ひとりひとりが、パイオニア― パラ陸上・大島健吾 | 後藤佑季

陸上 2021年3月11日
写真:大島健吾選手。インタビュー中の笑顔(左)、ユニバーサルリレーのタッチ(右)

2020年9月のパラ陸上日本選手権、花形種目の1つ「T64(下腿義足)の男子100m」のレースで、一躍注目を浴びたのが、大島健吾(おおしま・けんご)選手、21歳。

その走力が認められ、3か月後の2020年末にはユニバーサルリレーの新メンバーとしても招集されました。


■義足は「靴」。でも「スパイク」は自分で作り上げないといけない


先天性の障害で左の足首から先がない大島選手、インタビューで「脚がないのが当たり前」のため、義足をこう捉えていると教えてくださいました。

「義足は…みたいな感じですかね。僕は義足をはかなくても歩けちゃったりするので、“家出るときに履くもの”ぐらいの感覚です。競技用義足は、スパイクみたいなイメージですかね。

今までは日常用義足で運動してきました。(高校時代にやっていた)ラグビーも。でも、やっぱり競技用義足の方が弾んで、(地面からの)反発があるので走りやすいですね。早く走れますし、疲れにくいですし。左足の反発がないと、ただ脚を、重りを前に出しているような感覚になっちゃって」

写真:スタートする大島選手

大島選手が「スパイク」と出会ったのは、高校2年生の時。
当時高校の部活でラグビーをやっていた大島選手は、顧問の先生に「パラ陸上選手発掘イベント」のチラシを見せてもらい、「行ってみるか?」と誘われたことがきっかけでした。

「僕、自分の脚の長さだと競技用義足は履けないと思っていたんです。メディアで義足の選手を見ても、(残っている)脚が短い人が多いので『自分は無理なんだろうな』って勝手に思ってたんですよね。でも、その発掘イベントで義肢装具士の沖野敦郎さんに出会って、自分が競技用義足を履けるんだと知ったんです。山本篤選手や、佐藤圭太選手が『陸上やらない?』と誘ってくれたので、『高校卒業したらやります!』と伝えました」

写真:義足を脱ぐ大島選手

大島選手の脚はかなり長く残っているため、日本には同じような状態の選手がいません。
そのため、競技をやりたくても「自分には無理なんだ」と思っていたそうです。


そこからは「有言実行」。高校3年生でラグビーを引退した後、すぐに沖野さんに連絡をとり、陸上を始めます。
この行動力が、大島選手の強さの1つだと感じています。

実は、世界には大島選手のように残された脚が長い選手がいました。ドイツのフェリックス・シュトレング選手。リオ大会ではリレーで金メダル、個人で銅メダルを取った実力者です。
視野を世界に広げれば、参考となる選手がいたことは、大島選手にとって大きかったと言います。

「1人1人脚の形が違いますし、残っている脚の長さによっても感覚が変わるので、義足が(シュトレング選手と)“そのまんま一緒”っていうのは難しいんですけど、義足の形や走り方を参考にさせてもらっています。

例えば、『自分の走りの癖の原因は、義足なのか、身体の使い方なのか』と考えたときに、『彼にはこの癖が出ていないから、改善できるだろうし、こういう身体の使い方をしたら癖が出ないんだろうな』と分析ができるので、自分に近い選手がいてよかったと思います」

どの選手も、「1人として同じ障害の人はいない」のが、パラスポーツの特徴です。だからこそ、1人1人が“パイオニア”として、自分の走りを追求していきます。
特に“前例”となる障害の選手がいない大島選手は今まさに、その追求の真っ最中なのです。

「今は、義足を改善したいですね。もうちょっと短くして、もっと硬い義足をつけても良いのかなって。僕は今、ストライド(歩幅)が長くて、ピッチがあまり早くないんです。義足の“バネの感じ”、びよーんとする時間が長いなってなんとなく感じているので、もう少し短くして、脚がすぐ出るような義足や、走り方に変えてもいいのかなって考えてます。
今、調子が上がっているので、義足をガラッと変えるかどうかは悩んでいるんですけど…」

