第35回 マルクス・レーム(陸上)「限界の先へ」

陸上 2019年10月18日
写真:マルクスレーム選手と、ボランティアの学生たち

2020年東京パラリンピック開幕まで、ちょうど1年となった今年の8月25日。ドイツの義足ジャンパー、マルクス・レームが、東京・代々木公園陸上競技場で行われたイベントで走り幅跳びを披露し、非公認だが世界記録を上回る8m50を跳んだ。


レームの持つ世界記録は、2018年8月にヨーロッパ選手権でマークした8m48。そのわずか1か月前、群馬県で開催されたジャパンパラ陸上競技大会で8m47を跳び、3年ぶりに記録を更新したばかりだった。日本は、レームにとっては、縁起のいい場所である。

マルクス・レームは、現役パラリンピアンの中でも、最も世界的に有名な選手の1人だろう。陸上競技・走り幅跳びで2012年ロンドンパラリンピック、16年リオパラリンピックで2連覇している。何よりレームを有名にしているのが、その記録だ。彼が持つ現在の世界記録であれば、リオオリンピックの金メダル記録8m38を超える。レームのジャンプはオリンピックでメダルを獲得するレベルにあるのだ。

写真:マルクスレーム

2016年9月 リオデジャネイロパラリンピック 男子 走り幅跳び(T44クラス)

その記録が、国際的な議論を生み出してもいる。陸上競技では、ロンドンオリンピックに両足義足のスプリンター、南アフリカのオスカー・ピストリウスが初めて400mに出場した。レームもまたリオオリンピック出場を切望していたが、国際陸上競技連盟は「カーボン製の競技用義足が有利に働いていないことの証明」を求め、出場は実現していない。驚異的な記録と、それに伴う議論が、レームを有名にしていると言える。

義足のスペシャリストであるマルクス・レームは、どのようにしてその高度な動きを獲得してきたのか。義足を使用するアスリートとして、どこを目指し究めたいと思っているのか。そこに焦点を当てて、インタビューした。

■ハイキングで培った義足の使い方

写真:レーム選手とボランティアの学生たち

1988年生まれの31歳。スポーツ好きのやんちゃ坊主だったレームは、14歳の時にウェイクボード練習中の事故で右足ヒザ下を切断、義足での生活が始まった。

「入院中に仮の義足ができた時には、“これで立って歩ける! なんでもできる”とすごく嬉しかったんです。ところが、実際には立って1歩踏み出そうとしたら、痛くてとてもじゃないが歩けない。涙がこぼれましたよ。簡単なことだろうと思っていたので、ものすごくがっかりしたものです」

そんな状態から、世界的な義足のジャンパーへと変貌を遂げる。一体、どんな取り組みと挑戦があったのだろうか。

「義足になったばかりの15、16歳の頃、よく両親と一緒に山にハイキングに行きました。小石を踏んだ時に、健足のように足裏でそれを感じることはありません。でも、義足がわずかに傾いたりする角度や動きを、体全体で感じ取ることで歩いていました。山での体の使い方、義足の動かし方の経験は、その後の大きなベースになりました」

義足になったら、スポーツは諦めたほうがいい。これまでやってきたことは何もできないと、周囲はネガティブな意見ばかりをレームに言い聞かせた。

「ある日、事故の前に楽しんでいた自転車やスケートボード、インラインスケートのことなどを一つずつ思い出して、“全部義足で試してみよう”と思ったんです。実際に、その日から順番に義足をつけたままやってみることにしました。そうしたら、周りからは“できない”と言われていたけれど、できることがわかったのです」

事故の原因となったウェイクボードも、1年後には防水の義足を装着して復帰している。

「こうした経験を経て、“義足だからできない”のではなく、自分で限界を作らなければ、何にでも挑戦できるということを、身をもって体感しました」


■義足の恐怖を克服して踏み切る

写真:マルクスレーム

2012年 ロンドンパラリンピック 男子4×100mリレー

あるイベントで、トランポリンでジャンプするデモンストレーションをした時、現在も所属するTSVバイエル04レバークーゼン(以下、レバークーゼン)のスタッフがそれを見て、声をかけた。「私たちのクラブに一度来てみないか」と。

レバークーゼンで初めてブレード(陸上競技用カーボン製義足)をつけた日のことを、レームは鮮明に覚えている。

「風を感じる! 自分の足で走って、顔に風が当たる!」

その時には、わずか200m走るだけで疲れ切ってしまったが、風の感触がレームを陸上競技へと向かわせた。

レームは、6歳の頃、走り幅跳びをした経験があるという。
「ジャンプが好きだったんですよ。砂場で山を作るよりジャンプしているほうが好き、という子どもでした」

レバークーゼンでその話をすると、コーチたちが走り幅跳びをしてみろ、という。日常用の義足のままとにかくジャンプしてみると、当時のドイツ記録を超える5m50を跳んだ。レームの進路は、この場で「走り幅跳び」と決まったのだった。

始めた当初、レームは健足である左足で踏み切っていたという。

「もともと利き足は右です。だから義足の右足で踏み切りたいと思っていましたが、不安定なブレードでは恐怖心があった。当時は、ブレードで踏み切っていた人は、ほとんどいなかったと思います」

ところが、コーチから「ブレードの右足で踏み切ってはどうか」という提案を受ける。恐怖心を克服してブレードで踏み切るようになると、6m、7mと順調に記録を伸ばしていったのだった。

「ロンドンパラリンピックに出場した後、義足の選手がいつか8mを超えるジャンプをするかもしれない、と思うようになりました。それが自分であるかは別として、きっと人類は義足を使って8mの壁を超えていくだろう、と」


