。自分の障害を通して、体験から歴史に触れる。自分の障害を “人間の障害”にし、それを“歴史的障害”にする事によって“普遍的な障害”が取り除かれる。私は、これが運動の始まりだと気づいた。

――面白いですね。
例えば、交通問題言うけども「バスに乗れるようにしてくれ」とか、「電車に乗れるようにしてくれ」という事じゃなく、私たち、重度障害者が、家の中でどうしたら横滑りで滑って動けるか、5センチ10センチの滑りができるかという事から考える。
和式の敷居がどれだけ重度障害者にとって、家族にとって障害になってるかという事を、障害があるからこそ分かる私たちが言うべきだろうと。そして言葉を煮詰めて行く時に、宙に浮いた理論ではなくて、自分の体、人生を通して、しいては“人間の歴史”を通して言葉を作り上げると人に伝えやすい。障害者問題を障害者が言ったら、なんだか“障害者(だけ)の問題”になっちゃうじゃない?受け取る人は、「あ、障害者の人がまた自分たちの事言ってるんだ」と通り過ぎちゃうわけ。

――「自分の段差はみんなの段差だ」と感じられるかどうかですね。
そこにこだわるかこだわらないか。段差を乗り越えるのにどれだけの労力が必要かどうかが大切だと思うし、私はそれを煮詰めるほうが好き。

――取り除かれた物を当たり前のように、幸せとして感じるのはいいんですけれど、歴史、出来上がった背景を想像してみると興味深いですね。もし2020年にバリアフリーの町が出来上がったときに、2030年の人は、2020年にどんな段差があったのだろうとか・・・。
でもね、その時代の障害っていうのがあるわけ。今はないけれども、その時代にはその時代で障害が生まれるわけ、やっぱり。それが障害なのよ。障害っていうのはなくはならないの。障害は時代と共になくなり、時代と共に生まれる


――ああ・・・。解決されてもどこかで新しく、また出て来るという事ですね。
そう。今では考えられない物が。それをなくするにはどうするかという究極の、取り除く方法を、それぞれの時代の人が言語化しないとダメだと思う。

――「言語化する」。言語化しないと“障害”と気付かない人もいますし。
気付かないと思う。しかもその言語化は、自分の体験を通して、生活を通してのものだから。
そうして生活に入って来たら、うんと年寄りから子どもまでが安心して使える段差のない社会になるよ。あらゆる意味でね。


――二年間、ダート社長が近藤さんに、段差のない経験をたくさんさせてくれたと思うんです。最初はお金をかけたのかもしれないんですけども。そしてそこから離れた時に “段差”を感じることができた。違いが分かるから、言語化できたのですね。
普通のような生活していたら、こういう言語化はなかなかできないと思う。生活に密着した言語化っていうのは。

――もし、生まれた時から段差の中に囲まれて生きていたら、段差と思っていないかもしれない。
思わないよ。そして気づかないんじゃない。しかし、それが“段差のない社会”なのよ。
えー?と言うだろうけれども。段差のある時代を経験して来た人間から見ると、それが段差のない社会となるのよね。でもね、新たな段差は常に生まれつつあるよ。やっぱり杞憂を常に持たないと、今の段差には気づかなくなっちゃうだろうね。
私は、自分が障害を持った事によって、段差というものが人間にとってどういう役割をするか。そしてひとつの小さなチャンスが、どれだけ人間の人生を変えるものかという事を知ってるから。私が話をすると、それに関連した話にはなっちゃう、なにを話しても。それが私の特長みたいです。

とんでもないほうに話が流れていきましたね。
私は、これから伝える機会はこれからはなくなるだろうけども、今度はあなたが伝えて下さい。


――がんばります、ありがとうございました。

写真

近藤秀夫さん
16歳で事故にあい、障害者施設で長く暮らしていたが、29歳のときに1964東京パラリンピックに出場。車いすバスケやアーチェリーなど、6種目に出場した。

スポーツが人生を変えた ~1964→現在へ あるパラリンピアンの半生~
①1964年大会、一番の思い出
②ジャスティン・ダートが残してくれたもの
③障害が、私を引っ張りまわした
④段差が取れた後には、何が残るのか
⑤"障害"はなくならない


【関連動画】2020につなぐスロープ 東京 渋谷区 代々木公園(2018年5月8日)

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