“見えない”障害と共に歩んだ24年間(後編)- 後藤佑季

2020年10月5日
写真:左耳を傾けて囲みインタビューをする後藤リポーター

去年、大学を卒業し、新社会人としての道を歩み始めました。
学業と仕事の2足のわらじを終え、“大人の世界”に足を踏み入れたのです。
そんな人生の節目の2019年が終わり、ついに2020年となった今、私の人生について振り返りたいと思います-。

前回は、高校卒業までの、「今のわたし」の基礎が出来上がった時期と大きな転機について

今回は、徐々に“社会”に近づいていく時期の話です。

▼目次
大学生活、一歩社会に近づくー
「見えない」障害は、やっぱり見えない
困っていることも、見えない


■大学生活、一歩社会に近づくー

大学受験の時にも、聴覚障害のある私の前にリスニングの壁は立ちはだかります。
センター試験では障害者手帳を提示してリスニングの免除が認められましたが、本試験では認められませんでした。
そのため、リスニングのなかった、関西の国立大学と慶應義塾大学だけを受験しました。

同時に、大学に行くお金もなかったので、奨学金を自分で日々検索し、問い合わせて応募しました。
日常生活では、もちろん母親のサポートをたくさん受けていますが、奨学金関連はすべて自力で行いました。

そのかいあって、大学の学費と生活費はすべて自分でまかなうことができました。

受験を経て、慶應義塾大学に入学することになった私ですが、大学ではどんな形式で授業が行われるのか、それによって何に困るのかがわかりませんでした。

入学式前の3月に学生部に相談したところ、障害児教育やバリアフリーについて研究している先生を紹介していただきました。

それが以前ご紹介した「障害」やそのサポートについて研究している中野泰志先生です

中野先生が、どういう授業形態で、こういうことに困るだろう、こういう機械があるから使ってみたら?など、いろいろ教えてくださり、学生部とのパイプ役になってくださいました。

大学側にはいろいろな配慮をお願いしました。

Rogerと呼ばれる、直接先生の声を人工内耳に送る装置を大学に買っていただいて使用しました。
また、学年が変わるたびに先生方には、事前に「受講生の中に聴覚障害の学生がいる」と伝えてもらいました。

ただ、やはり自分の口で説明するのが大切だと思ったので、年度始まりの際には各先生に、私はどのような聞こえ方なのか、どのようにしてもらうと嬉しいかを説明しました。
また、授業の前には必ず直接先生にRogerのマイクを手渡しする必要があります。
なので、毎回必ずご挨拶することになり、出席を取らない授業でも、いつも私だけが確認があるようなものなのです…(笑)

中高生のときとは違って、自由な環境というのは逆につらい時もありました。障害が見えないからこそ、自ら発信して、自ら行動していかないといけないからです。

しかし、入学時、必修の英語の授業を取る前に、とてもショックなことが起きました。
教官が、英語を聞きながら発話していくシャドーイングを評価の対象にすると言いだしたことです。
でも、私にとって、シャドーイングは一番苦手なものです。

【参考】人工内耳で世界が変わる!でも、万能ではない

「きょうの授業だけど」「元気だった?」「こんにちは」の文字が同じ濃さで重なっている

この時は、私には聞き取りにくいCDの音を聞き取るしかなく、広い教室の中ではリスニング自体がそもそも聞きとることはできませんでした。その音に自分の声が重なってしまうと、何を言っているのかがわからないので、シャドーイングをしようにも、できないのです。

このことを先生に何回も説明したのですが、何回説明してもわかってもらえませんでした。
私は、人工内耳をつければ、生の声、いわゆるスピーカーを通していない声なら聞き取りやすく、静かな部屋での会話なら難なく聞き取ることができます。
そのため、先生とも普通に会話ができていました。

そのため、「だってあなた、私と会話できているじゃない」と、言われたのです。

この時、私は「私の障害は“目に見えない”障害なのだ」と、身をもって実感しました。
と、同時に、みんな年老いたら耳も遠くなるし、目も悪くなる。記憶力も落ちる。
なぜみんなが向かう未来なのにこんなにも意識されていないのだろうかと思ったのを、今でも覚えています。

(この授業は本来、教師の変更はできないのですが、事情を説明して先生を変えてもらいました。ちなみに、外国人の先生の方が柔軟な対応なので、2年生からは日本人の先生ではなく、外国人の先生を選ぶようになりました)


大学3年生の2017年夏、就活のインターンの時期がやってきました。
そこで私は、NHKが、2020年の東京パラリンピックに向けて障害のある人を対象にリポーターを募集するという新聞広告を目にし、私のような「目に見えない障害がある人がいることも知ってほしい」という思いから、応募しました。

試験に合格し、晴れてリポーターとして活動することになった私ですが、奨学金をいただきながら自分で払っている大学の授業料を無駄にしたくはない、また、勉強をすることが私の障害のハンデを埋めてくれる、と思っていたので、大学の授業を中心に、リポーターの仕事をすることになりました。

