「普通って、なに?」を聞いてみた vol.2-漫画家・えいくら葛真 |written by ごとうゆうき

2019年7月26日
「普通って、なに?」を聞いてみた vol.2 漫画家・えいくら葛真 written by ごとうゆうき

「就活は、普通、黒スーツに黒髪、パンプスだよね」
「これくらいのダイエット、普通でしょ」
「静かにしなさい!普通、こんなところでは騒がないでしょ」

――世の中には「普通の○○」という言葉があふれている。けれど「普通」っていったい何なのだろう。
来年に迫った東京パラリンピックの目標の1つは「共生社会の実現」。それは1人1人が「そのまま」でいることを認める、多様性を重んじる社会のはず。

今の日本で、本当に多様性って認め合えるのだろうか…?

そこで私は、様々なジャンルの方との対談を通して、「普通」とはいったい何なのかを模索し、「普通」にとらわれない「共生社会」を作るヒントを探ろうと思いました。

Vol.2:「普通って、みんなが手を伸ばしているもの」-えいくら葛真

「普通って何だろう」、と前回ご紹介した『ダルちゃん』を読んで考え始めた私は、すぐにこの作品に出会い、気づきを得ることができました。

それがSNSで25万View以上読まれた漫画をブラッシュアップして作品化した、「青春マイノリティ!!」。

主人公が恋をした「セーラ」(左)と、主人公の「武一」(右) 

【ストーリー】
主人公の武一(高校1年男子)は、幼なじみの女の子セーラに告白しますが、「俺は男でゲイだ」と告げられる。 それでも付き合い始めた2人は、 戸惑いながらもおたがいに理解を深め、恋を育んでいきますが 様々な問題をかかえる友達や家族を巻き込んでいく!
自分が自分であるために、自分を消そうとする人がいる。/自分で見つけた答えは強い――。
そう感じさせる登場人物たちのやり取り。マイノリティーに限らない一人一人の在り方を題材に描いた物語。

武一の好きになった幼なじみの女の子“セーラ”は、性自認が男性、性的指向も男性だと告げます。
それは、外見上には男性が好きな女性になるので、一見するとマジョリティーである「女性」に見えます。
そのため、武一の双子の兄弟、虎一には「男性を好きな女性として普通に生きていけばいいじゃないか」と言われます。


それに対してセーラは、「オレが誇っているオレに、『テメエの常識』って砂、引っ掛けてんじゃねェよ」と言い返します。

まさに、ここでいう「常識」とは「普通」ではないでしょうか。
虎一は“優しさ”で、このように言っているのでしょう。けれど、それは虎一にとっての「普通」であって、セーラにとっての「普通」ではないのです。

・・・

そもそもどうしてこの漫画を描こうと思ったのか?作者のえいくら葛真さんに伺う機会がありました。

もともと、自分にとってマイノリティーの存在が遠くなかったんです。マイノリティーの人が主役になっている漫画って無いように感じますが、ゲイの人も、トランスジェンダーの人も、いろんなマイノリティーの人が現実にはいるじゃん!と思ってみんなが出てくる漫画を描きました。
それに、メディアに出るマイノリティーの人って、「振り切った」人が多いんですけど、そこまでいかない人、振り切っていないような人もたくさんいるよ、っていうのを描きたいと思ったんです。


たしかに、メディアで目にする人をベースにしたステレオタイプな印象で苦しむ人もいますよね。
「ゲイだから、女の人のような話し方でしょう?」とか。

そうですね。だから、この漫画のコメント欄にも「FtM(※)はこうじゃない!」のような言葉を結構もらったんです。LGBTという言葉がそれだけ浸透しているぶん“こうあるべき”、例えば「ゲイは筋肉がっちりした男らしい人である」というような“普通の形”のようなものが、それぞれの中にできてしまって、そこに“到達”していない人は「違う」と思われていると感じました。
※女性から男性へ性別移行した人、性別移行を望む人

出版社にて、作者のえいくら葛真さん
キツネのお面はえいくらさんのセレクト


そういった「違い」に焦点を当てたのは何故でしょう?

なんか、気になっていたんです。自分も、見えない障害、身体通りの性別だと思っていないことや、見えない環境、子どものころから母親に虐待を受けていたんです。そういった「見えない」という苦しみが自分にあったからだと思います。
小学校の時は何とも思ってなくて、中学校に入ってから自分や自分の環境が周りと違うということに気づいたんです。自分が普通ではないと気づいたとき、世界ってひっくり返りません?それで、その扉を開くとまた地獄なんですよね。


このお話を聞いて、この作品は“周りと違う”ということに気づいたバックグラウンドを持っている、えいくらさんだからこそ描けたのだと思いました。

えいくらさんにとって、「普通」ってどんなものだと思っていますか?

たぶん“みんなが手を伸ばしているもの”じゃないかな。でも「普通」というものに、手が届いている人っているのかな、と思うんですよ。何かつかんでいるつもりになっている人ばかりの気がします。
「普通」って、少なくともこの国では安心材料だと思うので、みんな羨望するし、近づきたいんですよね。けれど、「普通」の人っていなくて、いわゆる、偶像みたいなところがあると思います。だから、希望であって、呪いなのかな。


そんな呪いにもなりかねない「普通」って、あってもいいんでしょうか?と尋ねると…

あってもいいと思います。その人それぞれの価値観の中に、みんな持っていると思うんですよ。
だから、それぞれの「普通」というラインはあってもいいと思いますけど、それを他人に強制・強要したり、このラインで合わせようよ、と言ったりするから苦しむ人が出てくるのだと思います。
曖昧なものだと分かっていても、人に強いることができる力があるのが「普通」という言葉なんですよね。


