「普通って、なに?」を聞いてみた vol.4-慶應義塾大学教授・中野泰志 |written by ごとうゆうき

2020年2月13日
写真:書籍の前に座る中野泰志 慶應義塾大学教授

「これくらいのダイエット、普通でしょ」
「静かにしなさい!普通、こんなところでは騒がないでしょ」

――世の中には「普通の○○」という言葉があふれている。けれど「普通」っていったい何なのだろう。
ことしに迫った東京パラリンピックの目標の1つは「共生社会の実現」。それは1人1人が「そのまま」でいることを認める、多様性を重んじる社会のはず。
今の日本で、本当に多様性って認め合えるのだろうか…?

そこで私は、様々なジャンルの方との対談を通して、「普通」とはいったい何なのかを模索し、「普通」にとらわれない「共生社会」を作るヒントを探っていきたいと考えました。

Vol.4:「普通とは、自分の普通と思うことが問題なくできること」-中野泰志

今回は、慶應義塾大学でバリアフリー/ユニバーサルデザインについて研究をしている中野泰志教授にお話を聞きました。
中野先生は、私が大学入学直後から在学中ずっとお世話になった恩人でもあります。
岐阜から上京し、右も左もわからない聴覚障害の私に、大学はどんなサポートをできるのか、その橋渡しをしてくださいました。

その結果、マイクを使用する授業では、人工内耳に直接音声を送る機械を大学に買ってもらい、授業で利用するなど、無事大学を卒業することができたのです。

・・・

普段は「視覚障害」を軸に研究を進めている一方、行政機関や企業から要請を受け提言などもしている中野先生。
今回は、研究者として、「普通」をどう考えているのかを知る機会を設けていただきました。
こうして面と向かってお話を聞く機会はなかなかなかったので、少し気恥ずかしいような気持ちもしました。


■“障害”との出会い


――今までお聞きすることがなかったのですが、そもそも先生がバリアフリーやユニバーサルデザインに関わるようになったのは、何がきっかけだったんですか?

僕自身の専門は心理学なので、「人」や、人がどんなことができるのか、どんな活動をするのかということに関心があって研究してきました。そんな中、1番最初のきっかけは1988年に働き始めたときに「視覚障害」に出会ったことです。
僕は知覚心理学をやってきたので、「人が見たり聞いたりする」ことを理解しようと思って研究してきたのに、見えない聞こえない人を前にした時に、役立つことが何もできない。これにとても愕然として、自分がやってた研究は、とても狭い範囲だったんだと気がつきました。そもそも見ること・聞くこと・触ることの、人間にとっての本質的な意味というのを十分に理解してなかったのだと意識できるようになったんです。

それで最初は、その見えにくさや聞こえにくさを“補うこと”を一生懸命考えました。例えば、聴覚障害でいえば「口話」ができるようにしていこう、うまく喋ることができるように訓練がしやすくなる道具を開発しよう、などと考えていたわけです。
つまり、どうしたら効率的に聴覚障害者や視覚障害者が学ぶことができるか。「自分の“平均的”な心身の状態に近づける学びをすることが大切だ」と思っていたんです。けれども、やっていく中で、途中からなんで障害のあるこの子たちだけがこれだけ苦労しないといけないのかな、と、とても疑問に思ったんです。

また、最初に僕が仕事についたとき、仕事を教えてくれた上司が「障害者」、全盲の方でした。
その先生は、僕よりも高い知性や情報処理能力を持っていたんですが、情報が点字やデータで与えられないことで、不利益を被っている場面を日常的に見てきました。そうすると、必然的に先生の問題ではないと気づくわけです。これだけ優秀な人が自分の力を発揮できないのは、周りの環境に問題があると気づかされたんです。

――環境に、問題がある

環境の側がほんの少しの配慮をするだけで、解決できる問題があるのに、と。僕は視覚障害専門だったので、点字があれば、文字を拡大してくれれば、データをくれればいいだけの話なのに、それをデータも、点字もない中で情報を得る訓練を一生懸命、障害のある子にさせて。でも、それってもともと無理のある訓練なんですよね。

