2020+1―
取材をしていると、この+1には、選手によっていろんな意味合いがあるように感じます。
今回は、12月末に沖縄で行われたパラ陸上の強化合宿で伺った「2020」と「+1」についてお伝えします。
インタビューの際はフェイスシールド+マスク、そして距離を取るなど、感染症対策に万全を期して取材しました。
■プラスもマイナスも、どっちも半々― 髙田千明(T11・視覚障害 走り幅跳び)
2019年の世界選手権の走り幅跳びで4位に入り、すでに東京大会の代表を内定している髙田千明選手。
2020年を振り返って、こう話していました。
「2020年になって、『ここからパラリンピックに向けて、調整をしっかりしながら上げていこう』というところでコロナが。緊急事態宣言や、練習の場所、時間、大会自体もあるのかないのかと、精神的にも不安定な時期が続きました。でも、(コーチでガイドの)大森さんや家族、いろんな人たちに「それでも何か出来る事を」と支えてもらったことで、自分の気持ちもゆっくりゆっくり上げて、何があっても「何ができるか」を考え、色々振り返ることができた1年でした」

髙田千明選手(左)と、ガイドの大森盛一さん(右)
実は、世界選手権のあとに髙田選手から、「骨にヒビが入ってしまって、しばらく練習ができない」とお聞きしていました。
けががあると、延期はプラスなのではと思ったのですが…
「11月の世界大会の時にヒビが入って、(2019)年内は激しい動きは基本的にはしないようにというドクターの指示もあり、年明けも思うような練習はできませんでした。延期で練習する時間が延びたというのは、後から振り返れば…という感じです。気持ち的には、パラリンピック本番に向け、調子を上げてしっかりとそこに合わせるぞと思っていたので、どっちもどっち、半々ですかね…」
2021年に向けては。
「2016年以降、毎年毎年一つ一つの課題をクリアし、最終的に4年後、助走から踏切、空中、砂場での着地が全部かみ合うようになってパラリンピックの当日を迎える、という流れでコーチたちとずっと練習を続けていました。あと一年は、今までやってきた一つ一つの事、全てがスムーズにかみ合うよう、集中的に練習を続けていきたいと思います!」


最後に、抱負を話してくださいました。
「周りに支えてくれている大森さん、久美さん(井村(旧姓:池田)久美子コーチ)、支えてくれているコーチ達は、本当に私にはもったいないような人たちが周りについてくれているので、特に慌てず、その人達を信じてしっかりと目標に向けて練習を続け、当日は5m超えて表彰台に乗りたいという思いで頑張っていきます!」
※井村(旧姓:池田)久美子さんは走り幅跳びの日本記録保持者、大森盛一さんはアトランタ五輪の1600mリレーので5位入賞
インタビューは、練習を2日間見た後で行ったのですが、「ずっと見ていたんですけど…」と伝えると、「そうだったんだ!全然知らなかった!」とのこと。髙田さんは全盲なので、遠くから会釈、というわけにはいきません。
これまでの合宿や個人練習の取材では、競技場に髙田選手が入るときに「きょうはよろしくお願いします」と声を掛ければ、誰がいるか分かっていただくことができました。
「選手取材では、しっかり見た上で、聞きますと相手に伝わるのも礼儀」と教わってきた私ですが、この合宿ではコロナ対策のため選手と取材者の入り口や動線も別々。インタビュー以外で選手に近づくことはできません。
コロナ禍での視覚障害の選手の取材は、挨拶からして、これからの課題です。常に、探り探りで対応する現場から、発見することがあります。
■ことしこそ、「待っててください!」― 兎澤朋美(T63・大腿義足 走り幅跳び)
髙田選手と同じく、東京大会の代表が内定している兎澤朋美選手。
まずは2020年を振り返って…
「みんなそうだと思いますけども、予想外すぎる。悪い意味で誰も予期してなかった1年になってしまった、という感じです。もちろん私に限らず、そしてスポーツ選手に限らずみんなそういう1年だったと思うので。その中で自分に何ができるかっていうところを考えて、やれることはやってきたかなと思います」

―やれることはやってきた、その中で得た手応えはありましたか?
「実際の試合の場が例年に比べて少なくて。その数少ない実戦の中で、予期していなかった義足のトラブルが起きたので、試合の中でしっかり自分の力を発揮することができなくて、悔しい気持ちの方が大きいです。でも、記録会や練習の中では自己ベストの跳躍ができた時もありましたし、記録に限らず技術的な面でも今までとは変わってきてると感じる部分もあるので、そこは自分としても評価していいんじゃないかなと思います」
練習を見ていて、兎澤選手が走るときの「軸」が以前より安定してきたように感じました。
大腿義足の選手の場合、左右差が大きいことから、どうしてもブレたような走りになってしまうことが多いのですが、それが軽減したように見えたので、そのことについてお聞きしてみると…
「ありがとうございます!あんまり自分の走りをそういう風に客観視することがないので…(笑)。映像を撮って後から確認してフィードバックしたりすると、課題になる部分がまだまだ多くあるので、1年延期になって良かったねと最後、捉えられるように、残り8か月9か月しっかり準備していきたいと思います!」