大学がないときは基本的には仕事、仕事がないときは大学、と文武両道ならぬ文仕両道(?)をしていました。
大学4年時も、週11コマ授業を受けていました。その中には、日本手話の授業もあり、自らのスキルを高めていきました。

卒論を書きながら、試験期間中にロケがあるという時もありましたが、今振り返るといい思い出です。

そうして迎えた2019年3月。
ありがたいことに、卒業式では成績優秀者(いわゆる首席)として表彰していただくことができました。
聴覚障害はコミュニケーション障害なので、前述した通り、すべての情報が聞こえているわけではないのです。
自分が100%聞き取れた!と思っていても、そうではなかったことが往々にしてあります。

そんなとき、助けてくれた周りの友達や、先生、関係者のみなさんのサポートがあっての結果だと思っています。
「大学での成績なんて、社会に出たら意味ないよ」という意見もたくさんあると思います。でも私はあえて、「いい成績を取る」ことを目指しました。

友達は、私が左の方が聞き取りやすいことを意識して、常に私の左に立ってくれたり、電池が切れて聞こえないときや人工内耳を外さざるをえないときのために、手話を覚えようとしてくれたりしました。
そんなあたたかい環境で学ぶことができた、みんなに恩返しができればという思いも込めた、首席だったのです。

このことを知った、同じように聴覚障害を持っている人が、「私もできるんだ」と思ってくれたらいいなと思います。


■「見えない」障害は、やっぱり見えない

リポーターとしての仕事でも、試練は続きます。
まず、私はTVという映像媒体の中でも、ぱっと見は、障害があるように見えません。

スポーツの大会では、競技を終えた選手にテレビや新聞の取材陣が集まって一斉に話を聞く「囲み取材」というものが行われます。

写真:取材中の後藤リポーター

真ん中の選手のすぐ横に陣取っているのが私です。
私にとって、選手の声が聞きやすい場所を確保するのが、重要な仕事のひとつです。

私は主にパラ陸上を中心に取材をしているのですが、陸上競技場では、場内放送や観客の声援がいつもしていますし、屋外なので風の音もします。
そうした環境では選手の声が聴き取りづらくなるため、ICレコーダーをマイクがわりにして選手の声を直接人工内耳に送っています。

写真:選手にインタビューをする後藤リポーター(右)


左耳の人工内耳とICレコーダーがコードでつながっているのが分かるでしょうか?

そして、リポーターをする中で一番難しいと感じたのは、ナレーションです。
私は、言語聴覚士の方によれば「聴覚障害者の中ではとても発音がきれい」だそうですが、それでも健聴者よりはどうしても滑舌が悪くなってしまいます。

健聴者のように、音でフィードバックすることができないからです。
簡単に言うと、自分の発音が合っているのか間違っているのかがわからないのです。
そのため、合っている、と言われた時の口の形や息の出し方を、身体で覚えて、発音する必要があります。
その場限りではなく、何度も何度も繰り返して、ようやく1つの発音を覚えることができるのです。

また、滑舌だけでなく、イントネーションの細かな違いもわかりません。
そのため、最初のころは「もっと元気良い感じで」「正しいイントネーションは○○」と言われるだけで、その場で繰り返すと同じようにできるのですが、身体で覚えきれていないので、さあナレーション録るぞ、となったときはまたうまく発音できなくなります。

指導されても、何が合っていて何が違うのかがわからない日々でした。
だんだん、周りの人達が少しの呆(あき)れとめんどくささや、「やっぱり聴覚障害だから難しいのか」と思っているのがひしひしと伝わってきました。

見えない障害は、やはり見えない
のだと、感じたのです。視聴者の方の反応も、見える障害に対する反応の方が大きく、それがさらに私を追い詰めました。

こんな声が届くこともあります。
「ナレーション、へったくそ」「聞きにくい、何あれ」「やっぱり聴覚障害者には無理なんだよ」

私は、「ナレーションは、健聴者のようにきれいに読めないといけないのだろうか」
そう思うようになりました。

けれど、先ほども書いた通り、聴覚障害の中ではとてもきれいな発音だと、たくさんの人に言っていただきます。
「聴覚障害があるのに綺麗な発音だ」「滑舌がアナウンサーとは違うから、よりきちんと聞こうとして集中できた」

それは、小さいころから練習して、努力してきた“私の声”です。

ただ、それは同時に、私の首を絞めました。
障害を、「見えにくく」したのです。

いまも、私は言語聴覚士の先生のもとに通って、トレーニングを重ねています。
日常生活を送る分には必要ないのですが、少しでもたくさんの人に“私の声、私の思い”を聴いてもらいたいと思って、取り組んでいます。


