新型コロナウイルス感染拡大の影響で1年延期が決まった東京パラリンピック。
アスリートたちは今、何を思い、どう過ごしているのでしょうか。
今回は、パラ陸上短距離400mの石田駆選手(岐阜県在住・愛知学院大学)をご紹介します。
去年(2019年)、骨肉腫という骨のがんから復帰してパラ陸上を始め、復帰後初のシーズンで日本記録を連発。
11月の世界選手権で日本記録を更新し、5位につけた期待の新星です。
緊急事態宣言が明ける前の4月23日に、最初のリモート取材をさせていただき、その後もいろいろな動画を送っていただきました!


延期が発表される直前の世界ランキングは5位。このままいけば、パラリンピック出場内定、でした。
そんな中で「延期」の知らせを聞いた石田選手。
ことし開催されないことは、自分の体のコンディションを考えても非常に残念だと話しています。
「今ものすごく悔しいのは、いまの自分自身のコンディションで、とてもスピードがついている感じがあるんですね。トレーニングの積み重ねで仕上がった体を、大会で発揮できるように取り組んで来たんですけど、機会がなくなってしまって、非常に残念です」

一方で、去年は目覚ましい活躍を遂げたものの、「病気からの復帰後の初シーズン」でした。
「残念なことではあるんですけど、病気による闘病生活があったことによって、身体のコンディションを100%戻し切れていないっていうのも現実だと思います。そう考えると、やはりもうちょっと期間があった方が良いのかもしれないとも思うので、プラスの面で考えて、いい方向に向かっていけたらなって思います」
現在、石田選手の住む岐阜県、大学のある愛知県は緊急事態宣言が解除されましたが、解除される前はできる範囲の中でトレーニングをしていたと言います。
家の中でのトレーニングはもちろんのこと、人が少ない時間を選んで近所での坂ダッシュ、階段ダッシュなどもしていたそう。


「4月の1週目に練習拠点の大学が使用不可になりました。そのあと、次々にまず愛知県、岐阜県を中心に一斉に閉鎖されました。なので、使える競技場を探して週1回2回ぐらい、県外で使える競技場で練習をしていました。でも、とうとうそこも使えなくなってしまって。以降は近所でのトレーニングなどをしています」


そして、“登山”もしているのだとか。
岐阜市といえば、今大河ドラマでもやっている「麒麟が来る」の前半でも描かれていた、斎藤道三や織田信長の関わった町。
岐阜市を眺める位置にある「岐阜城」は、織田信長が斎藤家から奪還後造ったと言われているのですが、この岐阜城のある「金華山」は、岐阜市の陸上部員の絶好の練習場所なのです!
私も中高の陸上部時代に、行きはいくつか登山道がある中で一番険しいと言われている「馬の背コース(岩肌を上るようなコース)」を、帰りはもう少し緩やかな登山道をランニングで、というのをよくやっていました。


「以前から部活動のトレーニングで金華山を登山される人もいるみたいで。それに便乗して僕もやってみようかと思っていたら、結構えらかった(岐阜弁。つらい、きついの意)です(笑)」
オンラインでの大学の授業以外に、“おうち時間”はどのように過ごしているのかをお聞きしました!
「僕、趣味でピアノをやってまして。ふふ。小中学校の時はずっとピアノをやってたんです。肩に人工関節が入っていますが、指先は動きます。この肩の障害に対して、ピアノってすごく効果的で、リハビリにもなるんですよね。クラシックとかそんな本格的なのは弾けないので、いまは髭男の『Pretender』や、ゆずの『栄光の架橋』など、弾ける範囲の楽譜を見つけて練習しています」

最後に、来年となったパラリンピックに向けての抱負を話していただきました。

「僕自身としては、この1年をトレーニング期間として有効に使って、世界記録を目指すチャンスでもあるのかなと思って。自分自身の高校時代のベストにもたどり着けていませんし、これからがタイムを伸ばす勝負だと思っています。ことしの秋ぐらいに自己ベストの48“68を更新、来年のパラリンピックでは世界記録の47”89を更新できるようにしたいと思います!」
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新型コロナウイルスの感染拡大によって、私も自宅待機の日々が続いています。
そんな時にふと思うのは、「やりたいことができない」今の環境は、障害のある人やパラアスリートが普段の生活で感じていることに近い部分があるのではないかということです。
やりたくても、障害によって、また社会の作りによってできないことがある。でも、それをどうにか工夫してやろうとする精神は、パラアスリートがこれまでも持ち続けてきたことなのではないかと思ったのです。
もちろん、練習が思うようにできない今の環境は、間違いなくパラアスリートや障害のある人の生活を苦しめていますが、多くの人が同じような「不便さ」を感じていることを意識することは、一つの財産になるのではないかと、私は希望を持っています。
パラアスリートが今の社会に伝えられることは、きっと多いのだと思います。
※この記事は5月18日に放送した「まるっとぎふ ぎふスポ」(NHK岐阜放送局)のための取材を基に構成しました。