中西麻耶・女王誕生までの“軌跡” -ごとうゆうき・パラ陸上世界選手権2019-

陸上 2019年11月29日
写真:笑顔で国旗を背に広げる中西麻耶

2019年11月11日-
中東・ドバイの陸上競技場が大きな歓声に包まれました。

パラ陸上の世界選手権、T64(下腿義足)女子走り幅跳びで、5本目を終えて4位だった中西麻耶(なかにし・まや)選手が、最終跳躍で5m37を出し、逆転で金メダルを獲得したのです!

この記録は中西選手の今シーズンのベストを30㎝以上更新するものでした。

スタジアムの特設スタジオで生中継に出演していた私は、放送終了後、中西選手のもとへダッシュで向かいました。

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優勝確定後のインタビューを終えたばかりの中西選手(右)と、特設スタジオから走ってきた私(左)

モニターを通して見た金メダルが確定した瞬間の「涙」はもちろんですが、各メディアのインタビューを終えた後の中西選手の「表情」はいまでも忘れられません。

単純にうれしい、だけではなく、ほっとしたような、安堵したような気持ちも混ざっている、そんな表情。
その表情を目にしたとき、私は約1か月半前の大分での、中西選手の言葉を思い出したのです。

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6本の跳躍を終え、涙を見せる中西選手(クリックすると動画ページに遷移します)


■「荒川コーチとのコンビネーションを、見てください」

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2019年9月、地元・大分にて練習をする、荒川大輔(あらかわ・だいすけ)コーチと中西選手。この日は土砂降りでしたが、大阪からきた荒川コーチと練習に取り組んでいました。


1か月半後のパラ陸上世界選手権、どんなところを注目したらいいでしょうか?
そう尋ねた私に、中西選手はこう答えたのです。

「荒川コーチとのコンビネーションを、見てください」


荒川コーチは過去、陸上世界選手権に日本代表として2度出場した、走り幅跳びの元トップアスリート。

前回、2017年にロンドンで行われたパラ陸上世界選手権で銅メダルを獲得している中西選手ですが、このときも最終跳躍での「逆転の銅メダル」でした。

「ロンドンのとき、最終跳躍の前に観客席を見たら、関係者みんなが不安そうな表情だったんです。『なんだよ、私は跳べるのに!』って思って、跳びました。でも今回の荒川コーチは、最後まで表情が変わらずに、鼓舞し続けてくれる。それに、私がどう応えるか。そうした2人のコンビネーションを見てください!」


中西選手のこの言葉に、荒川コーチへの全面的な信頼を強く感じました。

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雨の中練習する2人。私も夢中になってそばで跳躍を見たり、写真を撮ったりしました。

荒川コーチが中西選手を指導するようになったのは…

「もともと、知っていたんです。イベントなどで会って、その時々に相談をしていました。ことしシーズンインから調子良くなく、体調も崩してたので、なにかを変えたいんですけど、変えるのがちょっと難しいな…となっていた時に『もうやばいです!1回見てほしい!』と4,5月くらいにお願いしました」

この、何かを変えたいと思ったときの行動力が、中西選手を支えているのだと私は感じます。
例えば、2008年の北京パラリンピック後から、2012年まで中西選手のコーチをしていたのは、アメリカのアル・ジョイナー氏(ロサンゼルス五輪三段跳び金メダリスト)。この時も単身渡米し、オリンピック・トレーニング・センター(OTC)の門を叩きました。

今回は、荒川コーチへの門を叩いたことが、金メダルという結果につながったのではないかと思うのです。

写真:雨の中跳躍をする中西

「助走もばらけてきてるし、踏みきりもうまくかみあわないし、踏みきった後も身体がちょっとねじれて(前方向への力を)ロスしちゃうし。なんか全部があんまりいい方向になってなくて。でも、じゃあどうしたらいいのだろうという時、どうしても『義足だから(跳躍がうまくいかないと見られてしまう)』となるのがネックになってきていました」

