もう一度、勝負の世界へ~パラテコンドー太田渉子~

テコンドー 2019年3月20日
もう一度、勝負の世界へ~パラテコンドー太田渉子~

冬季パラリンピックのメダリストが、2020で再び世界へ―。東京パラリンピックで初めて採用される新競技・テコンドー。国内の女子で唯一、強化指定選手に選ばれているのが、太田渉子選手(29)です。スキーのトップ選手としてパラリンピックに3大会連続で出場。14年のソチ大会で引退しましたが、未知の競技に再び“アスリート”として挑むことを決意しました。太田選手を突き動かしたものとはー。

(取材:中野淳アナウンサー、原大策アナウンサー)

2019年2月に開かれた全日本テコンドー選手権(青が太田選手)。胴体に装着したプロテクターに蹴りがクリーンヒットするとポイントになる。

パラテコンドー・・・東京パラリンピックでは上肢に障害がある選手のキョルギ(組手)が実施。ルールは一般のテコンドーとほぼ同じ。胴体への蹴り技のみが有効で、頭部への攻撃は禁止されている。
2015年に東京パラリンピックでの初採用が決まり、国内では強化が急ピッチで進む。



冬季パラリンピックに3大会連続で出場。生まれたときから左手の指に障害があり、ストック1本で滑る。


■心のエネルギーがゼロに
クロスカントリースキーが盛んな山形県尾花沢市出身の太田選手。2006年のトリノ大会に高校1年生で出場してバイアスロンで銅メダル、続くバンクーバー大会ではクロスカントリースキーで銀メダル。14年のソチ大会ではメダルには届きませんでしたが、開会式で日本選手団の旗手を務めました。
同年4月に「やりきった」と引退を表明。当時は「これまで十分競技をさせてもらい、満足している。心のエネルギーが今は本当にゼロなので、一度スキーを離れて自分の時間を作りたい」と語っていました。


■スポーツの楽しさに再び気づいたテコンドー
引退後はパラスポーツの普及に関わりたいと思っていた太田選手。15年夏に、普及イベントでたまたまパラテコンドーの存在を知ります。最初は体を動かすリフレッシュの目的で道場に通い始めましたが、「趣味でやっていくうちに、スポーツって楽しいなっていう気持ちがまた芽生えてきたんです。純粋にスポーツを楽しみながらまた大会に出たいなって」。
東京パラリンピックの新競技にも関わらず、国内に女子選手がいない状況も太田選手を後押ししました。「せっかく日本で大きな祭典があるのに日本の選手がいないと盛り上がりに欠ける。今始めなければもう間に合わないというか、ラストチャンスだと思いました」。
決断を下すために、18年1月の全日本テコンドー選手権大会に出場。再びアスリートとして東京を狙う覚悟が決まりました。


■トップスキーヤーの経験がテコンドーの力に
雪上のマラソンとも言われるクロスカントリースキーから、足のボクシングとも言われるテコンドーへの転身。最初に全日本の合宿を見たときは、華麗な足技と身体能力の高さに圧倒されたといいます。しかし、スキーでいくつもの壁を乗り越えてきた経験が、太田選手を奮い立たせます。
「難しいことにチャレンジしたいというか。簡単にすぐできてしまうことよりも、全く新しい体験をしてみたいという気持ちがあって。一般の中学・高校に通っていたときも、スキーだけは(みんなと)一緒にできなくて最初はすごく嫌いなスポーツだったんです。でも、そこでどうやったらできるようになるか練習を重ねていくうちにできるようになったので」。

