「違っていることは、全てかっこいい!」車いすフェンシング ベアトリーチェ・ビオ ―シリーズ「レジリエンス」vol.4・後藤佑季

車いすフェンシング 2021年6月3日
写真:リモート画面で笑顔のビオ選手

「パラアスリートたちは、その人生でもって、人間の力強さを伝えてくれる―」

彼らにとって障害は決して克服した(乗り越えた)ものではなく、時には向き合い、時には諦め、時には受け入れて生きてきたもの。

そんな彼らがもっているパワーを、「乗り越えてきた」という一言ではなく、「レジリエンス=折れない心」という言葉で表現できるのではないか。

そう考えた私は、“TOKYO”を目指している世界のパラアスリートたちの「レジリエンス」を取材し始めました。



Vol.4 ベアトリーチェ・ビオ
/Beatrice Vio(イタリア・車いすフェンシング カテゴリーB)

私がリポーターになって以来ずっと話を聞いてみたかった選手のひとり、ベアトリーチェ・ビオ選手(24歳)。
リオ大会で金メダルを獲得した、世界で唯一と言われる「両手足のないフェンサー」です。

写真:

2016年9月 19歳で出場した初出場のリオ大会で、金メダルを獲得したべべ選手

話を聞いてみたかった理由は、私と同じ年齢なのに、彼女の発する言葉は強く、そして引かれるものばかりだからです。
それを示すように、SNSのフォロワー数は100万人以上!

写真:かわいいTシャツや、胸にハートがついたドレスなど、オシャレな服を身に着けて笑顔のビオ選手

国際的な有名ブランドのモデルを務め、オバマ元米大統領や、陸上のウサイン・ボルトさん、サッカーのマラドーナ元監督など、そうそうたるメンバーとの2ショットをあげている、パラリンピック界随一のインフルエンサーです。

「一体どんな思いが、彼女を突き動かす原動力なのだろう」
「彼女の考え方の真髄を聞いてみたい―」
そう思っていたところ、多忙でなかなかインタビューを受けてくれない彼女が1時間だけなら、と取材に応じてくれました!

「コンニチワ〜!私のことはべべって呼んでね!」

チャーミングな笑顔と一緒に、インタビューは始まりました。

実は2012年ロンドン大会の時、当時15歳だったべべ選手は力はあったものの、若すぎるために、出場を断念。その代わりに、聖火リレーのランナーとして走ったり、リポーターとして大会の模様を伝えたりしていました。その時、「新たな世界を発見した」とべべ選手は話します。

「東京大会で、日本にとどまらず、全世界の人たちに“レジリエンスの力”をお見せできるはずです」

彼女が考える、レジリエンスの力、とは―

写真:リモート画面のビオ選手と、笑顔の後藤リポーター

―私には聴覚障害があります。人工内耳という機械をつけていて、リハビリを経て、今、普通の方と同じように話したり聞いたりできるようになりました。機械ですが「私の耳」になっています。べべ選手にとっての義手や義足はどんな存在ですか?

「あなたと同じように、私の義手や義足は、まさに私の体の一部です。私が失った体の一部は、ある意味、より良い形となって取り戻せました。こうした技術のおかげで、朝起きて、義肢を身につけて外出し、走りたいと思えば走れるし、フェンシングをしたいと思えばできる。何だってできる。時には、他の人よりも多くのことができることもあるんだから!

べべ選手が義手と義足の生活を送ることになったのは、11歳の時でした。髄膜(ずいまく)炎にかかり、生存率は3%とも言われ、生きるためには手足を切断せざるを得なかったのです。


―SNSを見ていると、義手や義足で遊んでいたりもしますよね。義手や義足は、べべ選手にどんな新しい世界を見せてくれたんですか?

「周りのみんなに、これは“障害”ではなくて1つのチャンスだとわかってもらう唯一の方法は、義肢はかわいそうなものではなく、一種のゲームのようなものだと示すことだったんです。そう思ったきっかけは家族でした。私には兄と妹がいるのですが…よく義肢を使って戦争ごっこをしたものです。手のグループと脚のグループに分かれて、義手と義足を武器がわりにして戦っていました(笑)。そんな風に義肢はいつだって楽しいものだと思っていたから…今、義肢が超クールで面白いものだと思えるのはそのおかげ!」

―義肢があるからこそ、できる経験はありましたか?ちなみに私は、集中したい時には、人工内耳を外して無音の世界に切り替えています。

「そうね!やりたいことは何でもできるし、それ以上のこともできるってことかな。今の私の体は無限だしね。以前は、私の腕は手までだったけど、手がない今は、無限(どれだけでも伸ばせる)。脚も無限。つまり、私の置かれた状況には限界がないってことを理解したんです。新たなやり方を考え出せばいいんだって。面白いよね!」

写真:義手を見せるビオ選手

―私の個人的な経験からですが、障害のあるひとは選択肢が少ないと感じています。それでも、私は聴覚障害があっても何でもできるんだということを伝えたいんです。だから、コミュニケーションに障害がありますが、伝えることを仕事にしています。べべ選手もそのような思いはありますか?