「基本、私が今まで自己流で頑張ってやってきた部分は大きいと思うんです。跳び終わった後に今の跳躍が良かった・悪かったことの評価はできるんですけど、じゃあ悪かった時になにをどう変えればいいのかとか、なにが悪かったからうまくいかなかったのか、までは理解ができてないんですね。そうした専門的なところを教えてもらって、自分1人での練習になった時にでも、いま悪かったのはここが悪かったからなんだ、というのを習得するのが今はまず一番かな」

荒川コーチの指導は、今までとは何が違うのでしょうか。

「いろんな方に見てもらって、みなさんいい指導をしてくれるんですけど、どうしても“義足”というところにとらわれすぎちゃうところがあったんです。例えば、『今の跳躍は義足の反発があんまり良くなかった』と言って、義足重視の練習になったり、義足中心の評価になったり。
でも、その反発を生みださないといけないのは私なんですよね。荒川コーチは全然義足にとらわれずに評価してもらえるので、本当に幅跳び選手らしい普通の指導をしてくれるんです。だからもう本当、超スタンダード」

写真:中西

「今振り返ってみると、アル・ジョイナー氏に教えてもらったことって大きかったと思うんです。すごい“普通”に教えてもらっていて、技術的にもたぶん、今振り返っても、腕振りも今みたいに流れてなかったんですよね。あの時の練習が合ってたと思う。そこにもう1回戻れた感じはあります。」




■信頼が、大きな決断を後押しした


今季の中西選手は、もう1つ大きな変化がありました。
それは「義足を変えた」ことです。

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土砂降りの中、夢中で取材をしていたらずぶ濡れになってしまって、逆に中西選手と荒川コーチに心配をおかけしてしまいました・・・

義足を変えたのは、荒川コーチからの提案だったそう。

「変えたのは、義足の形と、カテゴリー(硬さ)も思い切って3段階変えたんです。今までは、硬かったんですけど『無理して力を入れているんじゃないか』と言われて」

形だけでなく、硬さも変えることは、義足アスリートにとって、それまで自分の脚のように扱っていたものが自分の脚“ではなくなる”ことを意味します。

「普通、あと1年ちょっとで東京大会だと思った時に変えたくないと思うんですよ。義足も、練習内容も。自分はこれで跳べるようになったんだと思ったらそれを続けたいと思うんですけど、私の場合は、元々テニスをしていて、陸上に転向した時の決断の気持ちのほうが大きかったんです。全く畑違いのスポーツに、しかも成人した後に変えるって成功するかどうかもわからないじゃないですか。
だから、今こうやってちょこちょこ変えるというのは、私の中では全然難しいことじゃないし、挑戦するだけの価値があるなと思っていて。(新しい義足は)まだまだ、自分の脚にはなっていないんです。義足に助けてもらってる部分が大きいと思います」

荒川コーチ「新しい義足は、つま先の部分が以前のより長くなっているんです。今までは、パンって地面に突いたらそのまんま行ってたけど、つま先が長い分、インパクト(踏み込む瞬間)から転がる、(※イメージ補足:かかとからつま先までの距離を重心移動していく感じ)といったらいいのかな。
今までは、(距離がなく)一点だけで、竹馬みたいな感じだったんですよね。それが、より“足”に近くなったんです。それで、できることが不得手に、そして弱点がどんどんでてきたと思います」

そこで、課題は何ですか?とお聞きすると、「めっちゃいっぱいあるんです」と口をそろえて話していた2人。
一番のテーマは「走り」だそうです。

「走りをもう一度基礎からやっている、というのが大きいです。歳取ってくると、ちょっと走ると息も切れるし、身体もしんどくなるし、いやだなと思って回避していて。周りも気使ってたと思うんですよね。義足だし、『本人がそうやって言うんだったら、じゃあこの練習やめとこうか』とかいって、気づけば長い距離はあまり走らないようになっていたんです。
でも、今はもう1人で練習してても、週に1回ないし2週間に1回ぐらいは150mとか走らないといけない。それも1本サッと走るだけじゃなくて、3本ぐらいはいかないと」

