忘れられない“エール” ~中村裕の情熱に触れて③

2019年8月20日
写真:中村裕医師

1964年11月、オリンピックの興奮さめやらぬ中、開幕された東京パラリンピック。日本選手団団長を務めたのが、“日本パラリンピックの父”と呼ばれる中村裕医師です。中村医師と関わりのあった方々の証言をもとに、その情熱の人生を紹介します。

※この記事は2018年8月13日に掲載されたものを元に、再構成いたしました。

写真:太陽の家理事長 山下達夫


◆「中村先生を知ってほしいです」。山下達夫理事長に聞く。

――中村先生と山下理事長との出会いを教えてください。
1977年に、18歳で太陽の家に訓練生として入所したのですが、3か月ほどたったころに中村先生が太陽の家にいらして、職場を巡回されたんです。お顔を拝見する程度だったんですが、それが最初の出会いだったと思います。訓練生でしたから、先生とお話しする機会はなかったですね。雲の上の存在でした。

――初めてお話をされたときの印象は?

1983年に三菱商事太陽という、三菱商事と太陽の家の共同出資会社を設立して、その調印式の時に初めて先生と話すことができたのですが、先生の印象は、厳しさの中に温かさがあり、安心できる方だと感じました。
調印式が1983年11月末だったのですが、先生はその時すでに体調を崩されていました。式が終わって先生をお送りしたとき、車の後部座席の窓を開けて手を差し伸べて、私の手をしっかり握って「この会社は君たちが頑張んないと成長しない会社なんだ」と。私の目を見て、「しっかり頼んだぞ」と言ってくださったんです。あの温かさ、手の感触が、今でも残っています。あれはもう、忘れることができないです。

――中村先生が山下さんに思いを託したわけですね。

当時は社員が14名でしたが、先生は将来この会社を50名規模にしたいとおっしゃっていました。「IT関係の仕事であれば、在宅就労できる。将来、パソコンは一家に一台の時代になるんだ」と、35年前にそんなことを言われていたんです。先見の明があった。2014年に三菱商事太陽の社長に就任して、在宅就労を軌道に乗せました。今、社員は約100名です。先生の目標の2倍になりました。

写真

多くの車いすユーザーが働く作業所

――中村先生に出会ってからご自身に変化はありましたか?

太陽の家の理念に「No Charity, but a Chance!(保護より機会を)」という言葉があるんですが、入所する前から、この理念を持つ施設であれば自立できると思っていたんですよ。実際に入所して、努力して、自立することができて、自分の夢がかないました。

――その夢というのは?

私は「家族を持つ」ということでした。訓練生で入って、自立を目指し、職員の女性と結婚しました。その当時ですから、非常に反対を受けました。私に重度の障害があるものですから、妻の家族に反対を受けたんです。結婚を申し込んだときに、障害を持っている私でいいかと彼女に尋ねると、「好きになった人が障害者だった」と言ってくれました。のちに、私と妻の間に子どもが産まれると、妻の親の態度も180度変わりましたね(笑)。

――訓練生が太陽の家の職員と結婚するというのは、ドラマの中に出てくるエピソードですね。

自分がドラマの登場人物のモデルかはわからないですけど(笑)、中村先生が太陽の家を作らなければ、自立して家族を持つという今の私はここにはなかったと思っています。本当に中村先生には感謝していますし、恩返ししたいとずっと思っていました。太陽の家の理事長という立場になりまして、なんらかの形で恩返しできるのではないかと思っています。

――印象に残っている言葉はありますか?

「とにかく障害者を甘やかしてはいけない。働いて納税者になってほしい。そのためには、働くチャンスが必要である」という言葉が、私の中で残っていますね。

――2020年のパラリンピックに期待することは?

今でこそパラリンピックって当たり前になっていますけど、障害者スポーツをここまで発展させたのはやはり中村裕の尽力があったからだと思っています。これは忘れてはいけないと思います。障害のある方、それ以外の方も、中村先生を知ってほしいです。スポーツを通じて、障害のある方もない方も、普通に暮らせる、普通にスポーツできる、共生社会になってほしいと思っています。

写真

山下 達夫(やました たつお)
1977年太陽の家に入所。2014年三菱商事太陽株式会社の社長に就任し、2016年6月から2018年6月まで同社会長。2018年6月、障害者として初めて「太陽の家」理事長に就任した。

◆日本パラリンピックの父・中村裕

写真


1964年11月8日。オリンピックの興奮さめやらぬ中、東京パラリンピックが開幕しました。その東京パラリンピックで日本選手団団長を務めたのが、“日本パラリンピックの父”と呼ばれる医師・中村裕です。

中村裕医師は、大分県別府市に生まれ、1951年に九州大学医学部を卒業。整形外科医として国立別府病院で脊髄損傷患者の治療にあたっていた1960年、研修先のイギリスでスポーツを取り入れたリハビリテーションを学びます。

帰国後、障害者スポーツを日本で広めることに尽力し、1964年東京パラリンピックを開催するために奔走。同大会では、日本選手団団長を務め、成功に導きました。1965年、障害者の自立と就労を支援する「太陽の家」(大分県別府市)を設立。障害者スポーツの振興と障害者の社会復帰に大きな貢献を果たした人物です。


2018年に放送したドラマにドキュメンタリー取材を加えたものを放送します。

『太陽を愛したひと 1964あの日のパラリンピック』ドラマ&ドキュメンタリー
【放送日時】2019年8月25日(日)[BS1] 夜10時~11時50分
【脚本】山浦雅大
【原案】三枝義浩「太陽の仲間たちよ」
【音楽】栗山和樹
【歌】サラ・オレイン
【出演】向井理 上戸彩 志尊淳 安藤玉恵 山口馬木也 尾上松也 飯豊まりえ 田山涼成 松重豊 / 岸惠子

◆関連記事
日本はやっと中村先生に追いついてきた ~中村裕の情熱に触れて① プロデューサー水野督世

「遺志を継がねばいかん」と思っています~中村裕の情熱に触れて② 1964年東京パラリンピック出場 須崎勝巳

おすすめの記事