2024年のPARISに向けて―TOKYOが残したもの | 後藤佑季

陸上 2021年9月29日
写真:跳躍するル フュール選手選手と「PARIS 2024」の文字

東京パラリンピックを振り返る私の記事も今回で一区切りです。

最後にお伝えしたいのは、フランスのマリー アメリ・ル フュール選手の言葉です。彼女には大会前にも取材させていただきました。(以前の記事はこちらから

写真:跳躍をしているル フュール選手

ダイナミックで美しい跳躍が特徴。
今大会を最後に、引退を表明しているル フュール選手は、走り幅跳びで銀メダルを獲得しました。

写真:笑顔で銀メダルを手にするル フュール選手

実は彼女、フランスのパラリンピック委員会の会長としての顔も持ち、3年後のパリパラリンピックに向けてアスリートの先頭に立ち、準備を進めていく立場でもあるのです。


あすが閉会式という9月4日、ル フュール選手に、東京大会が残したものについて伺いました。先日、「ニュースウオッチ9」ではその一部をご紹介しましたが、彼女の思いを知っていただき、この先の「明日」について考えるヒントになればと思い、長くなりますがその全文を掲載させていただきます。



◆まずはアスリートとして東京大会を振り返って、いかがでしたか?

東京での自分の結果にはとても満足しています。
金メダルを目指していましたが、とても価値のある銀メダルを獲得することができました。
自己ベストまであと3センチ、世界記録まであと3センチという記録だったですし、ライバルたちも素晴らしかったです。

◆帰ったら娘のアンナちゃんにメダルをかけてあげるんですよね

ええ、この素敵なメダルを早く娘、夫、家族にみせてあげたいです。
この素晴らしい時間を彼らと分かち合えなかったので。
そして、ママがなぜこの小さな金属片のために、これだけ長い間おでかけしていたのか、娘に説明することになります。その時間は本当に貴重なものになると思いますよ!

写真:娘のアンナちゃんと話をするル フュール選手

ル フュール選手のインスタグラムより

◆東京大会について、気づき、発見などありましたか?

ある程度予想はしていましたが、今回の大会でとくに驚き、非常に印象に残ったのは、「出会い」です。我々を迎えてくださった方々のホスピタリティー、常に我々に寄り添ってくれるボランティアや大会運営者のみなさんの優しさです。
私は選手村に入る前に、神戸でトレーニング合宿をすることができましたが、同地でも、本当に素晴らしいホスピタリティーに感激しました。
これが恐らく、東京パラリンピック最大の思い出になるでしょう。

今回、街に出て日本に住む人たち、東京都民との交流はできませんでした。
でも、大会ボランティアのみなさんと交流することができました。大会の魅力とハート、そのものだった方々です。
思い出話といえば、そうですねー、ボランティアは私たちが外出を禁じられていること、そして日本のお土産を持って帰りたがっていることも分かっていました。
そこで、お土産を持ち帰れるように、工夫してくれたのです。
過去の大会で、これほど選手のことを親身になって考え、親切にしてくれるボランティアに会ったことがありません。

日本語も少し教えてもらいました。
ええと!アリガトウゴザイマス、コンニチワ、アリガトウ、コンバンワ、オハヨウゴザイマス。。。
こうした「交流」が今大会を特別なものにしてくれました!

写真:オランダの国旗を両手に掲げ、笑顔のヨング選手とともに並ぶ

ル フュール選手が出場した女子走り幅跳び(T64運動機能・義足)では、フラー・ヨング選手が6m16の世界新記録で金メダル。ル フュール選手の6m11もパラリンピック記録だった。
【関連ページ】女子走り幅跳び T64(運動機能・義足)(2021年8月28日)



◆東京パラリンピックではさまざまな競技で世界記録が更新されて、オリンピックと遜色のない記録も出ています。競技としてのレベルがとても高くなった大会だと思いますが、パラリンピックの競技力の向上についてどう思いますか。