■世界初、走り幅跳び用ブレードを開発

写真:マルクスレーム

2012年8月 ロンドンパラリンピック 走り幅跳び(F42/44クラス)

競技用義足での助走、踏み切り。世界レベルを実現するために力を注いできたのは、リズムとバランスだという。

「特に心がけているのが、義足から受けるリズムをしっかり受け止めること。無機質な義足に無理に自分のリズムを合わせようとするのではなく、義足が持つリズムを感じながら走るということです。それを確認するのは、その場のジャンプ。両足で、片足でジャンプしながら、義足のリズムを体で感じるのです」


レームは現在、陸上競技の技術トレーニング以外に、週2回フィジカルトレーニングを行っている。ソフトなマットレスやバランスディスク、ポールの上に板をのせてその上で立つなどのトレーニングをして、バランスとインナーマッスルを鍛えているという。

義足になってから、レームは義肢装具士としての技術を習得した。現在、アスリートである一方、子どもたちの義足作りや調整にも従事する。義足のメカニズムについて専門的な知識や情報を持っていることも、レームの強みになっている。

初めて出場したロンドンパラリンピックでは、助走距離は35mだった。進化に伴い助走距離が伸びて、現在は44m。レームはゆっくりスタートしスピードのピークとなる21歩または23歩で踏み切る。踏み切りの際には、体重の8倍以上、650kgもの負荷がブレードにかかる。

レームは、2017年からメーカーと共同開発して走り幅跳び用のブレードを作製した。

「助走のスプリント力に加え、踏切のジャンプ要素も必要。それまでのランニング用ブレードにはない要素を付け加え、そのバランスを整えることがテーマでした。自分でもこんな形状がいいのではないか、と設計図を引いたりして、それをR&Dチームとすり合わせる。プロトタイプを作り、テストを重ね、全く新しいブレードが完成しました」

この走り幅跳び用ブレードは、レーム専用というわけではない。他の走り幅跳びに出場する選手も入手している、汎用性のあるものだ。

「自分が開発したブレードが市場で販売されているというのは嬉しいものですよ」

写真:マルクスレーム

2019年7月 ジャパンパラ競技大会 男子 走り幅跳び(T64クラス)

レーム自身は、今年5月のレースから新しいブレードを使い始めている。8月25日に非公認とはいえ、世界記録を超えるジャンプを見せたことは自信につながっているはずだ。

「私たちにとってテクノロジーはとても重要です。テクノロジーがなければ、私は8m超の記録を出すことなどできませんでした」

同時に、義足は体の一部だ。プロ野球選手が、バットを腕の延長と考えるように。あるいは、それ以上に。

「アスリートが体を鍛えて成長するように、義足の使い方やテクノロジーも高めていく必要があるのです」


■限界を決めずにチャレンジする

写真:歩行用の義足で笑顔を見せるレーム選手

レームは現在も、国際陸上競技連盟が求める「競技用義足が有利に働いていないことの証明」を追求している。が、国際陸連が求める答えを出すには至っていない。だからと言って、オリンピック出場を諦めたというわけではない。

「オリンピック出場を目指し始めた頃、いろんな噂が流れました。マルクスはもう、パラリンピックには興味がなく、オリンピックだけに出場したいのではないかとか。それは完全に間違いです。私はパラリンピアンであることにとても誇りを持っています。私がオリンピックに出場したいのは、パラアスリートがここまでできるという証を見せたいから、というのが一番の理由なのです。一般の大会やオリンピックに出場して、私の順位がつけられなくてもいい。それでも出場することに意味がある、と思っています」

来月11月には世界選手権がある。そして、1年後には、レームにとって3連覇がかかった東京パラリンピックが開催される。

「跳ぶからには結果を出したい。優勝はしたけれども、記録は8mそこそこでした、という跳躍では満足できません。常にオリンピックなど一般の記録を意識しています。東京パラリンピックでは、世界記録を更新して金メダルを獲得するというのが究極の目標です」

レームをつき動かしているのは、少年時代にスポーツを通じて得た“限界を決めずにチャレンジする”という姿勢だ。

「ドイツに“自分をハンディキャップさせるな”(Ich Lass mich nicht behindern )というような意味の言葉があります。要は、自分に何ができるかは自分自身で決めろということ。もっとも最悪な日が、素晴らしい人生の始まりかもしれない。ウェイクボードの事故があった日は、自分にとって最悪の日でした。でも、あの事故がなければ、現在のように世界のトップレベルで競技ができることはなかったでしょう」

レームが続ける。
「もし、神様が“時間を巻き戻してあの事故がなかったことにしてあげよう”と、私に言ったとしたら。私はこう断言します、“ノー・サンキュー!”と」

※Ich Lass mich nicht behindern:語源になっているのは、車いすテニス競技でアトランタパラリンピックに出場したスイスのパラリンピアンGerald Metrozの著作タイトル。Behindernは「~を持つ」という意味と、「邪魔される」という意味がある、かなりユニークなドイツ語。2002年発売のベストセラー本でとても話題になり、今では格言のようになっている。


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スポーツライター 宮崎恵理

スポーツライター 宮崎恵理(みやざき・えり)

出版社勤務を経て、フリーのライターに。1998年の長野パラリンピックを機に障害者スポーツの取材に携わり、雑誌「Tarzan」ほか「スポーツグラフィックナンバー」などで執筆。現在、「Tarzan」「それを最大限に活かせ! パラアスリートGO!」の連載を展開中。12年ロンドン・パラリンピック、14年ソチ・パラリンピックではNHK開会式中継解説を担当。著書に『心眼で射止めた金メダル』『希望をくれた人』。日本スポーツプレス協会理事、国際スポーツプレス協会会員。

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