義足のランウェイ  義足を“武器”に ―モデル・海音さんの再出発(後編) | 後藤佑季

2020年9月11日
写真:制服姿でランウェイを歩く海音さん

東京パラリンピックの開会式だったはずの、2020年8月25日の夜8時に開かれた、義足のファッションショー。

前半では、企画者である写真家の越智さんや技師装具士の臼井二美男さんの思いをお伝えしました

その思いに呼応するように、輝くモデルの姿を見て、ある決意をした人がいます。



■あるモデルの再出発=新しい生き方

写真:マスクをしてインタビューに答える海音さん


今回のファッションショーを、「新しい生き方への一歩」の場に選んだ、海音(あまね)さん 18歳。
春に高校を卒業し、今は父親の店を手伝ったり、外国語の勉強をしたりしています。

幼いころはキッズモデルとして活動していた海音さん。
アパレルブランドの広告や、雑誌の表紙を飾り、アイドルとしての活動もしていました。

「このころは、本当に毎日が楽しかったです。いろんな服が着られるし、メイクもできるし。楽しくて仕方がなかった」。

母親の奈美さんは「小さい時からカメラの前に行くとキリッと変わるんです。本番に強いタイプなんですよ」と話してくれました。


12歳の時。原因不明の病状が海音さんを襲いました。
よく倒れるようになったり、鼻血が頻繁に出たり、関節が痛くなったり。小学校の卒業式にもいけず、体重は激減。

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闘病中の海音さん

1年近く入院をし、ようやく血管の難病だということがわかったそうです。右足の指が壊死したため、脚は切断せざるをえなくなりました。

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脚を切断し、松葉づえをついて階段を上る練習をする海音さん


この頃のことを、海音さんは「あまりに痛すぎて、大変すぎて、その頃の記憶がないんです」と語ります。

「薬が効かなくて、毎日痛すぎて泣いていました。つらかったんです」

だからこそ、義足になったときは、「ずっと入院していて、寝ているか、車いすでの移動だったので、歩けるんだ!という喜びが大きかったです」と、義足でのリハビリも理学療法士さんが驚くほどのスピードで終えたそう。

「自分の脚で動けることが楽しい!」

その思いとは裏腹に、義足であることは周囲に話せなかったと言います。

「義足っていうことがわかったら、どう思われるのかわからなくて。今まであった脚がなくなって、違う人と思われるのが嫌だったんです。ガン見されて、指を差されると思うと嫌だったし、隠せるものなら絶対に見せたくありませんでした」

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こうやってみると、義足ということがわからないですね!

幸い、キッズモデルをやっていたことで、人一倍“歩き方”が身体に染み付いていた。これが、義足であることを全く感じさせない歩きを生み出したのです。

この後に出会った臼井さんは、初対面の時に「海音さんではなく、お母さんが義足なのかな?」と思わせるほど。
私も今までいろんな義足の人たちにお会いしてきましたが、その中でもダントツで“義足かどうか”がわかりませんでした。



■義足を出しても、かっこいい!


そんな中、日常用の義足が合わなくなってきた海音さん。ひざの裏の部分が痛くなってしまい、その調整のために去年10月、臼井さんのもとを訪ねました。

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ショーの前日に義足のフィッティングを臼井さん(左)のもとで行う海音さん(右)

臼井さんから教えてもらい、『切断ヴィーナス』という写真集があることを知った海音さん。
母親からも、リオパラリンピックの閉会式で義足のモデルGIMICOさんが堂々と歩いている様、そしてエイミー・マリンズという元パラリンピアンで、モデルや女優をしている人の存在を教えてもらったと言います。

写真:リオパラリンピック閉会式のショーで、クールな表情のGIMICOさん


「義足を出しても、かっこいいかもしれない―」


そもそも、ずっと隠し続けて神経質になるのも疲れてしまうし、人の目を気にて、好きなファッションができないことは嫌だ!と、ファッションショーへの出演を決意。

「隠し続けるのは、本当の自分に嘘をついているんじゃないかっていう気持ちが、心のどこかに生まれてきたんです」

ファッションショーでは、モデルたちが思い思いの衣装を準備してステージに上がりました。
海音さんが選んだのは、高校時代の制服。

というのも、普段は義足が見えないように、ロングスカートかパンツスタイルで過ごしている海音さん。
高校時代は義足であることを知られたくないと、周りはみんな短いスカートの中、特別に別注して膝丈のスカートで過ごしていたからです。

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本当は海音さんが手で示している長さが規定だそうですが、それよりも20㎝ほど長くしていたそう

そんな海音さんが、制服を“今まで履けなかった”短いスカートに変えて―
臼井さんの作った、「これから輝く未来があるという意味を込めた」シルバーの義足を見せて、ランウェイに立ちました。

実は、このファッションショーの直前に、仲の良い友人たち数人には、ショックを受けないようにとカミングアウトしたそうです。

「みんな気づかなかった、といって、泣いてくれました」

写真:制服姿の海音さん(左)と、右足には銀色の義足、厚底靴のアップ(右)