今年のパラリンピック大会では、確かにいくつもの競技で世界新記録が出ていて、素晴らしいパフォーマンスをみることができました。
こうしたパフォーマンスが実現したのには複数の理由があると思います。

まず、障害がある人の競技の発展に力を注ぎ、ハイレベルなパラアスリートの競技活動を支える国や地域が増えていることがあげられます。競技に専念できるプロの競技者になれる道が開かれてきたのです。
そして、今回の大会では異なる世代の選手が刺激し合う現象がみられました。
大会が1年延期されたこともあり、旧世代と新世代の選手が同じ舞台で競いました。
その結果、ポジティブな刺激が生まれて、選手の層も厚くなりました。こうした要因が、競技のレベルを向上させています。

◆今回のパラリンピックでル フュール選手はご自身の姿からどんなメッセージを発信することができたと思いますか。

私がアスリートとして訴えたいのは、障害を抱えている人がスポーツをすることがいかに大切であるか、ということです。
またそれ以上に大事なのは、「障害を抱えているから」と、自分自身で「壁」をつくってはいけない、ということ。
スポーツ、あるいはそれ以外の何らかの趣味を通じて、障害をもつ人が己の人生を十分に謳歌(おうか)し才能を開花させることができれば、多様性を認め合う共生社会が実現し、人々の障害がある人に対する見方も変わってくるでしょう。

障害は豊かさ
なのです。
障害の世界は、もっと評価され、もっと広く知られるべき世界なのです。
障害がある人たちに伝えたい。「みなさんが抱える障害、置かれている状態を恥じないでほしい。ありのままの自分に、自分の能力に誇りをもってほしい」と。
そして、「障害があるからできない」という考えを捨てるべきです。方法を変えれば「できる」のです。
社会全体がこのことを理解すれば、社会も変わり、機能的な障害を持つ人でも自分のポテンシャルを完全に発揮できる世の中になるでしょう。己の才能を自覚するようになった障害がある人が、その才能を社会のために使おうと考えたときに、それが叶うような社会に変わっていって欲しいです。

◆障害のある人と健常者の間の垣根をなくすために、AIやロボットなどテクノロジーが果たす役割については、どう思われますか?

機械であろうと電子技術であろうと、障害がある人にとってテクノロジーはとても重要なサポートです。
テクノロジーの進歩、革新は、障害がある我々ができない部分を補い、困難を解消し、私たちはポテンシャルを十分発揮できるようになります。
だから、運動機能を失った人が自立して生きていけるようにするために、研究、技術開発への投資の継続は不可欠です。
自立の「鍵」がそこに、技術革新にあるといっても過言ではない
のです。

◆コロナ禍という状況の中で、1年延期して開催された今回のパラリンピックは社会に対してどのような役割があったと思いますか。

コロナ禍にもかかわらず、ハイレベルな世界の競技者のために、大会を中止せずに、実現してくれた大会組織委員会、日本政府、東京都に感謝します。アスリートにとって、魔法のような、素晴らしい経験でした。
もちろん、観客がいないのは残念でした、日本のみなさんと直に交流することも叶いませんでした。
それでも、パラリンピックにとって、アスリートにとって、またスポーツを通じた共生社会実現のメッセージを発するという意味でも、東京大会の開催は重要なことでした。
そして、3年後にパリ大会を迎える我々フランス人にとって、準備の最終段階のツメを行う上で非常に重要な大会でした。
東京大会を通じて、メディア発信を強化し、競技者への新しいサポート・モデルを試すことができました。2021年に東京大会が実現しなければ、これら全てのことができませんでした。

