夜と昼の「グラデーション」、マジックアワーの夕焼け。ヘルシンキのフィンランド湾に面した公園に行ったときに撮ったもの!
最近、何度も考えることがある。
それは、「世界はどこまで行ってもグラデーション」であり、そしてマイノリティーはいるのではないか、ということだ。
いや、1人1人がマイノリティーで、1人1人がそれぞれの人生のパイオニアなのだ、と思う。
それは、パラアスリートにも言えるように感じる。
パラアスリートは障害者の代表のように思われるけれど、ある一つのクラスをとっても、障害の程度は様々で、1人1人にできること、できないことと向き合ってきた別々のストーリーがある。
こう考えるようになったのは、丸山正樹さんの小説『デフ・ヴォイス』シリーズの3冊を読んだからだ。
この3冊の本は、1年以上前に買ったきり、手をつけられなかった。
きっと、その頃の私の心のどこかには、「聴覚障害者だから、聴覚障害について取り組まねばいけないのは、違うんじゃないか」という反発心みたいなものがあったからかもしれない。
わたしは、聞こえないけれど、聞こえる。
これが、わたしが2017年にリポーターになってからずっと頭の中の一部分を占めている。
わたしは人工内耳を外してしまえば聞こえない。手話を使えば、世間一般の考える「聴覚障害者」に最も近いイメージになる。
けれど、人工内耳をつけてしまえば、そのテクノロジーによって「聴者(聞こえる人)の世界」に近づく。(人工内耳での聞こえ方は、聴者とは違うけれど)
これが、わたしの立ち位置を“わからなく”させていた。
テレビで伝える際に、「軸」というものがとても重要になることを、リポーターになって学んだ。
自分はどういう立場なのか。
これがはっきりしないと、何を伝えたいのかがわからなくなってしまう。
わたしは、最初の頃は「わたし」という立場で、「後藤佑季」という人間が伝えるというのが軸だ、と考えていた。
けれど、それはやはり曖昧で、軸にはならなかった。なぜなら、わたしがどんな人か、自分自身にもよくわからないのだから。

そんな時、新型コロナウィルスの影響でステイホームとなり、本を次から次に読み始めた。
その勢いの中で、「積読」となっていた『デフ・ヴォイス』シリーズにも手を出した。
結果から言うと、このシリーズはわたしに「新たな光」をもたらしてくれた。
混沌としていた私自身の障害との向き合い方に、一筋の光を見出すことができた。
◆ろう文化は「聞こえる人」の中にも存在する
このシリーズは、CODA(Children of Deaf Adults:ろう者の両親のもとに生まれた聞こえる子ども)で、手話通訳士である主人公の荒井尚人が、法廷や警察での取り調べ、日常での生活(たとえば銀行での窓口など。日本手話が母語の人たちは、日本語の専門用語が日本語だけでは正しく理解できないことがあるため、手話通訳士が意訳して伝える)などの場面で「通訳」として活動していく中で、ろう者や聴覚障害者が抱える様々な困難を、丁寧に、繊細に描き出した物語だ。
シリーズを通して、わたしが一番ハッとしたのは、「CODAはろう文化を母文化とし、日本手話が母語である」ということだった。
これまでも何度か書かせていただいたが、日本手話は一種の言語であり、言語の根幹となる文化も、日本語の元となる文化とも違う。ろう文化にしかないものもあれば、日本語文化にしかないものもある。
これが英語だったら、文化が違うということは簡単に受け入れられるのに、手話という単語の前に「日本」がついてしまっているが故か、文化が違うのだということが、なかなかわかってもらえないのが、日本手話の難しい点だと言われる。
つまり、ろう文化を母文化とする両親のもとで生まれた子どもは、たとえ聞こえる子であっても、母文化はろう文化になるー。
ろう文化は、聞こえる人の中にも存在する場合がある、「聞こえない人たちのため」だけの文化ではないということなのだ。
また、CODAは、少なくともその家族という小さな社会の中では、マイノリティーでもある。その家族の中でのマジョリティーは、「聞こえない」人たちだ。
けれど、その社会を一歩出たときに、自らは“聞こえる”というマジョリティーとなる。
これによる難しさが、丹念に描かれているのが、この『デフ・ヴォイス』シリーズの魅力だと思う。
◆どっちの文化も、「中途半端」
シリーズ3冊のどれも、聴覚障害者の日常で感じるたくさんのもどかしさを丹念に描いていて素敵な本だが、わたしは個人的には、特に3番目の『慟哭(どうこく)は聴こえない』に心を揺り動かされた。
この中では、聞こえない子どもが生まれた主人公・荒井の前に、ろう者でありながら聴能訓練(読唇や発話を訓練すること)によって、聴者と一定の会話ができるHALという青年が登場する。HALはそのルックスと「手話」という異質性からメディアを通して一躍有名になるのだが、世間の求めるものとのかい離に、苦しむ様子が描かれている。日本手話を正式に習ったことがないため、手話も“中途半端”。読唇と口話ができるとはいえ、それは完璧ではないこともまた、彼の心を不安定にさせるものとして描かれている。
この HALの立場は、わたしと一緒だ、と思った。
日本手話もすらすらとできるわけではないし、かと言って、完全に「聞こえる」わけではない。
わたしも、中途半端だと思った。
わたしはどれだけ頑張っても、「聞こえる」人にはならない。
さらに、テレビ業界における聴覚障害者のあり方も描かれていた。
荒井と出会って、日本手話を本格的に学び始めるHAL。
NMM(Non Manual Markers非手指動作:表情や肯き、眉の上げ下げなどで助詞などを表す)やロールシフト(視点を変え、自分以外の役割を演じること。落語のようなイメージ)といった“日本手話独特の表現”を身につけるが、これらは、聴者が、つまりマジョリティーである健聴者(聞こえる人)が想像する手話よりも、もっと表情豊かに、そしてせわしなく見える。
HALは手話を本格的に学び始めるが、「クールなイメージとは違う、手話っぽくない」と、制作者側に言われてしまう。
「見え方」を気にする、テレビ業界…。
現実で、相容れない二つの世界に入っているわたしは、確かにパイオニアなのかもしれない。
様々な出来事があり、HALは芸能界を引退することとなる。
「自分が成功すれば、後に続くろう者も現れる。一般社会の中でろう者がもっと活躍するためには、自分が頑張らなければならない。聴者に負けてはならない、そんな思いを一人で背負ってしまった……」(『慟哭は聞こえない』本文より)