写真:右の片脚で立ちなががら左脚を見せている大島選手

私は2019年の10月に、健常者の大会で大島選手のレースを見たことがあり、その力強い走りが、とても印象に残っていました。
約1年で日本のトップに躍り出る、急成長を遂げた理由は何でしょうか。

「義足を大きく変えたことが1つです。今まで、競技用義足なんて履いたことがなかったので、自分が『これがいいな』という感覚がなく、ただ沖野さんに作ってもらってそれを履いていました。でも、陸上をやっていくごとに『もっとこうすればたぶん早く走れる』というのがだんだんわかってきて、『自分が作ってほしい義足はこういう形です』と、明確に言えるようになったんです」

でも、言葉にするということはとても難しいこと。
なんか違う、なんかもやもやする、という感覚を言葉にしなくてはいけない難しさは、私自身も聴覚障害者として経験してきたことです。
そこに苦労などはなかったのでしょうか。

写真:義足を履く大島選手

ハインリッヒ・ポポフさんから合宿のときに『もっとこうした方がいいよ』というアドバイスをもらったのが大きかったです。例えば、元々の僕のソケット(脚を覆う部分)は、脚が残っている部分が多いので、膝のお皿の下くらいまでで終わってたんですけど『膝が横に倒れて力が逃げちゃうから、もうちょっと囲った方がいいよ』って言われて。確かに、力が逃げている感覚があったので、そういうことで改善できるのかと知りました。

あと、自分の動画を撮って見るのが好きなので、『こうなっちゃうのが嫌だな』と沖野さんに見せながら説明しています。だから、沖野さんと2人で作り上げている感覚ですね」



■“ありのまま”で過ごした学生時代


今、スポーツの探究を純粋に楽しんでいる大島選手。
2000年1月1日、三つ子の長男として生まれ、その時から左の足首から下がありませんでした。

保育園の時、障害のある子を受け入れる保育園に通った以外は、普通校に通ってきたそうです。
脚の残っている部分が長いこともあって、あまり困ることもないのだとか。
強いてあげれば、満員電車で、つり革につかまっていないときにはよろけてしまうこと、指がないのでスリッパが飛んでいってしまうこと、くらいだそうです。

「小学校の時も、僕が義足ということをみんな知ってたと思うんですけど、あんまり義足を外すところを見せたことがないので、ただギブスをはめていただけだと思われていたと思います。特に高校の時はほとんど言ってなかったので、修学旅行の時に初めて『脚なかったのって』びっくりされましたね」

「義足」であることを伝えていなかったのは、大島選手のある考えがあったからでした。

「それって全然言う必要なくて。最初に『僕、義足です』と言ったところで、特にできないこともないし、変に気を使わせちゃうとも思ったし、僕自身がそんな重要なことじゃないととらえていました。言おうとか言わんとこうとか、そういうのが頭に浮かばなくて、これが“普通”でしたね」

写真:笑顔で話をする大島選手

―私もそうですけど先天性だと、この障害のある状態、が「普通」ですもんね。

「そうですね、“あったものがない”じゃないので、こういう形で生まれてきてるので、これが僕の普通というか。1回も、脚がなくていやだなとか思ったこともなくて。それが“普通”なので、なんとも思ってないんですよね。これが左脚、くらいの感じなんです」

そんな大島選手、小さい頃から体を動かすのが大好きとのこと。
小学生の頃に水泳とサッカー、中学では卓球、高校ではラグビー、そして今は陸上と、多彩なスポーツに打ち込んできました。

「ほんとは中学の時、バスケをしたかったんですけど、運動に自信がなかったというか、うーんできるのかなって。で、卓球を選んじゃったんですけど、ずっと「もうちょっと激しいスポーツしたいな」って思って、高校でラグビーって感じですね(笑)」



■僕は「変な自信家」なんです


―大島選手の言う「スパイク」(競技用義足)を自分に合わせていく過程は、きっと繊細で大変なんですよね。感覚を合わせていく説明を聞くと、とても勉強になります。

「僕も全然まだまだ知らないので、これからもっと知らないとなって思います。知ったら、もっと記録は上がると思っています」

現在の目標は、アジア記録(11秒47)の更新。
「不可能ではないと思っている」と話してくれた大島選手。なぜ、そう考えることができるのでしょうか?