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中西選手の横で走りを確認する荒川コーチ

「荒川コーチに言われて、走りを見直すようになって少しずつ変わってきました。走っていく中で、身体ってこれだけ倒してもこけないんだというのがわかって。それがわかると、幅跳びの時にやっぱりここぐらいまで上体を下げててもいいんだとか、こういうふうに入っていけたら、跳躍ラクなんだとか。今までは力でねじふせるじゃないけど、もう元気だけでいっちゃえみたいなところがあったんだなと気づいたんです」

今季から大手義足メーカーのサポートを受けられるようになった中西選手。

「本当に、すごく大きかったです。今まで、義足に年間500万円くらいかかってますから。金銭面的にも心配しなくていいことだけでなく、トップブランドですから。そこに認めてもらえたことで、気持ちが全然変わりました」

一時は資金難により、写真集を出版したことが話題になりました。
こうした変化も中西選手の「変化」を後押ししたのではないでしょうか。



■“自分次第”を証明したい―大分に、とどまるのは


荒川コーチは大阪にお住まい。中西選手は地元大分が拠点です。
東京や、大阪に住めば、いろんな機会や、指導してくれる人や、練習場所がある中でなぜ“大分”なのでしょうか? その問いかけに中西選手は、次の言葉を一気に答えてくれました。

「わたし、すっごいド田舎で育ったんです。今でこそコンビニが1軒できたけど、前まではなかったような、習い事の場もあまりない環境で育ってきました。そんな中でも、やっぱり自分でやりたいことであったり、目標を持ってそのためにやっていったりするのに、どうしたらいいのか、こうしたらいいかもって工夫をして頑張ってきたんですよね。

でも、どんどん大人になっていくにつれて、失敗したくなくなってきますよね。周りの人を見てると、すごい殻に閉じこもりやすくなる。自分が今、生きてる環境がこんな不便な所だからそもそも仕方がないとかいって、夢を見たり、挑戦したりすることをやめて、その環境に埋もれちゃうイメージが大きかったんです。

そんな時に事故にあって“障害者”になりました。障害者になった私は、脚を失ったということよりはとにかく周りの人に『あなたかわいそうだね』って(脚を失ったことを悲しんでいるようには見えないから)、障害者になったことをわかってないみたいって言われたことが一番ショックだったの。
脚を失ったんですけど、心がなくなったわけじゃない。中西麻耶の人生というのはずっと続いてるのに、周りは脚を失った瞬間に要するに弱者であれと私に言ってるわけですよ。それに気づいてないあなたはもっとかわいそうだねと思って。ああ、そういう世の中なの?というのも感じました。

でも、変えたいと思ってアメリカに飛びだしていったら、バッシングが本当にすごくて。そのバッシングも、当時は私が悪いのかな?と思ってたんですけど、今34歳になって人生を振りかえった時に冷静に見ると、本当は誰でもチャンスがあって、できることならやってみたいって気持ちがあるけど“できない自分の勇気のなさ”の悲鳴として、私に言ってきてたんじゃないのかなと、今の歳になってわかるんです。

だったら、いい環境の中でエリート街道を進んでいくよりかは、地域でもできるんだよというのをいろんな人に見てもらいたいと思ったんです。私は、人生というのはどんな環境とか、どんな男だろうが女だろうが、どこの国の人かとか黒人白人とかも関係なく平等にみんなにチャンスはあって、ただ本人がなにを選んでいくかだけだと思うんですよ。

でも、勇気がないと大変なことも多いから、その勇気が出せない理由づけに、例えば環境とか、長男だからとかを理由づけにしてるだけであって、基本的には、人生というのは自分でつかんでいくし切りひらいていく。そのためには、環境・モノ・人、関係ないんだよというのをたくさんの人に知ってもらいたいと思うんです。

特に大分の人には『成功したい人は福岡に行くんじゃ』とか言われることもあるんですよね。私も『どうせ東京に行ってしまうんやろう』『もう遠い人になったわ』とよく言われることあるんですけど、どちらもそうじゃなくて。