・・・
この作品は4巻にわたるものなのですが、たくさんの好きなシーンがあります。
中でも、私が一番印象に残ったのは、このシーン。

武一が、街中をランニングする中であることに気づきます。


そして、武一は気づいた「あること」を、セーラにこう伝えるのです。


一見すると、とても強い言葉に思える「戦う」という言葉。
なぜこのような表現になったのでしょうかと、えいくらさんに伺うと。

これまで武一には見えていなかった世界が“見えた瞬間”だったからではないかと思います。
四六時中、気を張って自分を隠したり偽ったり気にしないフリをしたり、逆に在りたい自分であるために、ものすごい勇気や決断、もしかしたら他人に拒絶されたりするかもしれない、という覚悟を必要とする生き方は、その必要なく生きてきた武一からは、「世の中」や「常識」という、それまで当たり前にありふれすぎて見えなかったものの全てと戦っているように映ったんだと思います。
それで、「これはとんでもない戦いだぞ」と気付いたんじゃないですかね。



「戦う」という言葉は、決して他者を拒絶するという意味ではない。
日々、自分が自分であるために、覚悟をして生きるということ―。

この作品に出会って、私自身も「そうか、私も私であるだけで、戦っているのかもしれない」と思えたのです。

これまでも書いてきましたが、私の障害である聴覚障害は、外からは見えません。
見えない障害の一番つらいところは「命に関わるほど困ってはいないけれど、連続的に小さな困りごとが蓄積していく」ということだと思います。
私の場合は、普段の何気ない雑談で聞き取れないことがたくさんあり、「聞きたい!」と伝えるのですが、「どうでもいい話だよ」といわれることが多くあります。
私にとって、そういうことは日常に潜むたくさんの小さな破片で、理解してもらいたいという“苦しい気持ち”があります。

そういう気持ちを、えいくらさんは「私が私であるだけで戦っている」という言葉で表現したのではないだろうか?
そう考えたら、とても、心が軽くなったように感じました。

そうした「障害」って、自身も「見えない障害」があると話すえいくらさんにとっては何なのでしょう。

僕は障害がある側なので、「障害がない」というのがわからないです。障害がある身にとっては、「障害」はあって当然のものですよね。
でも、一般的に見たらそうじゃない。そこに距離感があるんだと思うんです。だから、区別してしまう。そこがフラットになればいいんですけどね。


フラットにするためにどんなことが必要だと思いますか?

「知ること」に尽きると思います。しかも、1人だけではなく、いろんな人と関わる形で。
障害って、グラデーションじゃないですか。健常者もそうですけど。だから、いろんな色があることを「ああそういう色もあるんだね」って一つ一つ理解していくことが大事だと思っています。


その思いは、漫画にも表れていました。
小柄なセーラは、メンズの服を着ると似合わない。かといって、レディースの服を着るのは自分にうそをつくことになると武一に伝えます。



「何を見ていて何を見ていないか」。

存在していても、“見なければ”変わらない、本当にそうだと思いました。

「見ようとする」ことって、大事ですよね。たった1つでも知ると、周りの知らないことが見えるようになるんです。そうすると、踏み込むっていう選択肢が得られるんです。
だから、調べようと思ったらいつでも調べることのできる便利なこの時代は、たぶん“自分の気持ち一つ”で障害っていう言葉はなくせると思います。


「見えない障害」も、「普通」にとらわれないで見ようとする人が増えたら、その時には見えるようになっているのでしょうか。
もしそうなったとき、人と人が接する上で「障害」や「普通」という意識は薄れ、「一個人」として見る人が増えるのかもしれません。

写真

スケッチを見ながらお話するえいくらさん

インタビューを終えて、今回の取材では、「見ること」の大切さを改めて感じることができました。
1人1人を、枠にあてはめずに「見る」ことが、共生社会へのヒントなのかもしれません。

また、私だけではなくて、きっと今日を生きている全員が「その人がその人であろうとすると、それだけで戦っている」のかもしれないと思います。そう考えると、みんな立っている地点は「一緒」なのだと再認識しました。

一緒だと思えると、きっと「障害のある人」は遠い存在ではなくなるのではないかと思います。
そんな社会が、すぐそこまで来ていることを祈りたいです。

インタビューをコーディネートしていただいた、担当編集者 隅谷知倫さんに感謝いたします。

Vol.3をお楽しみに!

\今回お話を聞いた人/

えいくら葛真(えいくら・くずま)|漫画家
ツイッター(@ikurakoikura)にて「セーラさんはトランスジェンダー」「ふてぶて!」「これはぼくらの」など、マイノリティ、児童虐待、学校教育などを題材にした漫画を発表し話題を呼ぶ。近著に「青春マイノリティ!!」1~4巻(電子版のみ)

関連記事「普通って、なに?」を聞いてみた  vol.1-漫画家・はるな檸檬 |written by ごとうゆうき(2019年6月19日)


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後藤佑季 バリアフリー 普通って、なに?
後藤佑季

後藤佑季(ごとう・ゆうき)

1996年7月30日生まれ 岐阜県出身 聴覚障害(人工内耳使用) 【趣味・特技】料理、カメラ、書道準五段、手話技能検定準2級 【スポーツ歴】陸上(100m走など短距離)、水泳、バドミントン 【抱負】私の聴覚障害(難聴)のような『目に見えない障害』の存在を伝え、様々な障害のある人とない人との橋渡し役になれたらと思っています。自分の身体ではないものを最大限に生かし、自らの可能性を広げる、超人たちの「常識を超える瞬間」を多くの方にお伝えしていきたいです!

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