「普通って、なに?」を聞いてみた vol.5-東京大学准教授・熊谷晋一郎 |後藤佑季

2020年12月24日
写真:熊谷先生と後藤リポーター

「これくらいのダイエット、普通でしょ」
「静かにしなさい!普通、こんなところでは騒がないでしょ」


――世の中には「普通の○○」という言葉があふれている。けれど「普通」っていったい何なのだろう。
来年に延期になった東京パラリンピックの目標の1つは「共生社会の実現」。それは1人1人が「そのまま」でいることを認める、多様性を重んじる社会のはず。
今の日本で、本当に多様性って認め合えるのだろうか…?
そこで私は、様々なジャンルの方との対談を通して、「普通」とはいったい何なのかを模索し、「普通」にとらわれない「共生社会」を作るヒントを探っていきたいと考えました。

このコロナ禍で、「今までの普通」が崩れ去った中、いまいちど、「普通」について考えてみませんか?

Vol.5:「普通とは、時代が求める“ひと”の標準型」-熊谷晋一郎

今回は、東京大学先端科学技術研究センター当事者研究分野の熊谷晋一郎(くまがや・しんいちろう)准教授。最初にお話を伺ったのは、今年3月初旬のことでした。
熊谷先生は脳性まひで、普段は電動車いすで生活しています。

写真:話をする熊谷晋一郎先生

熊谷先生は、小児科の臨床医を経て、現在は「当事者研究」を専門にしています。
当事者研究とは、「何らかの困りごとを抱えた当事者たちが、その困りごとのメカニズムや対処法について、専門家に丸投げするのではなく、似たような困りごとを抱えた仲間とともに研究する取り組み」のこと。

現在は東京大学の先端科学技術研究センター、当事者研究分野の研究室で、発達障害研究などをしており、これらの知見をもとに、熊谷先生はこれまでの自分の人生や、小児科医として働いていた頃の経験を活かして、障害のある人がより生きやすい環境づくりに学術的な側面から取り組んでいます。


■時代ごとに求められる“普通”


幼少期には、「リハビリ」を受けていた熊谷先生。
寝返りの打ち方、ひざたちの仕方、立ち上がり方などを、お手本のビデオやトレーナーの動きを見て、まねるというものでした。
動きだけではなく、座っている姿勢やコップの持ち方なども「リハビリ」として練習したと言います。

当時、私が受けていたリハビリは、私にとっては「世の中で“普通”として思い描かれる姿勢や動きの平均値」を目指すものでした。つまり、その当時の「私の普通」の概念は、動作や体の身のこなし方に強調点がありました。
その後40年くらいたって、時代が求める「普通」の強調点が変わってきたように思います。今は、人とのやり取り、つまりコミュニケーションのやり取りの“普通さ”に強調点が置かれている。身体は普通に動かなくてもいいし、耳が聞こえないことも構わない、目が見えないことも構わないんだけど、やり取りだけは「普通」であってね、というように。
だから、普通とは何か、定義するとするなら「時代が求める“ひと”の標準型」ではないでしょうか。時代ごとに、求められるものが違うのです。

この時代によって求められる「普通」について、熊谷先生は1960年代の高度成長期に中心的だった製造業から、時代が進むにつれて日本のビジネスモデルがサービス業中心へと変革してきたことが要因の1つにあるのではと推測します。

製造業においては、規格化された動作、生産ラインの中で、「マニュアル通りにマニュアル通りのスピードと器用さで、何かを組み立てたり操作をしたりする身体」が、時代が求める“標準的な人間の類型”だったと思います。その中で、日本の中心産業が製造業からサービス業に変わっていきました。
反復するような動作は機械が担ってくれるようになると、人間に求められるスペックが変わっていきました。サービス業だと、機械では代替できない「コミュニケーション能力」が求められるようになったと思います。それを受けてか、発達障害や自閉スペクトラム症と診断される人が増えてきたのではないでしょうか。

コミュニケーションというのは文化によって左右されると話す熊谷先生。
例えば、アメリカの自閉症の診断基準で診断すると、日本人のかなりの割合が自閉症になる可能性があるのだとか。
診察室に入るやいなやノリノリで挨拶することが、いわゆるアメリカでの「普通」。日本人だとそういうことはしないので「普通ではない」となってしまうそう。
これは分かりやすい例ですが、このようにコミュニケーションは文化によって“正解”が異なるのだそうです。