写真:タブレット端末を見る中野教授

弱視児童のためのUDフォントの開発や電子教科書の開発にも携わっている

そうすることが、社会に適応するためには大切だって周りも考えていたし、僕も毒されていたんです。でも、環境を変えることで、今の聞こえ方・見え方で困らずに活動できるのだと途中で気が付きました。そもそも見えなくても聞こえなくても困らない社会の作り方が大切だし、そんな社会を作るために何を研究しなくちゃいけないかを考えるべきだと思うようになったんですね。

ただ、あまり確信を持てなかった時期もありました。確信に変わったのが、WHOが障害の考え方を変えた2001年(※)です。私の上司がずっとWHOの活動に関心を持っていて、資料を僕が代わりに読んだり、情報を整理したりしていたこともあって、WHOが障害の定義を変更していく流れをずっとウォッチできていたんです。その時に、確かに障害って環境との関係で決まってくるという考え方は重要だと強く知ることができて、自分の考え方は正しいんだと気づきました。

※WHOは、2001年にそれまでは病気(機能障害)の結果によって障害が起こると発生するとしてきたが、障害が起こる要素として、家庭や職場、学校および社会そのものを含んだ「環境因子」や、性別や年齢、性格や経歴などの「個人因子」などにも着目し、社会参加を含めた広い概念へと発展させた



■共生社会=誰もが“普通”にやりたいことができる社会


――中野先生が考える共生社会、ってなんだと思いますか?

今、バリアフリーとかってユニバーサルデザイン(UD)とかいろんなことを言っているけれど、1番の根底にあるのはノーマライゼーション(※)だと思っています。社会をノーマライズしないといけないというのが1番目指さないといけないと思うんですよ。

※ノーマライゼーション:1960年代に北欧諸国から始まった障害者福祉をめぐる重要な社会理念の一つ。障害のある人ではなく、生活環境の側を変えることが中心的な考え方となっている。


――「社会をノーマライズしないといけない」?

きょうのテーマである「普通」とまさに関係していて。一体誰が普通でないといけないのか、と問わないといけないと思うんですよね。多くの人が考えている「普通」は、普通の“体”、“考え方”、“行動の仕方”というようなもので、それが障害のある人たちを苦しめているわけですよね。
それは、平均的な人とは違う人に「普通である心身の状態」を望んでいるっていう社会の暗黙のルールとしてあることが問題で、本来、普通であるべきなのはそれぞれの人じゃなくて、社会そのものなんです

写真:モニターを見つめる中野先生

だから人を中心に考えると、「普通のことができる」のが大切であって、普通の聞こえ方・見え方は大切ではないんです。普通に話ができることが大切で、その時に筆談や手話があるというのは、達成するための方法でしかすぎないんです。1番大切なのは、普通に話せること、普通に映画を見れること、普通にお芝居に行けることという、普通に誰もがやりたいと思うことができることこそが大切だと思うんですね。だから普通を論じる時に、「何を普通にするのか」っていうことをぜひ考える必要があると思います。

――今までは、それぞれの中に普通はある、というお話が多かったです。中野先生の考える「普通」も、言葉は違えど、意味は同じですね。

ノーマライゼーションという考え方が始まったのは、デンマーク、スウェーデンからです。そこで、知的障害がある人たちがそうじゃない人たちと比べると、全然“普通”の生活ができていないというところからスタートしました。
例えば、大人になったら普通に自分の住む家というのがあって、誰かと住みたければ一緒に住めばいいし、1人でいたければ1人でいればいい。どこかに遊びに行きたいと思えば、遊びに行けばいいし、自分の持っているお金の範囲で今月は遊びまくろうっていう選択をしてもいい。これは知的障害のない人にはごく普通で、でも知的障害のある人にできるようになっていない。