加えて、私はとても曖昧な立場、「はざま」にいるということも難しいと思っています。

聞こえるけれど聞こえない「ろう者と健聴者のはざま」。
そして、パラリンピックには聴覚障害のクラスがないのでパラリンピックには出られない「障害者とパラ当事者のはざま」。
曖昧な立場だからこそ、軸が分かりづらく、伝えることが難しいときがあります。

でもどんな時でも、障害者だから障害者のことがわかる、とは少しも思っていませんし、目標に向かって努力をし続ける選手はやっぱり「すごい」のです。人が応援したくなる人は、「覚悟を持って」取り組んでいる人だと思っています。
だから“後藤佑季”というフィルターを通して、伝えられることは何なのかを常に考えています。


■困っていることも、「見えない」

ここまで、ずっと聴覚障害は見えない障害だとお伝えしてきましたが、見えない障害の一番つらいところは「命に関わるほど困ってはいないけれど、連続的に小さな困りごとが蓄積していく」ということだと思います。
死んでしまうほど困ってはいない、けれど、積もり積もって心にダメージを負ってしまう、というイメージです。
具体的にどういうことなのか。

A「◎$♪×△¥●&?#$」
B「へえ~そうなんだ!いいなあ~!」
C「ね!@■#!」
A「○%×$☆♭でしょ~」


これは、私がいつも耳にしている、周りで行われている雑談の様子です。
誰かが話していることはわかるけれど、何を話しているのかわからないのが常です。

自分の近くで行われているけれど、自分は入っていない会話。
みなさんも経験があるような、日常の中でよくある場面だと思います。

これ、そんなに重要でないように思えるかもしれませんが
雑談の中身は人間関係において、コミュニケーションに重要な役割を果たしていると私は感じています。


そのような雑談の場面で私がいつも思うことがあります。
「今」、聞きたい。

これは、聴覚障害のある方が一番に思っていることではないでしょうか。
(もちろん、そうでない方もいらっしゃると思います)

私は、この一見簡単に見える願いが、どれほど難しいことかを、大学や職場で嫌というほど突き付けられました。

健聴者は、行われている会話を妨害することなく、興味がなければ聞き流すことも、興味があったら耳だけを傾けることもできます。

でも、(聴覚障害のある)私はできません。
まず、どんな会話なのか、すらもわからないことが多々あります。
「何か話が行われている」ことしかわかりません。

周りにいる人が会話に参加していなかったのに、耳を傾けていて途中で笑ったとしても、私は笑うことすらできません。

選択肢が、ないのです。
選ぶことすら、できないのです。

あとでどんな話だったのかを聞くと、「どうでもいい内容だよ(笑)」と言われることがあります。
それは、聞くという選択をした上で内容がそうであったというだけであって、どうでもいい話かどうかは私が判断したいのです。

その時、その場所で、そのメンバーでしていた空間に居たいということを、なかなか理解してもらうのは難しく、職場でも何度も何度も伝えるのですがうまく伝えることができません。

「今、聞きたい」は、日常のふとした瞬間にたくさんありすぎて、すぐに過ぎ去ってしまうのです。けれど、その時々に精神的にくるダメージは、自分の想像以上で、知らず知らずのうちに苦しくなってしまいます。


また、そのような雑談の中身は耳を傾けていた人たちの中で共通認識と化していることもあります。
「え、この前みんなの前で話してたじゃん!」というようなことも多々。

そんなとき、「今」その瞬間に聞きたかった…と悲しくなります。
自分では、聞き取る能力を向上することはできないし、かといって会議のように重要な話でもない。だから、つらいと言っても「聞かなくてもいいよ」と言われる。

まるでその場にいるのに、いないかのような気分になります。


私が聴覚障害で一番つらいことは何ですか?と言われたら、「今」聞きたいということを分かってもらえないことだと、迷わず答えるでしょう。

それほど、私にとっては苦しいことなのです。

もし皆さんの周りに、聴覚障害の方がいたら、「今」聞こえているかをさりげなく確認したり、「今」話せない場合には、「あとで伝えるね」と「今」伝えたりしてみてください。
それだけで、心が救われると思います。

考えすぎず、「今」その瞬間に同じ時間を共有できているか、思いをはせてみてください!


【関連記事】“見えない”障害と共に歩んだ24年間(前編)


キーワード

後藤佑季
後藤佑季

後藤佑季(ごとう・ゆうき)

1996年7月30日生まれ 岐阜県出身 聴覚障害(人工内耳使用) 【趣味・特技】料理、カメラ、書道準五段、手話技能検定準2級 【スポーツ歴】陸上(100m走など短距離)、水泳、バドミントン 【抱負】私の聴覚障害(難聴)のような『目に見えない障害』の存在を伝え、様々な障害のある人とない人との橋渡し役になれたらと思っています。自分の身体ではないものを最大限に生かし、自らの可能性を広げる、超人たちの「常識を超える瞬間」を多くの方にお伝えしていきたいです!

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