写真:熊谷先生の話を聞くマスク姿の後藤リポーター




■マイノリティーが問う“普通”


熊谷先生の専門である当事者研究。
私が「普通とは何か」についてインタビューしているこのシリーズ企画は、いわば「当事者研究」の1つだと熊谷先生は言います。

マジョリティーに「普通」って何ですか、と聞いても、自転車に乗れる人に自転車の乗り方を教えてください!というようなものです。その人たちにとっては、日々“当たり前”となってしまっていることなので、説明不可能なのです。

社会学では、「普通」を探求するための実験、「違背(いはい)実験」というものがあると話す熊谷先生。
違背実験とは、例えば対象者にわざと失礼なことをやってみて、周りを不機嫌にさせることで、その文化圏が「普通」だと思っているやり取りをあぶりだそうというもの。

これを、障害者は普段の生活から、健常者に対して行っているというのです。

「普通」とは何かという問いは、普段「違背実験」を生きているマイノリティーにしかできない、答えられないものだと思います。後藤さんの中にも、経験があるはずです。これまで、周りとずれたな、何かを侵犯してしまったな、という経験が。そういうエピソードは、障害者の仲間の中にはいっぱいあるんです。だから、我々にしかできないことなんです。

たしかに、私は聞き取りにくいので聞き返すことが多いです。聞き返していると、たまにえっ!という顔をされ「今のはどうでもいい話だから」とか、「単なる雑談」と言われることがあります。それはきっと、普段から雑談が“聞こえている”人たちの普通なのだと思います。

写真:熊谷先生と、話を聞く後藤リポーター


そんな熊谷先生にも「普通」を追い求めたことがあったと言います。

私は出生時に障害を負ったので、この身体の状態がいわば“当たり前”でした。だから、小さいころは「普通」を目指すという意識は内側からは出てこないですよね。その当時受けていたリハビリは、「普通」を“押し付けられる”という感じでした。
一方で、小児科医として仕事を始めた直後は、初めて「普通」というものを追い求めたと思います。

仕事では「誰が被害を受けるか」ということがとても分かりやすいため、研修医1年目のころは「とにかく“普通”に(障害のない医師と同じやり方で)処置ができる練習=自主的リハビリ」をしてきた熊谷先生。

「普通の」臨床医がやるようなやり方で採血をしようとしても、腕が思うように動かせない熊谷先生はうまくいかず、赤ちゃんは泣いてしまい、親御さんは怒る。
担当を外されて、気も滅入ってしまうという悪循環になってしまいました。

この時の経験を、「初めて“普通”を内発的に追い求めたけれど、うまくいかなかった傷のような経験」だと言います。

その後、研修医2年目では勤務する病院が変わります。その病院は、1年目の病院よりもはるかに忙しく、熊谷先生を「即戦力」として見ていました。

そこである変化が生まれます。

あまりにも失敗するから、誰よりも採血の仕方に関する教科書は読んでいたので、知識は十分にありました。でも、一度も成功したことがなかった。そんなとき、上司が「俺が責任を取るから大丈夫だ、思い切っていけ」と言ってくれました。そうして、初めて採血が成功したんです。

その後、安定して採血ができるようになり、当直も任されるようになります。
この1年目と2年目の経験を経て、熊谷先生はこう考えるようになりました。

チームで当直にあたる時というのは、結局、メンバーに「普通」を求めるよりも、一人一人の“癖”を見極めることの方が大事になります。腕はいいけど患者受けの悪い医師と、腕は良くないけど患者受けがいい医師がいたら、適材適所に配置しますよね。現場ごとにどうパズルを組み合わせていくことが必要なんです。
忙しさがある閾値(いきち)を超えると、むしろ多様性を広げるのだと思います。



■失敗を許容する文化から生まれていくもの


その後、肌で感じた1年目と2年目の職場の違いという経験を生かせないかと考えていた時に出会ったのが「高信頼性組織」という研究分野でした。

「高信頼性組織」とは、例えば宇宙ステーションや原子力潜水艦、管制塔、救急医療の現場などはリスクの種がたくさん存在しており、ちょっとした失敗が大きな事故に結びついてしまうので「高い信頼性を維持する」組織のこと。不確実性が高く見通しが持てない、誰も正解を知らない、そうした状況の中でも成立している組織、ということになります。