「あなたがしていることをみると…特に、耳が聴こえないと、コミュニケーションが大きな問題になることもあるけれど、それが“問題”ではないってことをあなたは、世間に示しているんじゃないかな」

「(私やあなたのように)技術のおかげで、それが逆に自分の強みになるんです。つまり、問題を自分の強みとして利用するってこと。それこそ、私が世間に示したいこと。皆に、やりたいことなら何だってできるんだってことを示したい。自分の(身体的)状況なんて、関係ない。大切なのは、自分が何をしたいか、そして自分の夢は何かってことだけ。自分の夢を叶えたいなら、その実現を目指して努力しなくちゃ。 私は、そう思ってる。私に限界はないし、身体的状況のせいで、自分の目標が制限されることはないはずでしょ?

写真:談笑するビオ選手

べべ選手が両親とともに立ち上げた、パラスポーツのアスリートなどを支援する財団のメンバーたちとの合宿中のワンシーン

「自分の気分を良くするのは簡単だってことを、みんなに示したり理解したりしてもらうことは、難しくなんかない。何かにつけて、こう言わない・・・・・・ようにすればいいだけ。『〇〇だから、悲しい』とか『△△だから、落ち込んでる』とかね。かわりに、もっと色々行動して、自分の可能性を広げなきゃ!

―そういう思いがあって、SNSで発信しているんですか?

「多くの人々にアプローチし、共有できるなんて、素晴らしいと思う。だから、コミュニケーションの世界には感謝していますし、すべてを変える力があると思っています。たとえば、人々の考え方って、簡単に編集したり修正したりできるでしょ。障害をクールなものとして表現できれば、みんな、障害はクールだと考えるようになります。でも、障害者が、“多くの問題を抱えたかわいそうな人”であるかのように表現すれば、そう思われてしまう。クールだと思ってもらうことが大事だから、私は障害のクールな部分を見せるようにしているんです」

写真

病気になる前のべべ選手(選手提供)


べべ選手は、5歳の時に「フェンシングに恋をした」と表現します。

「フェンシングをしている瞬間が大好きなんです。人生の中で、一番好きな瞬間です。
試合中は、怒りが込み上げたと思ったら、また恐怖に駆られて。ポイントが入ればうれしくなるけれど、それから、また怖くなる。すべてが終わると、感情が怒とうのように押し寄せて…最後に泣いて、それでおしまい。泣いて、何度も叫んで、それからまた泣いて、また叫ぶ。その瞬間が大好きなんです」

写真:車いすでフェンシングをするビオ選手

病気となって手足を切断してもなお、その恋は冷めることがありませんでした。けれど、「フェンシングへの復帰は無理だ」と周りから言われそうです。

「手がないのにフルーレを持った人など、世界中に誰もいなかったので、物理的に不可能でした。それでも、私にとってフェンシングは人生そのものだったので、どうしても復帰したくて…。そこで、『とにかく、フルーレをちょうだい。何とか、それを身に着けて使えるような方法を考えるから』と言いました」

「その後、幸運なことにパパが私にとって初めてのフェンシング用の義足を作ってくれました。パパは、フェンシングや義肢、パラリンピックの世界については何も知りません。それでも、両親は私の力を信じていて、私がフェンシングをして楽しそうにする姿を見たかったのでしょう」

写真

両手足切断の手術をした後、両親が探してくれた義手とフルーレをくくりつけてフェンシングを再開した当時の写真(選手提供)

この当時、自分たちが義手や義足について全く情報を得られなかった経験から、べべ選手と両親は「Art4Sports」という財団を設立します。義肢などの装具を寄付したり、スポーツに取り組む機会を与えたりしています。