◆つまりパリパラリンピックにとって、東京大会はとても重要な意味があったということですね。

そうです。パフォーマンスとホスピタリティー、その両面において、私たちは東京大会から多くのことを学びとるつもりで日本にきました。コロナで特殊な運営にはなりましたが。
我々には東京大会を通じて、フランス国内の人たちに、パラリンピックのフランス代表選手と彼らのパフォーマンスをもっと知ってもらいたい、という願いもありました。
「パラリンピックの選手は、なによりもまずアスリートである」というメッセージをフランスで広めたいのです。彼らは、トップアスリートであり、スポーツを通じて人々を感動させることができる人たちです。
そして今回、無観客でしたが、競技の様子、フランス代表選手の活躍を、映像を通じて伝えることができました。
大会の中継映像は素晴らしく、とてもよく準備されていました。メディアのおかげで、重要なメッセージを伝えることができました。

写真

東京パラリンピック閉会式 会場に示された「PARIS 2024」の文字


◆パラリンピック委員会の会長という立場から見ると、東京大会は成功したと思いますか

日本での大会の効果について、私から語ることは難しいですね。自国でパラリンピックを開催する場合、さまざまな点で、強力なインパクトのある遺産(レガシー)を残したいという「目標」が必ずあります。
ひとことでいえば、その国における、障害がある人たちのスポーツ事情の改善です。そして、選手のパフォーマンスの向上、そして認知度の向上などです。
今回はコロナで市内などを移動できないので、日本社会にどれほどの「遺産」や「インパクト」を残したか、私には計ることはできません。

でも、フランスにとっては、東京大会は確かな「遺産」をふたつ残してくれました。
ひとつは先ほどお話ししたようにフランス代表の活躍と彼らのメッセージをしっかりフランスに伝えることができたこと。
そしてもう一つは、3年後のパリ大会までに、ホスト国として我々がやるべきことを明確にできたことです。

◆東京大会からパリ大会に向けて、「やるべきこと」とはどんなことですか。

2つのメッセージを世界に発信し続ける必要があるということです。
まず、障害があってもスポーツはできる、というメッセージ。
そして、障害がある人が自立するうえで、可能性を広げるきっかけに、スポーツがいかに重要な役割を担うか、というメッセージです。
そのために、メディア、放送を通じて、パラリンピック選手にロールモデルになってもらうのです。
まずこのメッセージを発信し続けるのが私の仕事です。

二つ目の仕事は、障害のある人のポテンシャル、高度な技能を、多くの人に幅広く知ってもらうこと。そのためにも、世界中でパラスポーツ、パラリンピックの評価、知名度をもっと上げていかなくてはいけません。
アスリート、そして彼らの高度なパフォーマンスについて、もっと知ってもらいたい。それが、障害がある一般の人たちが持つポテンシャル、能力についてもっと知ってもらうことにつながるからです。

◆パリに戻ってからも大変な日々が続きそうですか。

フランスでは、パラスポーツについて伝えるのが、まだ少し難しい状況です。もちろん、パラリンピックのように、メディアが関心を持って報道する機会はあります。でも、私たちは、トップアスリートの努力やそのレベルにふさわしい認知度が得られるようにしたいのです。
つまり、選手たちは4年に一回、夏や冬のパラリンピックの時だけ存在するわけではありません。パラスポーツについて、トレーニングについて、継続的に伝えたいメッセージがあるのです。

「選手たちは4年に一回、大会の時だけ存在するわけではない」…これは本当に、ドキッとすることばでした。

◆一般社会や日常では、まだ打ち破るべきバリアがあるということでしょうか。

そうですね。障害があってスポーツをする場合、日常的に、様々な領域で、バリアや苦労があると思います。学校から始まって、就職など、障害のある人には、一生涯落とし穴や困難が待ち受けています。だからこそ、障害のあるなしによって生きやすさが変わらない、インクルーシブな社会を目指すことが真の課題になってきます。そして、そのための原動力となるイベントが必要だと思います。私にとってはパラリンピックこそ、インクルーシブな社会の可能性を示す牽引力になりえるものです。それはスポーツの分野を遥かに超えるでしょう。