誰も正解を知らないため、強権的なリーダーシップではコントロールできません。自分の強み、弱み=傷のようなものを熟知し、メンバー同士のことを深く理解し合うことが大切になります。

このような、トカゲのしっぽ切りが“不可能”な組織では、失敗を減らすために、失敗を許容しないといけない文化が生まれます。
この場合の「許容」は、失敗があったときにその人を責めるのではなく、失敗のメカニズムをみんなで調べることです。失敗した人は、むしろ、その失敗を報告したことを褒めるという、ジャストカルチャー(「公正な文化」)と言われる文化だそうです。

このジャストカルチャーという文化がないと、メンバーは失敗を個人化されることが怖くて、「失敗を隠すように」なります。しかし、失敗というのは、組織にとっては貴重な学習資源でもあります。

つまり、失敗を隠されてしまうと、組織としては学習ができなくなるため、同じ失敗が繰り返されてしまうのです。

(高信頼性組織研究とは)失敗を、自然現象のように捉えて“研究”すること。雨が降ったら、誰が犯人なんだ!と即人的に失敗を処理しませんよね。どうして雨が降るんだろう、と研究をすると思います。失敗も、そのように対処すべきなのです。誰かのせいにすることは、とても単純な思考ですからね。

写真:熊谷先生


これが、障害者雇用の文脈でも活きるのではないかと熊谷先生は考えます。

今社会で求められている障害者雇用、ダイバーシティ(多様性)な職場というのは、高信頼性組織研究の知見を活かして考えることができると思います。高信頼性組織というのは、個人と組織の両方が成長最大化する条件でもあるからです。
つまり、失敗を減らすために、失敗を許容する文化が必要なのです。

その高信頼性組織を生み出すためには、「謙虚な」リーダーが必要だと考える熊谷先生。
この場合の謙虚さは、以下の3つから成り立ちます。

① 他人とのやり取りを通じて、自分というものをより正確に理解しようとする欲望
② 自分の価値はそのままに(自分を下げるのではなく)、他人の価値をあげること
③ ティーチアビリティーとよばれる、周囲から教えてあげるよ、という態度を引き出す力

つまり、やり取りを通じて自己理解をし、他人のいいところを見出せるような謙虚さです。
この力をつけることで、あの人は使える・あの人は使えないという二元論ではなく、どういう人だってある状況下では能力が発揮されるし、ある状況下では発揮されないのだと理解することができると言います。

この「謙虚さ」というのは、リーダーはもちろんですが、全員が持っておく必要があります。また、この「謙虚さ」を持とうすることは、すぐに始めることができると思います。
たとえば、正確な自己理解。ノーマルな人は1人もいないのだという事実に気が付く必要があります。自分が普通だと言っている人は、「謙虚さ」がありませんよね。この3つの条件を、日常生活の中にどんなふうに取り入れられるか、と考えてみてください。



■コロナで“普通”が変わった ―今は、全員で日常を研究できる機会


このお話を聞いた後、新型コロナウイルスの感染拡大が続き・・・
9か月後の12月、改めてリモートでお話を伺う機会をいただきました。
障害当事者としてはマイナスな面もあったが、プラスの面もあったとのこと。

日常で介助が必要なのですが、ヘルパーさんが来ることが難しく、家族に介助の負担がのしかかりました。依存先が家族に集中してしまったのです。自立するために、依存先を増やしていたのに、それが戻ってしまいました。
一方で、出勤しなくても良くなったことはとても楽でした。移動にかなりの時間を費やして疲れていたんだなと、仕事がはかどることで感じました。他にも、バリアフリーでなくて行けなかったような、憧れだったレストランが、テイクアウトをするようになったことで、アクセシブルになりました。