「僕は小さい頃から、『できないことをできるようにする』のがすごく好きなんです。人間って結局、言うても“同じ身体”じゃないですか。だから、他人ができることは僕もできるって基本思っています。『自分はできる』って考えるようにしていた方が得だと思ってるんですよね

どうせできないとか、どうせ才能が違うとか思うのがすごく嫌いなので、“なるようになる”って思っています。おんなじ義足の世界で争っていて、その中で僕は一番速いという(変な)自信もあるんです。(ほかの選手に)打ちのめされちゃったんですけど(笑)。今は負けちゃいますけど、同じ“人間”には絶対負けたくないので、いつか絶対勝ってやると思ってます」

写真:スタート地点で膝をつき、胸に手を当てている大島選手

私自身も「聴覚障害だからしょうがないよね」という言葉を受け取るのが嫌で努力をしてきましたが、大島選手もそういう気持ちがあるのでしょうか?

「例えば、保育園のときは竹馬が僕だけできなかったので頑張って練習したり、高鉄棒でやりたかった『こうもりふり降り』という技を頑張って練習したりして、できるようになりました。
「『義足だからしょうがないよね』とか『義足のわりに速い』とか言われるのが僕は嫌で。周りから思われる『しょうがない』だけじゃなく、『義足だから、これは遅くてもしょうがないか』って自分自身で思うのも嫌で。もともと『自分はできる』って思う性格から、さらに“変な自信家”になったのはあると思います」

「変な自信家」と自分を分析する大島選手。
“成功体験”があるから、自信につながる。
成功体験の積み上げは、ご両親から「やめておきなさい」と言わることが無かったからではと思いました。

「確かに、『義足だからやめとけ』とか言われたことはなくて、『やりたいことはやりなさい』と言ってくれる両親だったので、そこは大きいかなと思います。ラグビーをやるときもラグビー部に入ってから報告しましたし。義足だから『ラグビーは、危ないんじゃないか』という気持ちが全くなくて、むしろ『卓球部からラグビーいくのは、すごいんじゃないか』ぐらいにしか思ってなかったです。『ご両親心配されたんじゃないですか』って言われて初めて、そういえばそうだったなくらいの感じでした(笑)。そうですね、本当ありがたいですね」

写真:軽く助走をする大島選手
写真:全力疾走をする大島選手

次の“成功体験”へ向かっていく大島選手に最後、2021年の目標を伺いました。

「東京大会には出たいです。そのためには11秒47(アジア記録)は切らないと。あと、予選を勝ち進んで決勝で走りたいです。メダルがとれるかというと、今のタイムでは全然無理なんですけど、決勝を走ることができたら、得るものがすごく大きいので、決勝に残りたいです」

大島選手が、競技用義足を「自分の脚」にした時にどんな走りを見せるのか、これからも追いかけて行きたいと思いました。

大島健吾(おおしま・けんご)|愛知県瀬戸市出身。2000年1月1月生まれの三つ子の長男。水泳、サッカー、卓球、ラグビーを経験。ラグビーの強豪・瀬戸西高校では、フランカーだった。現在は名古屋学院大学の陸上部に所属。パラ陸上2戦目となった2020年9月の日本選手権で優勝を飾り、ユニバーサルリレーのメンバーに入る。

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後藤佑季
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後藤佑季(ごとう・ゆうき)

1996年7月30日生まれ 岐阜県出身 聴覚障害(人工内耳使用) 【趣味・特技】料理、カメラ、書道準五段、手話技能検定準2級 【スポーツ歴】陸上(100m走など短距離)、水泳、バドミントン 【抱負】私の聴覚障害(難聴)のような『目に見えない障害』の存在を伝え、様々な障害のある人とない人との橋渡し役になれたらと思っています。自分の身体ではないものを最大限に生かし、自らの可能性を広げる、超人たちの「常識を超える瞬間」を多くの方にお伝えしていきたいです!

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