日本はやっと中村先生に追いついてきた ~中村裕の情熱に触れて①

2019年8月16日
写真:中村裕医師

1964年11月、オリンピックの興奮さめやらぬ中、開幕された東京パラリンピック。日本選手団団長を務めたのが、“日本パラリンピックの父”と呼ばれる中村裕医師です。中村医師と関わりのあった方々の証言をもとに、その情熱の人生を紹介します。

※この記事は2018年8月13日に掲載されたものを元に、再構成いたしました。

写真:水野督世プロデューサー

◆ドラマ『太陽を愛したひと 1964あの日のパラリンピック』はなぜ制作されたのか?水野督世プロデューサーに聞く

――『太陽を愛したひと』の企画が生まれた経緯を教えてください。

2016年のリオオリンピックが終わって「2020年に向けて何かいい企画ないかなあ」と思いながらパラリンピックのことを調べていたら、中村先生の名前が出てきて。「この人はどんなことをしたんだろう」と調べるうちにこれは絶対にドラマにしたい、と思ったんです。2017年の6月ごろから脚本家の方と一緒に取材をさせてもらって、その年の暮れには脚本ができ上がりました。

中村先生の奥様にお話を伺ったとき「太陽を愛する人だったんですよ、あの人は」っておっしゃったんです。それがもうすごく胸にキュンときて。その場で、もうこれは絶対にドラマのタイトルにしようと思いました。

――2年間のドラマ制作を通じて、中村先生はどんな方だと感じましたか?

エネルギッシュですね。中村先生の秘書をされていた方に話を伺った時に「あっちに行ったりこっちに行ったり。本当にお忙しい方でした。それについていくのが大変で、でもついていきたくなる人でした。あの人についていけば何か変わるんじゃないかって」と伺いました。何かそういうものを持った人だったみたいですね。逆に言えば、敵も多かったと思うんです。でも、中村先生についていこうという人もどんどんどんどん増えていったようですね。

中村先生のご子息は、先生は医者よりもプロデューサーが向いていたんじゃないかな?とおっしゃるんです。「これをお願いするのなら、誰と誰を連れて行けば先方は断れないよ」って。そういうプロデュース力と、周りの人が彼に対して“なんかやってくれそうだ”という期待もあったのではでしょうか。

――ドラマには収まらなかったけれど、伝えたかった部分はありますか?

1964年以前の第一回ローマパラリンピック大会は、脊髄損傷の方だけの大会だったのですが、東京パラリンピックで初めて視覚障害や手足の切断などの他の障害のある方たちが参加したんです。現在のパラリンピックの基盤を中村先生が作られたって、すごいことだと思います。

それから、中村先生は1984年に57歳という若さで亡くなられたのですが、パラリンピックのすぐ後、すでに体調を崩されているんです。医師ですから、ご自身の身体のことは十分わかっていらしたのでしょうね。だから半ば強引に、急いで物事を進めていったのかなと。57歳までを駆け抜けたってことですね。

写真:ストーク・マンデビル病院から来たイギリスチーム

パラリンピック発祥の地、ストーク・マンデビル病院から来たイギリスチーム

――大会時、日本人選手は外国人選手を見てとても驚かれたそうですね。

すごい衝撃だったと思いますよ。外国人はみんなすごく明るくて。女性を口説いてきたり、転んでも笑っていたり(笑)。お酒を飲んで騒いでいて、日本人選手も、携わっていたボランティアの方々も、衝撃を受けたと思います。聞けばみんな仕事も持っているし、結婚もしている。中村先生も、本当に日本もどうにかしないといけないと改めて思ったんでしょうね。

1964年のパラリンピックは、障害者のスポーツや自立に対しての考え方、見方を変えたんです。見方を変えなくちゃいけないと思っていた人はたくさんいたけど、どうしたらいいかわからない。でも中村先生が先頭を切ってくれたことで、みんながついていったのではないかなと思います。

太陽の家に行くと「保護より機会を」と書いてあるのですが、今やっと日本も追いついてきているのかなって。中村先生の先見の明というのはやっぱりすごいなと。世間の障害者に対する目が違ったわけですから、いろんな人と戦ったと思いますよ。大変だったと思います。

――スポーツがひとつの“機会”になったのですね。

勝負に勝つことや順位も大切ですけれど、みんなでスポーツに取り組むということが心のリハビリになるということを、今回改めて感じました。中村先生もイギリスで学んだときに「自分たちの仕事は、骨をつなげて退院させていくことだけだったけれど、イギリスではスポーツをリハビリに取り入れて心のケアまでしているのか」というところにとても驚いて、その時に日本の後れを感じたのかなと思います。スポーツの役割って大きいんですね。

――2020年のパラリンピックに期待することは?

日本は障害者にとって住みやすいかというと、例えば建物や道路のハード面のバリアフリー化は進んでいるけれど、心のバリアフリーというか、ソフト面はまだまだ後れているのでは。中村先生は50年前に“障害者の自立”という部分で世界との壁を感じていた。それと同じだと思うんです。2020年はそういったソフト面が変わっていくのではと期待しています。

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水野督世(みずのまさよ)
「スペシャルドラマ 太陽を愛したひと~1964 あの日のパラリンピック~」プロデューサー。プロデュース作品に「定年女子」(2017年)など。


◆日本パラリンピックの父・中村裕

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1964年11月8日。オリンピックの興奮さめやらぬ中、東京パラリンピックが開幕しました。その東京パラリンピックで日本選手団団長を務めたのが、“日本パラリンピックの父”と呼ばれる医師・中村裕です。

中村裕医師は、大分県別府市に生まれ、1951年に九州大学医学部を卒業。整形外科医として国立別府病院で脊髄損傷患者の治療にあたっていた1960年、研修先のイギリスでスポーツを取り入れたリハビリテーションを学びます。

帰国後、障害者スポーツを日本で広めることに尽力し、1964年東京パラリンピックを開催するために奔走。同大会では、日本選手団団長を務め、成功に導きました。1965年、障害者の自立と就労を支援する「太陽の家」(大分県別府市)を設立。障害者スポーツの振興と障害者の社会復帰に大きな貢献を果たした人物です。


2018年に放送したドラマにドキュメンタリー取材を加えたものを放送します。

『太陽を愛したひと 1964あの日のパラリンピック』ドラマ&ドキュメンタリー
【放送日時】2019年8月25日(日)[BS1] 夜10時~11時50分
【脚本】山浦雅大
【原案】三枝義浩「太陽の仲間たちよ」
【音楽】栗山和樹
【歌】サラ・オレイン
【出演】向井理 上戸彩 志尊淳 安藤玉恵 山口馬木也 尾上松也 飯豊まりえ 田山涼成 松重豊 / 岸惠子

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