写真:画面を確認する中野教授

中野先生(左)の研究室では、誰でも見やすいUDフォントを開発するための作業も進めてきた

“できるようになっていない”ことに疑問を感じた人たちが、ノーマライゼーションという考え方を考案しました。「誰もが普通に“自分のやりたいこと”ができる社会を目指すのが共生社会」という考え方が、スタートした原点なんです。
僕らが目指していくべき所は、この考え方なんです。“できない理由”は何かというと、知的障害や聴覚障害があるという、心身の機能の問題じゃなくて、社会そのものが受け入れられるような状況を作ってないところに問題があるというふうに考えようと。

――中野先生の考える共生社会は、「誰もが普通にやりたい事ができる社会」ということですね。

そうそうそう。普通っていうのは同じことをやることじゃないんですよ。普通って人によって全部違うので、自分の普通と思うことが問題なくできることが大事だと思うんですね。でも、方法論は人によって違う。手話でコミュニケーションする人、筆談の人、お話する人、より簡単な日本語を使う人。いろんな人がいて、方法はなんでもいいんだけれど、「普通に夕方誰かと話をしたい」という希望を持った時に、その活動ができることが大切なんだと思うんですね。

――個人が「普通だと思うこと」ができるためには、何が1番必要だと思いますか?

今の社会がどう作られたかっていうことを私たちはまず気付かないといけないと思うんです。大昔から、例えば聖書を見ると、様々な障害のある人たちのことは書いてあるんです。だから、昔から僕らはいろんな障害のある人たちの存在を知っているわけです。にも関わらず、何か建物や制度を作る時に、忘れてしまっているんです。そこに問題があることに気づく必要があると思うんですね。

そうやって、昔から知っているはずの障害のある人たちのことを考えずに、きつい言葉を使うと“排除して”今の社会が作られていて、その中で“障害”のジャンルに入らない人たちは利益を被っている、むさぼっているわけですよ。障害のある人たちをかわいそう、気の毒、と思っているっていう構造は、実は最初から排除しているから生まれただけの話で。差別的にスタートしているんですよね。
それを、今ごろになって「ちゃんとやらなきゃ人権問題だよね」という言い方をしているんです。排除することは「仕方ないこと」だと多くの人が思わされてきたんだと思うんですね。

非常に不平等な形で世の中は作られている事にまず気づくことが必要だと思います。今の社会を「再構築」するんだと考える。いろんな障害のある人たちも含めて社会の一員だから、そのためには社会をどういうふうにしないといけないかを考える必要があって、個人の努力に求めちゃいけない。そこにみんなが気づくことが今回の2020までに目指さないといけないと思うんですよね。



■“借金”返済!


――相模原の事件もそうですけれど、「なんで配慮をわざわざしなきゃいけないんだ」という声は一部にどうしても、あるじゃないですか。それに対してはどう思いますか?

長い間ためてきた“ツケ”ですよ。だって本来は最初から包含できるような社会を作るべきだったのに、ずっと目を向けずに、ふたをしてきたわけですから。障害のある人たちに対して沢山の“借金”を作ったわけです。多くの人権侵害を、長年に渡って積み重ねてきた“借金”があるんです。借金はやっぱり返すべきだと思うんですよね。
それが今いきなり、ためてきた借金を突きつけられると「いや、いきなりはできないよ」と思う人が多いかもしれないけれど、ずっと借りてきたわけだから、どこかできちんと返さないといけない。今、今から始めなければ、借金はどんどんふくらむばかり。早いところ向き合って、この問題を解決していこうよという考え方ですね、僕は。

――社会が、障害のある人に対して借金しているのに、返していないということですね。

そうです、社会が障害のある個人の責任にしちゃったんですよ。見えない、聞こえにくいということが原因で社会に参加できないと考えるのが“医学モデル”の考え方。社会の側が最初から包含しなくちゃいけないという考え方を“社会モデル”と今、呼んでいるわけです。
ただ社会モデルって、「社会が解決する」ということを、他人事のように考えてしまっている傾向があって。これは他人事じゃなくて、障害のある人たちに、不自由を押し付けてきた“借金”を返すっていう考え方でいないと、多くの人はなんで自分がやらないといけないんだと思ってしまうんですよね。

