「あなたはできる。その言葉が自信を育み、道を開く」パラバドミントン パルル・パルマル ―シリーズ「レジリエンス」vol.6・後藤佑季

バドミントン 2021年6月17日
写真:自宅で写真を見せてくれるパルマル選手

パルマル選手が見せてくれたのは、2009年にアルジュナ賞(インドにおける名誉あるスポーツの賞)を受賞した際の写真

「パラアスリートたちは、その人生でもって、人間の力強さを伝えてくれる―」

彼らにとって障害は決して克服した(乗り越えた)ものではなく、時には向き合い、時には諦め、時には受け入れて生きてきたもの。

そんな彼らがもっているパワーを、「乗り越えてきた」という一言ではなく、「レジリエンス=折れない心」という言葉で表現できるのではないか。

そう考えた私は、“TOKYO”を目指している世界のパラアスリートたちの「レジリエンス」を取材し始めました。



Vol.6 パルル・パルマル
/Parul Parmar(インド・パラバドミントン SL3)

東京大会からの新競技として採用された、パラバドミントン。
車いす(WH1、2)や脚の障害(SL3、4)、腕の障害(SU5)、低身長(SS6)の7つのクラスに分かれています。

脚の障害の重い方のクラス(SL3)で、シングルスとダブルス合わせてこれまで6つの世界チャンピオンのタイトルを手にしたのが、インドのパルル・パルマル選手(48歳)。
ことし2月から3月にかけて、インド在住のコーディネーターさんの力を借りて取材しました。

写真:プレー中のパルマル選手

パルマル選手のクラスは、コートが半分なこと以外、一般のバドミントンとルールは変わらない

3歳の時、当時インドで流行していたポリオに感染し、右脚がまひ。その直後に事故でその右脚と鎖骨を骨折し、右脚に障害が残りました。

バドミントンと出会うきっかけを作ったのは父親のダルスクさんでした。
医者に「この子が生きるためにはスポーツをさせるべき」と言われ、自分がやっていたバドミントンをさせることにしたのです。

父親は、パルマル選手に障害があるからといって特別扱いすることなく、兄姉とともに練習に連れて行きました。

「バドミントンは、私の人生を大きく変えました。バドミントンがなかったら、今の私は存在しません。父は、私に『できないことはない』ということを感じさせてくれました」

その後も「バドミントンがやりたい」というパルマル選手の希望を尊重してくれた父親。パルマル選手は州の健常者の大会で優勝するなど、着実に力をつけていきます。

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トロフィーを手にする若き日のパルマル選手

当時、インドでは女性や障害者への偏見が根強く、障害のある女性がスポーツをすることに理解が得られる状況ではありませんでした。
特に、パルマル選手の住んでいるような地方の町では、女性がスポーツをするなどもってのほか。成人したら結婚して、家事に専念するものという考えが根強くあったのです。

「私の住んでいた地域では、女の子は18歳になると結婚させられます。一般に、女の子は外に出ることができないのです。さらに、障害者、特に女性であると周りの見る目は必然的に変わります。我慢しなければならないことがたくさんあるのです」

社会の壁に、どう挑むのか。
パルマル選手の“立ち上がる力=レジリエンス”の原動力となったのが、父親の言葉でした。

「象が歩いてきたときに、後ろから犬が吠えてきたとする。もし、前に進みたかったら、それは意に介さず象のように悠然と歩けばいい。後ろで誰がなんと言おうと、歩くんだ」

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パルマル選手(左)と、父ダルスクさん(右)

「父は、私のことを常に信じてくれていました。誰がなんと言おうと、あなたは前に進むべきだ、と。たくさんの困難があったけど、父がいつも私のモチベーションを上げてくれました。君には才能があると言われ、サポートされると自信が増してくるものです」

「父がいつも言ってくれたのは『パルル、努力をするんだ』『自分の目標を達成するんだ。今日ではなくても明日は報われる』『負けを恐れずに、目標を必ず達成するんだ。そのために努力をし続けるんだ』ということでした」

その言葉を胸に、パルマル選手はパラバドミントンの世界で頭角を表します。
2002年、29歳の時に初めて国際大会に出場。その5年後には世界選手権で念願の優勝を果たしました。

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実家で壁打ちするパルマル選手

しかしその後、更なる困難が待ち受けていました。
当時、インドでは障害者スポーツのアスリートを行政が支援する仕組みがなく、企業もサポートには消極的だったことから、海外への遠征費用などを工面するのが難しかったのです。
パルマル選手は、父親や兄が給料の中から捻出してくれた資金を基に海外の大会を転戦していました。

父親はパルマル選手の実績をファイルにまとめ、政府に対し手紙を書いて支援を要請し続けましたが、回答を得ることなく4年前、2017年に亡くなりました。
その後、父親の後を継いで、パルマル選手も要請を続けましたが、状況は変わらず、引退することも頭をよぎったと言います。

そうしたパルマル選手に、前を向くよう励まし続けたのが家族でした。

「『あなたはバドミントンをやめるのではなく、続けなければならない』と家族に励まされました。父の夢を叶えられるのはあなたなんだから、と」

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パルマル選手(右)と、兄(右から2番目)、姉(真ん中)、左2人は甥と姪