写真

パリに到着したパラリンピック旗(9月6日)

◆パラスポーツの価値を高めるために、今後、具体的に取り組むことはなんでしょう。

まず、認知度と、パフォーマンスという視点です。
パラスポーツとは何か、クラス分けやルールを、一般の人が理解するための取り組みが必要です。その一方で、世界中の人が、テレビを見るときに、パフォーマンスそのもの楽しめるようにしてゆく必要があると思います。
それが、今後の大きな課題のひとつです。
映像配信のクオリティーや技術革新、会場やスポーツの見せ方、観客と競技との関係性についても、取り組みを続け、3つの体験、つまり、選手の体験、視聴者の体験、観客の体験を最高に高める必要もあります。
この3つを高めれば、障害について伝わるメッセージが持続的に変わってゆくと思います。

◆3年後のパリ大会に向けて具体的なアイデアはありますか。

いくつもの課題があることに気付いたので、すでに準備を始めています。まず、ショーケース的な選手、主役になるような選手たちが必要でした。成績や過去の経験、トーク力によってメディアの関心を呼べる選手、ロールモデルになれる選手です。
次に、学校教育にも取り組みました。パラリンピック・ムーブメントや競技ごとのクラス分け、ルールの特殊性を知らないと、難しいからです。
2024年のパリ大会まで3年となる東京大会での我々の課題は、まさに、そうした理解の促進でしたから、今年フランスでは、短い動画を取り入れ、競技やクラス分けシステムの説明に努めました。
次のステップは、ジャーナリストとの協力だと思います。オリンピックとパラリンピックをセットで思い浮かべる、適切な用語を使う、どちらも同じ熱意で報道する、それが当たり前になるようにするには、国内外のジャーナリストとの協力が必要です。

◆オリンピックとパラリンピックをつなげたムーブメントを作りたいということですか。

いえ、そうではなく、いつもオリンピックの問題を取り上げ、オリンピックをかなり取材しているジャーナリストに、パラリンピックにも感動やパフォーマンス、躍動美があることを認識してもらうということです。フランスでは、まだ、それが当たり前になっていません。
今年は、オリンピックの延期や無観客開催が度々話題になりましたが、パラリンピックのことは、全く取り上げられませんでした。オリンピックの2週間後にはパラリンピックが控えていること、パラリンピックも卓越したパフォーマンスが見られる巨大な世界的イベントであることを、ジャーナリストが当たり前に意識するようになってほしい、という意味です。

◆パリパラリンピックを通じて、どんな社会を目指すのでしょうか。

私たちの夢見ている未来の社会、それは、真にインクルーシブな社会です。障害があることが恥でも苦難でもない社会。そのためには、大きな変化が必要です。
自立の方法を見出すこと、障害に対する見方を変えることも必要です。スポーツは、そのためのテコ、素晴らしいツールになると信じています。
フランスの課題は、スポーツにおけるインクルージョンの促進です。そのためには、障害がある人のニーズ全体に見合ったスポーツ機会の提供が必要です。
スポーツをする中で障害のある人、ない人が混じわり、交流することで、障害の別な側面を見せることができるし、スポーツを通じて障害のある人自身が自分の能力に自信を持てるようになります。障害があっても小さいうちから自信を持てば、学業でも就職でも自信が持てる。そして、人生そのものが変わります。
だから、「スポーツ機会の提供」が真の課題です。障害の形も苦労も機能も一人一人違うことを踏まえた上で、スポーツをテコに、障害がある人の解放を図るということです。

◆「障害者」ではなく「障害がある人」という言い方をする理由はなんですか?