――そうすると、先ほどの「そもそも社会がどうできてきたのか」という前提条件を知ることが大切ですね。

そうですそうです。それを知ることが大切で、次にやるべきなのは、「歴史を知った上でどうするか」を考えること。○○さんというとんでもない人がいて、この社会ができたわけではなくて、みんながそういうことを考えてこなかった結果だった。だから、社会が解決しなくちゃいけないんですよね。じゃあ、社会的に解決する時に、その解決策を個別具体的に考えることが、今僕らがやることだと思うんですね。

例えば、その中には政府に対してできることを考えてみましょう。
政府には我々の税金を預けて、1人1人ではできないようなことを国の単位で実施してもらう役割を委譲しているわけですから、「国が、これまで見て見ぬふりをしてきた障害のある人たちに対する“人権侵害”を早い段階でなくしていきましょうよ。そのためには私たちが払っている税金をぜひ使ってください。もしそれが足りないのならば、増税の検討も必要で、借金をちゃんと返していけるように、社会体制を整えていくような活動をしましょうよ」と、私たちは選挙の投票などを通してムーブメントを起こしていくのが1つ重要だと思うんですね。

それから、私たちは社会の中でいろんなところに所属しているので、所属している団体や組織の中でできることを考える必要性もあると思います。全部を国に任せるわけではなくて、収益があるような企業であれば、その収益の中の一部、例えば聴覚障害でいえば情報保証といった体制を会社や組織の中に作っていけばいいんですね。

写真:本を開く中野教授

でも、「聴覚障害の人が入社してきたから、手話通訳をすべての場面でつけましょう」と言われると、「1人のためにすごく大変なことを強いられている」と考える組織人もいると思うんですが、それは違うんです。本来ならば最初から用意されていなければならないものを整備していなかったから、「これからそのための投資を積み上げていきながら、環境を作って行く」と、組織の中で提案できると思うんですよね。もちろん、いきなり100%はできないかもしれないけれど、じゃあことしはここまで、来年はここまで達成するんだと、達成目標をきちんと決めて、それぞれの組織が様々な障害のある人たちに対して、本来ならばそこで活動できるようにしていくのがノーマルな社会ですから、ノーマルな社会を目指していくための変更を組織の中でやっていくべきだと思うんです。

もちろん個人としてできることもあります。例えば今の社会のシステムの中で、100%できないところってあまりにもたくさんありすぎるので、その中で自分ができることを個人としてやっていく。例えば、視覚障害の人が道で困っている場面があった時に、本来ならば道そのものが整備されていることが目指すべき社会だけれど、そうなっていない中で困っている人がいる時には、「私にできること、何かある?」って声をかけていくのが大切ですよね。

それぞれ国レベル、組織レベル、個人レベルでできることをやりながら、全体として「今障害のある人たちが人権侵害を受けないで済むような社会づくり」をしないといけないと思います。ボランティアは、国や組織の体制が十分にできていないから生まれるわけで、今の段階で国や組織ができることが不十分だとするならば、ボランティアの力を沢山借りないといけない、でもそのままでよしとしてはいけない。つまり、組織や社会そのものをノーマライズしていくための過渡期的な手立てとして、個人の努力があってもいいと思うんです。



■過渡期の、“今”を生きるー


――東京オリンピック・パラリンピックを控える中で、今は過渡期にあたるのでしょうか?

過渡期だと思います。今すごく盛り上がっているのは、個人の活動ですよね。オリンピック・パラリンピックを支えるために、いろんな人たちがボランティアとして手をあげて、様々な研修を受けて、このオリパラを成功させようとしている。しかも、オリパラはそこで終わりではなくて、始まりでもあります。レガシーになるように尽力しているのは、今は個人の力の方が大きいと思いますね。
組織も国も含めて、社会そのものがノーマライズされていかないといけないので、約8万人のボランティアが先進的な意識を持って、今、日本の国が抱えている課題、特に障害のある人たちを取りまく課題に気がついて、彼らがオリパラの時にいろいろ活動し、広げていく活動がこれから必要になっていくと思います。