特に、どんな課題があるのかお聞きすると…
「走り幅跳びに関しては引き続き、空中動作の部分でもう少しロスを減らせるとよりよい跳躍になるので、取り組み始めています。走りに関しても、健足と義足の体重のかけ方や、重心の乗せ方という基本的なところを取り組んでいます。理想型は変わらないので、そこにいかにもっていくかと、日々取り組んでいます」
―ちょうど1年前、2019年末の沖縄合宿で、「5m出すから待っててください!」と言われたことが、とても印象に残っているのですが…
「わたし覚えてますよそれ(笑)。宣言したにも関わらず、実践の場でそれが果たせなかったのは、自分としても、もうちょっと行きたかったと思ってて。本当に、ことしが勝負になるので、しっかりやるべきことをやって、果たせるように頑張っていきます!お待たせしてすみません…」
なかなか思うようにいかなかった1年だったかもしれませんが、2年越しの「待っててください!」、その宣言通りのジャンプがいつ見られるか、これからも注目していきたいです!
■2020年は、“苦しんだ”1年― 石田駆(T46・上肢障害 400m)
パラ陸上を始めたその年に、世界選手権出場、5位入賞という鮮烈なパラデビューを果たした石田駆選手。
2020年はどんな1年だったのでしょうか。
「2020年は、コロナによって計画が崩れ、東京パラリンピックも延期になってしまって。試合も延期や中止になって、初戦のめどが立たない状況でトレーニングするのは苦しかったです。やっと試合が再開されると思ったら、けががあって今シーズンの試合であまり成績が残せなかった。その悔しい思いがあり、この1年を振り返ると苦しんだ年だなと思います」

けが、というのは、腰を痛めたこと。臀(でん)筋やハムストリング(太ももの筋肉)が固いことが影響して、腰に負担がかかったのではという話でした。
2020年の10月末ごろから、しばらく走る練習ができなかったそうです。
「けがをして1番思ったのは、ことしでよかったということです。パラリンピックとけがの時期が重なっていたという可能性もありましたし…今、(回復に)時間のかかるけがを経験できて、今後の冬季練習でも『けがをしないでトレーニングしていくこと』を意識しないと、と改めて実感しました。自分の体と向き合うことができたと、ポジティブに考えています」
これから、強化していきたいことは。
「今までずっと、スピード練習や、400m走るための体力をつける乳酸トレーニングなどを中心にやってきたんですけど、そこだけではなく、筋力、特に体幹をしっかり鍛えていかないと、と思っています。
例えば、脚力を鍛えることによって反発をもらってスピードに変えることはもちろんですし、上肢障害なので『左右のバランス』を保ったフォームを崩さないためにも、体幹を鍛えないといけないと」

石田選手は、上肢障害の中でも、切断や欠損といった障害ではなく、左肩に人工関節が入っているという、日本の強化指定選手の中でも例の少ない障害です。
元々陸上選手だった石田選手。2018年の6月に手術をしてその年の12月から陸上の練習を再開しました。
パラ陸上を始めたのは、2019年になってからですが、筋力トレーニングはどこまでできるのか、未知の世界でした。
「自分は障害を負ったばかりですし、手術したころは主治医の先生も運動はすすめませんでした。物を持つのも500mlのペットボトルくらいにした方がいいと言われていたので…。でも、主治医の先生の予想以上に回復したし、パラ陸上を始めて1年たって、トレーニングもやれることはあるんだって少しずつ気づいて、逃げずにやれることはしっかりやろうと思いました」
石田選手は、障害を負って日が浅いこともあり、今は「自分の身体で何ができるのか」を探っている段階なのだと思います。
パラアスリートたちは、自分の身体との対話を重ねて“唯一無二の存在”になっていくのだと思うと、その過程を見つめ、取材していくことはとても重要だと思いました。どんな対話をするのか、私たちにも学ぶところがあると感じました。

石田選手の2021年の目標は。
「東京パラリンピックに出て、パラ陸上を始めた当初から目指していた金メダルの獲得です。そして、パラリンピック後は、大学の全日本インカレに出場することも目標です。高校でインターハイに出場して、大学進学の時、自分が障害を負う前から目標にしていたことなので、大学4年生最後のチャンスで実現できるよう頑張りたいと思います」
この、全日本インカレに出場したいという夢は、石田選手がパラ陸上を始めて間もなく、最初に会った時からお聞きしていました。
最初は、“障害者”としての意識はあまりなかったそうですが、パラ陸上で活躍する中で、こんな思いも加わったと言います。
「もともと陸上やってた人が、パラ陸上を始めるという人はあまりいないとは思います。やっぱり、健常者として陸上をやってきた方は、障害者スポーツをやるイメージがあまり無いんじゃないかと思うんですよ。僕は今でも健常の大会、一般の大会にも出場してるんですけど、自分がパラ陸上を始めることによって、障害があっても記録が出せないというわけではないんだと、多くの人に思って欲しいと思います。
自分自身、パラ陸上を一から覚えてきた中で、障害は障害としてあるけれど『走れる』とか『ベストに近づける』んだと感じました。僕の中にも『障害があるとできない』というイメージがあったけど今は全くないので、同じように思っている人が少しでも減るといいなと思います」
石田選手がどんな道を歩んで行くのか、これからも見つめていきます。
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冒頭でも書いた、2020+1―
3人に伺っただけでも、三者三様の+1がありました。
それでも、共通していたのは、どんな状況でも“諦めない”という気持ちだと思います。
もちろん、どの選手も厳しいコロナの状況で、スポーツを行う難しさを肌で感じていましたが、それでも、パラスポーツが変える“力”を、自分が変わる“力”を信じて、前を見つめていました。
わたしも、そうした選手たちの姿に、パラスポーツの、パラリンピックの持つ“力”を信じて、伝え続けないといけない、と思いを新たにした取材になりました。