このHALの気負いもわたしにとってはひとごとではない。障害のある人の立場から、何かを言わねばならないことが時々ある。自分のことさえ、正確に言えているかどうかわからないのに、だ。
◆「どちらの世界を選ぶのか」ということ
一方で、出生後に聴覚障害であることがわかった主人公、荒井の娘についての、荒井たち両親の葛藤にも心を揺さぶられた。荒井の「子どもに(人工内耳をつけて音声日本語を母語とする)聞こえる世界と(人工内耳をつけずにろう者として日本手話を母語にする)聞こえない世界、どちらの世界を選ぶのか」についての葛藤についても、わたしの両親の気持ちが痛いほど想像された。
わたしはこれまで、聴覚障害の治療や研究に携わっている人たちや障害のことを学ぶ学生さんたちの前でお話させていただいた経験がある。その際、幼少期のことを話すために、何度か母親に取材をしたことがあった。

両親がわたしを育てるにあたって、した選択は「自分たちが死んだら、この子は聞こえる社会で1人で生きていくことになるから、大変な思いをしてでも、普通校に通わせる」ということと、「とはいえ、聴覚障害者なのだから、ろう者の世界も知らないといけないので、手話サークルに通わせる」ということだった。
両親は、「どちらの世界」ということではなく、「両方の」世界を選ぶ選択権をくれたと、今になって思う。
幼稚園の頃には、岐阜市にある「難聴幼児通園施設」のみやこ園に通わせてくれ、“言葉”の獲得の大きな助けになった。
だからこそ、わたしはどちらの世界にも足を突っ込んだような状態になった。
いや、どちらの世界にも行き来できるようになった。

放送する際には、「副調」と呼ばれるスタジオの中心になるところにこんな風に写るが、これを見る限り、やっぱり「障害はわからない」
荒井は、(正確には荒井の妻は)最終的には「ろう児」として子どもを育てる決意をする。日本手話が公用語である学校の幼稚部に通わせることになった。
わたしは、どちらがいい、とは言えない。どちらにも、素敵な世界が広がっているからだ。
けれど一つ言えるのは−。
障害があっても、「選択する権利」を持てる社会になってほしいということだ。
もちろん、両方の世界を行き来することが最良と言うつもりは毛頭ない。
どちらかがいい、と思ったら、選択して、その世界にどっぷり浸かることだって、いいと思う。
大切なのは、選択肢がある、ということだと思う。
◆「聞こえる」とか、「聞こえない」とか
『デフ・ヴォイス』シリーズに描かれるように、ホームレスや、裁判、救急車、110番…聴覚障害者が置き去りにされる現状は、今もなお、ある。
わたしは、聞こえない、なのか?聞こえる、なのか?
どちらも違う。わたしは聞こえ“にくい”のだ。
社会はグラデーションだと、よく言われる。けれど、それは聴覚障害者という括りの中においてもそうなのだと、『デフ・ヴォイス』シリーズを読んで思った。
日本手話を母語とするろう者。
全く聞こえない、けれど読唇や筆談で話し、日本手話は話せない人。
聞こえにくい、けれど日本手話を話す人。
手話を全く話せない、けれど口話法ができる難聴者。
一口に言われる、「聴覚障害者」という言葉の中でも、聞こえ方はグラデーションのようになっている。
さらに今、幼少期に人工内耳を装用することで、音声言語を“獲得”できるという効用が明らかになっていることから、幼少時に人工内耳をつけ、難聴者として生活を始める人が増えており、“ろう者”の数は減っているという話もある。
聴覚障害者、というマイノリティーの中でも、私のように「聞こえにくいけれど話せる」という人たちがマジョリティーになりつつあるのかもしれない。
ナレーションを読んでいる時のもの。映像に合わせてコメントに感情をつけて読むのが本当に難しい…
これは聴覚障害者の中に限った話ではない。
どのマイノリティーの区分の中にも、またマジョリティーとマイノリティーという区分はある。
世界はどこまで行ってもグラデーションだし、どこまで行ってもマイノリティーはいる。1人1人がマイノリティーで、1人1人がそれぞれの人生のパイオニアなのだ、と思う。
世間は、どこまでも暖かく、そして“他人に対して”冷たい。
“伝える言葉”を持ったときには暖かい世間も、“伝わらない言葉”を持っている限りは、無慈悲だと思うからだ。
1人1人がマイノリティーで、1人1人が“伝える言葉”を持った時、社会はどんなふうに変わるのだろうか。
わたしはそのために、「聞こえ“にくい”」わたしとして、伝える言葉を探し続けていきたいと思っている。
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