「病気を経て、フェンシングを再開してから、スポーツの持つ力を思い知りました。身体の一部を切断したすべてのイタリアの若者に、次のように語り掛けることが大切だと思ったんです。『あなたも、他の人と同じような人生を送り、スポーツに参加し、スポーツやコミュニティーのある生活を楽しんでいいんだよ、私たちはチームだよ』って」
「今Art4Sportsに所属している人の多くは、最初、スポーツに参加するチャンスがあること、スポーツを通じて幸福になれるチャンスがあることを、知らなかったんです」

写真

Art4Sportのメンバーと合宿中の写真。彼らと過ごすのは、べべ選手にとっても有意義な時間だそう

「今、私たちはイタリアで変化を起こすために活動をしています。私たちが大切にするのは、格好よい生き方や、自分の人生の楽しみ方を発信すること。(オリンピック選手よりも)パラリンピック選手ならではのストーリーの方が、心を奪われやすいということもあるかもしれませんね!普通は、0から始めて100にたどり着くけど、スタート地点がマイナス100の場合、0にたどり着き、さらにその先を目指すのは、はるかに大変だから」

―私の場合は先天性の障害ですが、べべ選手は後天性ですよね。だからこそ、「できていたことができなくなる」という苦しみがあったんじゃないですか?

「障害に対して戸惑いはありました。それは、私が、健常者の世界に生きていたからかもしれませんが、障害者って哀れな人だな、かわいそう、どうすればいいのかな、触ってもいいのかな…。手助けするべきだろうか、でも、同情しているように思われたら良くないかもしれない…。私も、そんな風に考え、私自身、障害者と同じ世界に属しているとは思っていなかった。それまで、他に障害者の知り合いがいなくて。そのことについては、反省しています」

「でも、障害者の世界の一員となり、皆さんから多くのことを感じ、気づき、学ぶことができ、なかでも2012年ロンドン大会を経験して、すべてが変わりました。何が大切か、理解したのです。障害の有無は問題じゃないってね。直截的な言い方かもしれないけれど・・・私の障害自体は問題じゃないって」

写真

電気治療を行っているべべ選手。筋肉をほぐすなどの効果がある

「私が初めて知り合いになった障害者は、オスカー(・ピストリウス:ロンドンオリンピックに出場した両下腿義足のランナー)とアレックス(・ザナルディ:元F1レーサー。レース中の事故で両足切断、パラの自転車競技の金メダリスト)。

私に走りたいのなら、ただ外に出て走ればいいのだと教えてくれました。すごく簡単なことです。何かほしいものがあるなら、ただそこに行って、手に取ればいいってね。彼らは、私に不可能はないことを示してくれたんです。身体的状況など関係なく、大切なのは私が何をやりたいかだと教えてくれました。

それは、まさに私が必要としていた学びでした。なぜなら、それまでスポーツをする障害者を見たことがなかったからです」

写真:

アレックス・ザナルディ(イタリア)



写真

オスカー・ピストリウス(南アフリカ)

―だからこそ、自分の気づきをArt4SportsやSNSを通じて、社会に伝えたいんですね。

「私たちは精力的に広報活動を展開し、多くの美しきパラリンピック選手たちにまつわる素晴らしいストーリーをPRしてきました。私たちが望むのは、将来、たとえば5年後に、20歳の女性へ、アスリートの名前を挙げるように頼んだら、2人の名前、オリンピック選手とパラリンピック選手の両方の名前を挙げてほしいと思っています。それが私たちの夢であり、是非実現したいと思っています」

「一方で、パラリンピアンは、伝えたいメッセージが異なる点こそが、いいところなんです。社会は、多彩なメッセージ、多彩なロールモデル、すべてにおいて多彩であることを必要としています。ここに障害のある赤ちゃんがいるとしたら、その子がつらい思いをすることなく、陸上競技に挑み、同じように片脚の仲間に恵まれる姿を見たい。
だから、私たちは、このチームの力を信じています。違っているものは、すべて格好いい!ってね

写真:遠くを見つめるビオ選手

―べべ選手は本当にポジティブですよね、強さを感じるんです。その強さの源が「レジリエンス」でしょうか?