フランスでは、非常に中立的な表現として「障害がある人(障害という状況にある人)」という言い方をします。「Handicapé やpersonne handicapée」は、ちょっとネガティブな言い方になります。
個人的に引っかかるというか、馴染めないのが「invalide(正常に機能しない)」という概念です。私にとって、「障害のある人=機能しない」ではありません。異なる能力を持ち、それを違う形で表現しているのです。
言葉の重み、意味の重みを過小評価するべきではありません。文化的に、世界中で、障害のある人に使う用語について考える必要があると思います。障害のある人が自分を受け入れ、社会が障害を受け入れるためにです。

◆一人一人に違う価値がある、レッテルを貼らないようにする、ということでしょうか。

その通りです。言葉を重視することで、障害のある人にレッテルを貼らない、障害だけで人を見ないようにすることです。何よりもまず、機能の仕方が他の人と違うこともある、能力や技能を持った一人の人間なのであって、決して障害という一点だけに限定して人を見るべきではありません。

◆改めて、パラスポーツはどうやって社会を変えていくと思いますか。

1つ目は社会に対して。ポジティブなイメージを伝え続けることから始まります。
障害のある人がスポーツをしているのを見るのと、街中で大変そうに歩いていたりするのを目にするのとでは、全く見方が変わりますよね。同情的な見方ではなく、わぁ、すごいパフォーマンスだ!スポーツでこんなにすごい動きができるということは、本当に能力があるんだなという、感嘆がこもった視線です。まず、このように、人の見る目が変わります。

2つ目は、パラスポーツが障害のある人自身に、「自分は色々なことが出来るのだ」という認識を促すこと。スポーツを通じて、障害のある人の限界を押し広げるのです。スポーツをして、トレーニングし、毎日練習に行けば、周囲との関わりを変えることができ、素晴らしいことが沢山できるのだと見せることができます。スポーツに限らず、他の分野でも同じような可能性があるのです。



インタビューの最後に、ル フュール選手が大切にしている言葉を、日本の私たちへのメッセージとして書いていただきました。


「人生を夢に変えよう、そして夢を現実に変えよう」


いつもフランスの子どもたちに伝えている、大好きなメッセージなのだそうです。

みんな夢を持っていいし、持つべきですが、夢の実現も目指すべきです。実現できるかどうか分らないけれど、トライするだけで、学びや能力や出会いが人生を変えうるのです。

選手として、そして次回大会の開催地・パリを擁するフランスパラリンピック委員会の会長として、東京大会を見つめてきたル フュール選手の言葉はいかがでしたか?

写真:国旗の横で微笑むル フュール選手

9月13日、パリにて

大会前のインタビューでもそうでしたが、障害者が社会に出ることが、“当たり前にいる”ことが大切で、そのために、①障害者自身が自信を持つ、②障害者への考え方を変える、ことを目的として、パラスポーツ、パラリンピックを促進していくことが大切だという彼女のメッセージ。

なかでも、一番印象に残ったのは「選手たちは4年に一回、夏や冬のパラリンピックの時だけ存在するわけではありません」という言葉でした。

東京大会が何を残したのか―。

それがわかるのはこれから先何年も経ってから、かもしれません。
障害のある人たちが“普通に”社会にいるために、なぜ学校や職場に障害者はいないのか、なぜ街中で見かけないのか。

どうしたら、社会に“いられる”ようになるのか、ぜひ皆さんと共に考えていきたいと思います。
ここまで読んでくださり、ありがとうございました!

NHKパラリンピック放送リポーター 後藤佑季

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後藤佑季
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後藤佑季(ごとう・ゆうき)

1996年7月30日生まれ 岐阜県出身 聴覚障がい(人工内耳使用) 【趣味・特技】料理、カメラ、書道準五段、手話技能検定準2級 【スポーツ歴】陸上(100m走など短距離)、水泳、バドミントン 【抱負】私の聴覚障がい(難聴)のような『目に見えない障がい』の存在を伝え、様々な障がいのある人とない人との橋渡し役になれたらと思っています。自分の身体ではないものを最大限に生かし、自らの可能性を広げる、超人たちの「常識を超える瞬間」を多くの方にお伝えしていきたいです!

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