「(自分のウォーキングを見て)私のようにハンデがあっても、かっこよく輝けるんだと思ってほしい」

いろいろな思いを胸に、歩いたランウェイ。

衣装替えをして、最後のステージは12人のモデルたち統一のデザインの衣装。

写真:白の衣装を身にまとった義足の女性モデルたち


この衣装のデザインは、今回モデルとしても参加しているアーティストの須川まきこさんが担当しました。
極細の糸を使ったとても軽い素材の「天女の羽衣」を使った衣装は、歩くだけで風になびき、義足をより引き立てます。

須川さん|「私も義足だし、こんなに元気にしてるよ、おしゃれも楽しめてるよ、というのを、いろんな国や町の人にぜひ見てもらいたかったんです。今回の衣装は、“みんなが金メダルを”というコンセプトでつくりました。白とゴールドの衣装でみんなが堂々と歩いているのをみたときには、涙が出そうでした」

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左:衣装をデザインした須川さん、右:須川さんのデザインした衣装を着る海音さん

海音さん|「すごくカッコ良く、堂々とした自分で、そして生まれ変わったような新しい自分として、歩けたと思います。すごく楽しかったです!」

終わったあとの海音さんは、とてもすっきりした笑顔に見えました。

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これからは義足を“武器”として、義足のモデルとしてやっていけたら、と語ってくれた海音さん。
その瞳には、新しい世界とたくさんの可能性が映っているように感じました。



■「新たな自分への一歩」を経て―


このショーは、新型コロナウイルスの感染防止策として、無観客で実施。
そして、オンラインで配信されただけではなく、海外メディアにも中継され、多くのコメントが寄せられました。
オンラインという形にしたことで、これまで見られなかった人たちも見ることができたので、反響が大きかったようです。

写真:モニターがたくさん並び、映像のチェックをしている

中継の様子

ここまでは、8月28日のおはよう日本や、9月8日のひるまえほっとでお伝えしましたが、その後日談を、海音さんにお聞きしました!

このショーは、さまざまなメディアに紹介されたこともあって、反響は大きかったといいます。

海音さん|「いろんな人に、『かっこいい!』と言ってもらえたことがすごくうれしかったです。“かわいそう”じゃなくて、“かっこいい”だったことが心に残っています。すごく吹っ切れました!」

母親の奈美さんは
「ショーを見ていて、すごく、うれしいを通り越して感極まりました。本当に自慢の娘です!ショーが終わってからは、海音も吹っ切れたみたいで、わたしもほっとしました」と話してくれました。

海外でも活躍できるモデルになりたいと、語学勉強をしていた海音さん。
今回をきっかけに、海外の人からもメッセージが届いたそうで、着実に、夢への一歩を踏みだしていました。



■障害を、オープンにするということ


ショーの後、須川さんがおっしゃっていたことが印象的でした。

「初めてショーに参加する前は、ずっと義足を隠していたんです。その時は周りも、腫れ物に触るような感じで。でもショーに出ることを決めて、オープンにしてからは、周りも『義足ってすごいね!かっこいいね!』と反応が変わったんです」

写真:左耳に人工内耳が見える後藤リポーター


私自身、海音さんと同じように、髪の毛を下ろして人工内耳を隠せば、「隠せる」障害だと思います。
過去には、知り合ったばかりの人だけでなく、もっと身近な人にも、障害がわかると距離を取られたこともありました。「読唇(どくしん)しているから、口元を隠せば悪口言ってるってバレないよ」などと学校内で言われ、障害を、いじめの材料に使われたこともあります。

でも、今はあえて、人工内耳を見せて、障害を自ら説明して、理解してもらう方がいいと思っています。

もちろん、“障害をオープンにするかしないか”、というのはその人次第ですし、そもそもオープンにして説明しなくても助け合える社会が一番いいと思います。

それでも、「障害を知ってもらう」ことで、周りもどうすればいいのかがわかって、助けやすくなったり、障害のある側も、助けを求めやすくなったりと、障害のある人とない人が歩み寄ることにつながっていくのではないでしょうか。

実際に、私も障害を説明すると、「そうだったんだ、見た目ではわからなかったから、言ってもらえてうれしい」「説明してもらったから、どういうときに困るのかがわかったよ」などと言われます。

選択肢が増え、自分がどうしたいのかを選べる―
そうした社会こそが、パラリンピックが目指す“共生社会”の1つの形なのではないかと思います。


【前編】義足のランウェイ 「見せるという選択肢を」

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後藤佑季
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後藤佑季(ごとう・ゆうき)

1996年7月30日生まれ 岐阜県出身 聴覚障害(人工内耳使用) 【趣味・特技】料理、カメラ、書道準五段、手話技能検定準2級 【スポーツ歴】陸上(100m走など短距離)、水泳、バドミントン 【抱負】私の聴覚障害(難聴)のような『目に見えない障害』の存在を伝え、様々な障害のある人とない人との橋渡し役になれたらと思っています。自分の身体ではないものを最大限に生かし、自らの可能性を広げる、超人たちの「常識を超える瞬間」を多くの方にお伝えしていきたいです!

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