そして、まさに「今」に活きるお話を伺うことができました。

写真:リモート画面の熊谷先生


まずは、大切だとおっしゃっていた「高信頼性組織」について。
コロナ禍で、「高信頼性組織」に関する知見はより必要とされるようになったのではと話します。

コロナにおいて、不確実性は増していますよね。つまり、今こそ、社会・コミュニティーのマネジメントにおいて、高信頼性組織が蓄積した知恵が生きるのではないでしょうか。

特に、当事者研究は、お互いのことを深く知り合うことの実践です。「勉強」は正解が分かっているけれど、「研究」は正解が分かっていません。高信頼性組織においては「研究」が大切なのです。高信頼性組織を実現するためのノウハウが当事者研究にある、という捉え方にもなります。

誰も正解を知らないことはたくさんあります。例えば、私でいうと、介助が必要なのに家族に介助が集中してしまった問題。どうしたら、家族に介助が集中しないで、なおかつヘルパーさんの安全性を保つことができるのか?これは、専門家の人も誰もわからないことです。

誰かが我慢して誰かのせいにしておこう、でなく、みんなで考えることが大切なのです。
誰かの判断を待つのではなく、みんなで研究することです。専門家に文句を言わないと!ではないのです。専門家の意見は参考にはなるけど、正解ではないのですから。私たち一人一人が考えるべきなんです。全員が研究者にならないと。

さらに、コロナによって「普通」、つまり熊谷先生がいうところの「時代が求める“ひと”の標準型」は変わったのではないかー。
お聞きしてみました。

「ニューノーマル(新しい常識)」という言葉が長く使われるようになりました。その名の通り、「普通」が新しくなったのです。つまり、「普通」の基準が変わったのだと思います。それによって、障害が軽くなった人も、重くなった人もいるでしょう。なぜなら、社会が求める規範とミスマッチするのが「障害者」だからです。規範が変われば、障害が変わるのです。

例えば、私のように移動に関して障害のある人は、オンライン化で移動しなくても良くなった、この点では障害が軽くなったと言えるでしょう。一方でオンラインへのアクセシビリティーが高いか低いかで、格差が生まれています。また、障害者・健常者の境界線の組み替えも起きています。オンライン会議や授業では、集中力が保てない、という学生が相談に来ました。でも彼には、障害の診断はつきませんでした。以前であれば、健常者のまま生活していたのに、オンライン化によってADHDかも?と疑うようになったのです。

コロナによって全員が総障害者化している、と言いましたが、つまりはミスマッチが普遍化しているということなのです。今こそ、障害は個人にあるのではなく、社会にあるのだという社会モデルを理解しやすいのではないでしょうか。それを、個人の特質で説明しようとしたときに、障害名がつくのですから。


今こそ「普通」とは何なのか、という理解を深めることのできるタイミングなのではないかと思いました。
いまの日本社会では、障害者・健常者問わず、「普通、こうだよね」と考えていることの中に、「失敗を許さない」という考え方があるように思います。
また、コロナ禍では、その考え方がさらに強調されているように感じます。

一回“失敗”したら人生が終わりー。この考え方に生きにくさを感じている人は、障害者だけではないはず。
と同時に、この“失敗”というのは「普通」にできないことは失敗だ、というように、「普通」という概念と密接に結びついているように思います。

“障害者”だけの問題だと考えるのではなく、1人1人が「失敗の原因を個人化」しない意識を持つことが、みんなにとって生きやすい社会になるのではないでしょうか。

\今回お話を聞いた人/

写真:熊谷先生

熊谷晋一郎(くまがや・しんいちろう)|東京大学先端科学技術研究センター当事者研究分野准教授
1977年山口県生まれ。脳性まひのため電動車いすを使用。東京大学卒業後、小児科医として働く中で、「当事者研究」に興味をもち、研究を始める。著書に「リハビリの夜」「小児科の先生が車椅子だったらー私とあなたの「障害」のはなし」、共著に「当事者研究の研究」などがある。



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後藤佑季

後藤佑季(ごとう・ゆうき)

1996年7月30日生まれ 岐阜県出身 聴覚障害(人工内耳使用) 【趣味・特技】料理、カメラ、書道準五段、手話技能検定準2級 【スポーツ歴】陸上(100m走など短距離)、水泳、バドミントン 【抱負】私の聴覚障害(難聴)のような『目に見えない障害』の存在を伝え、様々な障害のある人とない人との橋渡し役になれたらと思っています。自分の身体ではないものを最大限に生かし、自らの可能性を広げる、超人たちの「常識を超える瞬間」を多くの方にお伝えしていきたいです!

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