「私のレジリエンスは…ただ最高のチームを味方につけ、明確な課題を抱き、夢の実現に向けて家族と一丸となって頑張ることから生まれます」

「私は、こんなことを言う人は信用しません。 『そう、たった一人でやった。全部、私がやった。私は、こうだった。私は美しかった。私は偉大だった』ってね。そんな人、いるわけない。みんな、私はすごく強いって言うけれどとんでもない、私は何に対してもすごく怖がりです。私は、そんなに強くない。ただ、恵まれているだけ

写真

べべ選手の両親、父ルッジェロさん(左)と、母テレサさん(右)

「私たちだって、最初の内は誰にも応援してもらえませんでした。私と家族は、一歩一歩進んで行くうちに、応援してくれる多くの方々と巡り会ったんです。私には、史上最高の家族がいるので、本当に恵まれていると思います」

「両親や兄弟をはじめとするみんなのおかげで私は、ふたたび自分の人生を取り戻すことができました。これまで、何度も不幸な出来事に見舞われましたが、自分のやりたいことを諦めずに頑張り続ければ、どんな悪いことも、過ぎ去るはず。人生、何が起きるかわからないけれど最高のチームがいて、応援してくれる人も多くいて、夢に向けて頑張り続けていれば…後は、自分の夢を思い描くだけでいいんです」

写真:笑顔のビオ選手

―東京大会で、世界に何を伝えたいですか?

「以前、東京を訪れた際には、あまり障害者の姿を見かけませんでした。街中で、車いすに乗った人や、義肢を使用する人を見かけなかったんです。普通は、どこの国に行っても、あちこちで障害者を目にするのに。
私の夢は…街中で、障害のある大勢の方々に過ごしていただいたり…障害のある東京在住の高齢者たちが、自分だけの世界に閉じこもらず、社会の一員として活動できるよう支援したりすることですね」

写真:インタビューに答えるビオ選手

―コロナ禍での東京大会が持つ意味は、変わると思いますか?

「何が起きようと、自分の人生を建て直すことはできるし、もう一度チャンスを手にすることはできる。これまで積み重ねてきた努力を手放さず、新しいチャンスを見つければいい。コロナ禍に見舞われた私たちは、東京で開催されるパラリンピック大会を再び立ち上がるきっかけの一つにできるかもしれません。ですから、東京大会への出場を楽しみにしています。大会を通じて、東京にとどまらず、全世界の人々にレジリエンスの力をお見せできるはずです

・・・

写真

2016年のリオ大会、念願の金メダルを義手でガブリ!

ずっとお話を聞いてみたかった、ベアトリーチェ・ビオ選手。
実際に話してみると、想像と違わず、エネルギッシュで、まさに太陽のような存在でした。

自らが、家族とともに切り開いてきたという根拠が、彼女の言葉を強くさせているのだと思いました。
そして、自らがした思いを、他の誰かが経験しなくても済むように…

両手足切断という出来事を経た彼女が話す、「違っていることは全てかっこいい」という言葉は、説得力があると感じました。
彼女自身が「Cool=かっこいい」のだと、体現している―。

パラリンピックはまさに、こうした多様な人たちが集まる場、人が持つ力強さは無限なのだと肌で感じられる場なのだと思います。


(取材協力:鈴木祐子、Monica Salvatori)

【関連動画】車いすフェンシング ベアトリーチェ・ビオ “無限の可能性”伝えたい(2021年3月3日「おはよう日本」)

今を切り開く力 ―パラアスリートがもつレジリエンス

vol.1「障害を受け入れることは、諦めることではない」陸上 アナニアス・シコンゴ 

vol.2「道は1つではなく、ほかにも選択肢がある」卓球 ジェシー・チェン

vol.3「自分の限界は、自分が決める」陸上 マルクス・レーム
vol.4「違っていることは、全てかっこいい!」車いすフェンシング ベアトリーチェ・ビオ
vol.5「やってみれば、何でもできる」パラ陸上 ヨハネス・フロアス
vol.6「あなたはできる。その言葉が自信を育み、道を開く」パラバドミントン パルル・パルマル
vol.7「当たり前だと思わず、感謝すること」陸上 フラー・ヨング
vol.8「自分でタブーは作らない」陸上 マリー アメリ・ル フュール

キーワード

後藤佑季 レジリエンス(今を切り開く力)
後藤佑季

後藤佑季(ごとう・ゆうき)

1996年7月30日生まれ 岐阜県出身 聴覚障がい(人工内耳使用) 【趣味・特技】料理、カメラ、書道準五段、手話技能検定準2級 【スポーツ歴】陸上(100m走など短距離)、水泳、バドミントン 【抱負】私の聴覚障がい(難聴)のような『目に見えない障がい』の存在を伝え、様々な障がいのある人とない人との橋渡し役になれたらと思っています。自分の身体ではないものを最大限に生かし、自らの可能性を広げる、超人たちの「常識を超える瞬間」を多くの方にお伝えしていきたいです!

おすすめの記事