写真:折りたたまれた白杖を持つ中野教授

視覚障害のある人の活動について体験を交えて説明することも。

――私も聴覚障害がありますが、時として忘れられがちです。
…障害者って、障害ってなんなんですかね。

障害っていうのは、社会的な障壁だと思うんですよ。社会が、心身の機能っていうのが平均的な人とは違う人に対して、その人たちが使えるように参加できるように、活動できるように、“しなかったこと”が障害。これを社会的障壁と呼ぶんですが、いわゆるバリアですよね。その社会の仕組みそのものが作り出してしまったバリアというのが障害であると私は思います。

――最後に社会に言いたいことや伝えたいことはありますか?

社会に伝えたいこと。そもそも障害とは何か、普通って何かということについて、本質的に理解してもらいたいと思うんです。今の社会の作られ方そのものがすごく偏ってしまっていることに、障害のある人たちを理解する前に、まずは気づいてほしい。
これは障害者だけじゃなくて、いろんな人たちが周辺に置かれていて、今の社会の中でいわゆる“普通の人”として見られていない人たちが沢山いて、そういう人たちが今、僕らの社会の中は多いことに気づいてほしいんです

特に、今の社会が提供してくれているメリットを1番受けている人たち。多分健康で障害のない、若い男性がそうじゃないかなと思うんです。そういう人たちにこそ、自分たちが“優遇されている人たち”なんだということに気づいてほしい。しかも、それは自分の実力で優遇されているわけじゃなくて、たまたま社会を作っていく時に、今までの人たちが力を持って社会を作ったから、そうじゃない人たちを弱者にしてしまった。
弱者というのは“もともと障害のある人たち”が弱者ではなくて、弱者は“作られた人たち”ですから
。そこが1番重要なメッセージですね。誰もが普通でいられる、普通の活動ができる、普通にいろんな活動に参加できる。そういう社会をみんなで力を合わせて作らなくちゃいけない。国、組織、自分がそういう意識を持たなきゃいけないんだと伝えたいですね。

障害者に関する出来事の根底にある問題として、「借金」という言葉を用いた中野先生。
これは、障害者問題だけではなく、今の世の中で起きている問題すべてに言えることではないでしょうか。

そう考えると、他人ごとではなく、自分ごと化して考えることができるように感じます。
私たちにできることから、始めていこうと思いました。

\今回お話を聞いた人/

写真:中野教授


中野泰志
(なかの・やすし)|慶應義塾大学経済学部教授
1988年慶應義塾大学大学院社会学研究科修了。同年から、国立特殊教育総合研究所・視覚障害教育研究部で研究員、主任研究官を務め、視覚障害児・者の支援技術に関する研究等を実施。1997年慶應義塾大学経済学部助教授に就任し、心理学とバリアフリーを担当、学内の障害学生支援体制づくりを推進。2003年、東京大学先端科学技術研究センターバリアフリープロジェクトに特任教授として転籍し、障害児・者の自己決定に関する研究、福祉のまちづくりにおける障害当事者参加と「気づき」に関する研究等、バリアフリー・UDを推進するための研究を実施。2006年、慶應義塾大学に復籍。著書に「視覚障害と認知」、「視力の弱い子どもの理解と支援」、「ユニバーサルデザイン」他。



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キーワード

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後藤佑季

後藤佑季(ごとう・ゆうき)

1996年7月30日生まれ 岐阜県出身 聴覚障害(人工内耳使用) 【趣味・特技】料理、カメラ、書道準五段、手話技能検定準2級 【スポーツ歴】陸上(100m走など短距離)、水泳、バドミントン 【抱負】私の聴覚障害(難聴)のような『目に見えない障害』の存在を伝え、様々な障害のある人とない人との橋渡し役になれたらと思っています。自分の身体ではないものを最大限に生かし、自らの可能性を広げる、超人たちの「常識を超える瞬間」を多くの方にお伝えしていきたいです!

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