その後も世界を舞台に活躍し続けたパルマル選手。2018年、アジアパラ競技大会でのパルマル選手の優勝を、モディ首相が公の場でたたえたこともきっかけとなり、国からの支援が少しずつ受けられるようになりました。

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パルマル選手(左)とダブルスを組むコーリ選手(右)

東京パラリンピックではSL3クラスのシングルスは実施されないため、パルマル選手はダブルスでの出場を目指してきました。パートナーのパラク・コーリ選手(右)は18歳。若い世代の道を切り開いてきたパルマル選手を慕っています。

「パルマル選手が人生で成し遂げたことは素晴らしく価値のあることです。私も彼女のような選手になりたいんです」

写真:練習中に微笑むパルマル選手(右)とコーリ選手(左)
写真:コーリ選手(右)の質問に答えるパルマル選手(左)

コーリ選手の他にも、彼女を尊敬するパラバドミントンの選手は多い

インドでの女性の立場が変わるきっかけになれば―
30歳差のペアで金メダルを目指します。

「パラリンピックで私が勝ちたいのは、障害のある女の子たちのロールモデルになりたいからです。私はたくさんの苦労をしました、私の家族もたくさんの苦労をしました。私や家族は、(周りの)社会とも闘わなければなりませんでした。社会から私にかけられる全ての苦労を家族が盾となって止めてくれました。家族はたくさんのことを我慢したのです」

「私の望みはただ一つ、パラリンピックで勝って人々が持っているあらゆるネガティブなマインドを崩したいんです。私のような、夢を持って歩んでいる女の子が数多くいるでしょう。彼女らを自由にさせないで縛り付けている人がいると思います。私は彼女らの道をひらきたいのです」

写真:パルマル選手の横顔

「私がパラリンピックで結果を出したら、インド社会に大きな変化が起こせるでしょう。その機会を逃すわけにはいきません。だから、自分の目標を絶対に達成しなければならないのです。自分のため、国のため、そして私のような状況の女の子たちのために」

・・・

人口13億を超えるインドですが、前回のリオパラリンピックでは出場選手は19人と、日本の7分の1でした。さらに、女性はわずかに3人です。

現在は、インドパラリンピック委員会の会長に女性の元パラアスリートが就任するなど、少しずつ変化の兆しも見られますが、パルマル選手の活躍がその変化をいっそう後押しするのではないかと思いました。

写真:モニターのパルマル選手(右)にインタビューする後藤リポーター(左)

パルマル選手が語ってくれた、レジリエンス=立ち上がる力の秘密は、家族から受けた「あなたはできる」という言葉による“自信”でした。

「これまでの人生で立ち上がることができたのは、“絶え間ない努力”というよりも、自信なのだと思います。私は、人間は『あなたにこの能力があるよ』と肯定的に言われながらサポートを受けることで、自信が増すと思っています。自分の中での信用が増すんです。その自信が人間を勝たせるのです。苦難は誰しもに訪れますが、自信によって苦難を乗り越えることができるのです」

これは、障害のある人はもちろんのこと、障害のない人たちにとっても大事なことなのではないかと思います。その人にどんな難しさがあろうとも、「あなたならできる」「こうしたらできる」と、お互いが肯定的にとらえ、支え合えるような社会になると、みんなが生きやすい社会に近づくのではないかと思いました。

※今回の取材を行ったのはことし3月。その後、インドでは新型コロナウイルスの感染状況が悪化し、厳しい状況が続いています。パルマル選手は5月にスペインで行われた重要な国際大会への参加を見送らざるを得ませんでしたが、それまでの成績によって必要な世界ランキングを維持し、コーリ選手と組んだダブルスで、東京パラリンピックへの出場の条件を満たすことができました。


(取材協力:Neeru Dhall)

今を切り開く力 ―パラアスリートがもつレジリエンス

vol.1「障害を受け入れることは、諦めることではない」陸上 アナニアス・シコンゴ 

vol.2「道は1つではなく、ほかにも選択肢がある」卓球 ジェシー・チェン

vol.3「自分の限界は、自分が決める」陸上 マルクス・レーム
vol.4「違っていることは、全てかっこいい!」車いすフェンシング ベアトリーチェ・ビオ
vol.5「やってみれば、何でもできる」パラ陸上 ヨハネス・フロアス
vol.6「あなたはできる。その言葉が自信を育み、道を開く」パラバドミントン パルル・パルマル
vol.7「当たり前だと思わず、感謝すること」陸上 フラー・ヨング
vol.8「自分でタブーは作らない」陸上 マリー アメリ・ル フュール

キーワード

後藤佑季 レジリエンス(今を切り開く力)
後藤佑季

後藤佑季(ごとう・ゆうき)

1996年7月30日生まれ 岐阜県出身 聴覚障がい(人工内耳使用) 【趣味・特技】料理、カメラ、書道準五段、手話技能検定準2級 【スポーツ歴】陸上(100m走など短距離)、水泳、バドミントン 【抱負】私の聴覚障がい(難聴)のような『目に見えない障がい』の存在を伝え、様々な障がいのある人とない人との橋渡し役になれたらと思っています。自分の身体ではないものを最大限に生かし、自らの可能性を広げる、超人たちの「常識を超える瞬間」を多くの方にお伝えしていきたいです!

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