都内の道場で、男子選手を相手に練習に励む。テコンドーはスタミナ勝負で、冬でも汗びっしょり。


スキーで鍛えた「下半身の安定感」も強みになりました。下半身が安定していると、体がぶれにくく、正確な蹴りを繰り出すことができるのです。
太田選手が通う道場の師範で、全日本テコンドー協会の強化委員長でもある小池隆仁さんは、目覚ましい成長ぶりに驚いています。「体幹がすごく強いですね。ポテンシャルはあるので、あとはそれを出し切ることだと思うんです。当然、東京ではメダルを狙っていきます」。
引退して落ちた体力も、太田選手は徹底した走り込みで克服。その意欲と吸収力は、オリ・パラ合同で合宿をしているテコンドーにおいて、オリンピックを目指す選手たちにも好影響を与えていると小池さんは言います。「やはりスキーの世界でトップ選手だったことが大きいですね。愚直に、1つずつ積みあげていく大切さを周りに示していると思います。目標に向かってどうやって進めていくのかというところでは本当に参考になる選手です」。



■パラスポーツの普及も使命に

 都内の職場で、スポーツ指導の支援システムの開発に取り組む太田選手。競技活動と業務を両立している。


太田選手は、競技以外でもパラスポーツの普及に力を入れています。去年10月に大手通信会社へ転職。開発を進めているのが、スマートフォンなどを使ったスポーツ指導の支援システムです。選手が練習の動画を送れば、離れた場所にいるコーチから指導を受けることができます。
「身近に指導者がいないパラスポーツにも導入することで、さらに多くの人にスポーツを楽しむチャンスを広げたい」と太田選手。3度のパラリンピックを経て、国内のスポーツ環境を変えていくことも自らの使命と感じています。


■世界へ近づく日本のパイオニア
今年2月、太田選手は東京パラリンピックに向けて大きな手ごたえを得ました。トルコで開かれた世界選手権で初めて銅メダルを獲得。準々決勝では、世界ランキング1位の選手に競り勝ちました。オリ・パラ合同での合宿の積み重ねが、自分でも驚くほどの成績につながったといいます。しかし、「ノーマークで勝たせてもらったところもあります。今は自分ができる技を1つ1つ出していっている段階ですが、相手に合わせた蹴りやタイミングの精度をあげていきたいです」。

今年2月の全日本選手権では、パラ・キョルギ(組手)に女子選手が3人出場。
「去年(強化指定選手の選考会)は私一人で試合ができなかったけど、一緒に東京を目指す仲間ができて心強いです」。


本格的に競技に取り組んで1年あまり。世界選手権後の全日本選手権では貫禄の優勝。「2020に選手として出るからにはやはり最高の技術を身につけて、そのパフォーマンスを見に来てくれるお客さんに届けたい」と、決意を新たにしていました。

一度は“心のエネルギーがゼロ”になってからの再挑戦。厳しい競技の世界に挑み続ける原動力はどこにあるのか。太田選手はやわらかい笑顔で、こう語りました。
「スポーツは一番、自分が自由になって、輝ける場所だなと思っています。競技というか、選手という立場はすごく居心地がいいというか、それだけで生きてる感じがするんです」。
アスリートであることの喜びを再び与えてくれたテコンドー。2020で輝くために、太田選手の挑戦は続きます。




中野淳アナウンサー
2006年入局。高松局、沖縄局をへて、東京アナウンス室へ。
2017年4月から「ハートネットTV」のキャスターとして、福祉とスポーツ双方の視点からの発信を続ける。

 

原大策アナウンサー
2004年入局。北海道・大阪・奈良などの各局で地域活性化や伝統文化などを取材。
現在「首都圏ネットワーク」リポーター・「きょうの料理」司会を担当。



スポーツライター 宮崎恵理

スポーツライター 宮崎恵理(みやざき・えり)

出版社勤務を経て、フリーのライターに。1998年の長野パラリンピックを機に障害者スポーツの取材に携わり、雑誌「Tarzan」ほか「スポーツグラフィックナンバー」などで執筆。現在、「Tarzan」「それを最大限に活かせ! パラアスリートGO!」の連載を展開中。12年ロンドン・パラリンピック、14年ソチ・パラリンピックではNHK開会式中継解説を担当。著書に『心眼で射止めた金メダル』『希望をくれた人』。日本スポーツプレス協会理事、国際スポーツプレス協会会員。

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