やっぱり、この環境でもできることはあるから、生かすのは自分次第ということを絶対証明するというのが、私が競技をする上で2つ目の目標ですね。1つ目はもちろんメダルを取るというとこですけど、もう1個は「生かすも殺すも自分次第だと示すこと」なんです。

アル・ジョイナーさんがよく言ってたのが『プロスポーツ選手だったら、社会にどれだけ影響与えてなんぼのところだから』ということ。『どんなにすごい金メダリストでも、社会を変えることができなかったら、ただの金メダリストだ』だと。陸上って100、200、400…いっぱい種目あるから、じゃあ金メダリスト何人いるのかといったら全部の種目分の金メダリストが何十人といるわけじゃないですか。でも、社会に影響を与えられない選手は、いくら金を取ってもその中の1人でしかないというのすごく言われて。

予選落ちだろうが、オリンピックに出ることができて金メダルを取っただろうが、社会に対してなにか貢献することができている選手というのが“価値のあるスポーツ選手になることだ”とすごい言われて。それを教えてもらった時に、スポーツってすごいなと思って。
だから、そういう選手になりたいんです、できるかわからないですけど」

写真:涙を見せる中西

この言葉を改めて読み返すと、金メダルを取ったときの涙が、また違って見える気がします。

・・・

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金メダルを獲得し、メディアへの取材に長時間対応した後の中西選手に「おめでとうございます!」と伝えに行ったところ、中西選手の口から出てきたのは、「雨の中ずぶ濡れになって取材してくれたね〜」という私へのねぎらいの言葉でした。


競技終了後、「今回のメダルは本当に大きいし、あれだけのプレッシャーの中で最後に最高のジャンプができたのは、なかなか褒めない自分でもしっかり褒めることができます」と喜びを語っていた中西選手。

そして、荒川コーチの存在がとても大きかった、と話していました。

その荒川コーチは試合前、「最近は、踏み切りと助走がかみ合っていなかったので、そのバランスを整えてたんです。きょうは試合前の練習でもコンディションがよさそうだったから実力どおりならいい記録を出せるんちゃうかな」と話していました。

金メダルが決まった直後、特設スタジオの横を通りかかった荒川コーチにお会いしたのですが、
「強いよなぁ、ほんと強いよなぁ。心がほんと、強いよなぁ」と繰り返しつぶやいていたのが印象的でした。
そして、「プレッシャーのかかる最後の1本であのパフォーマンスを出せるのはすごい。彼女の頑張りを褒めたい」とたたえていました。

これから、新しい義足を「自分の脚」として扱えるよう、練習をさらに積み重ねていきますと話していた中西選手。
新たな世界へ踏み出します!

中西麻耶(なかにし・まや)|T64(下腿義足)女子走り幅跳び
大分県由布市出身の34歳。21歳のときに仕事中の事故で右脚を失う。2007年から陸上を始め、パラリンピックには2008年の北京大会から3大会連続で出場。ダイナミックな跳躍でリオデジャネイロパラリンピック4位入賞、おととしの世界選手権で銅メダルを獲得。
去年のアジアパラ大会で金メダルを獲得し、東京パラリンピックでは自身初のメダル獲得を目指している。
好きなものは魚と鶏肉。それらや野菜を含めて、地元・大分の食材が大好き。


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後藤佑季
後藤佑季

後藤佑季(ごとう・ゆうき)

1996年7月30日生まれ 岐阜県出身 聴覚障害(人工内耳使用) 【趣味・特技】料理、カメラ、書道準五段、手話技能検定準2級 【スポーツ歴】陸上(100m走など短距離)、水泳、バドミントン 【抱負】私の聴覚障害(難聴)のような『目に見えない障害』の存在を伝え、様々な障害のある人とない人との橋渡し役になれたらと思っています。自分の身体ではないものを最大限に生かし、自らの可能性を広げる、超人たちの「常識を超える瞬間」を多くの方にお伝えしていきたいです!

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