第38回 岡崎愛子(アーチェリー)「探求の先の躍進」

アーチェリー 2019年12月20日
写真:岡崎愛子選手

2019年6月、オランダで開催されたパラアーチェリーの世界選手権で、岡崎愛子はW1クラスミックス種目で3位に入り、4位以内に与えられる東京パラリンピックの出場内定を決めた。

パラアーチェリーの歴史は古く、パラリンピックの原点と言われるストーク・マンデビル病院内の競技大会からスタートしている。1960年の第1回ローマ大会から、2020年の東京大会まで継続している競技だ。障害に応じて補助具を使用するなど、工夫は認められているが、「狙って、射る」という競技そのものの醍醐味は、一般と変わらない。

パラアーチェリー には、リカーブオープン、コンパウンドオープン、そしてW1というクラスに分かれている。リカーブオープンとコンパウンドオープンは使用する弓の種類が異なるが、それぞれ立位、いすや車いすを使用する選手が混在する。岡崎が属するのは、四肢に障害があり車いすを使用する、パラアーチェリーの中でもっとも障害が重いW1クラスだ。W1クラスでは弓に規定はないが、出場する選手は全員、滑車がつき軽い力で引ける『コンパウンド』という弓を使用している。岡崎の障害は、頸髄損傷。首から下にまひがあり、日常的に車いすが必要で両手の握力はともにゼロだ。腹筋、背筋は使えず、ベッドから起き上がるときには柵をつかんで体を引き起こす。車いすに座っていて床に物を落としてしまうと、拾うのに時間がかかる。それでも、上体の筋力を生かして弓を引き、矢を放つ。

写真:アーチェリーを構える岡崎選手

世界選手権の個人戦では、初戦敗退だった。しかし、その後出場したW1クラスのミックス戦(男女1名ずつが出場するチーム戦で、以下写真の左・仲喜嗣とともに出場)では、初戦で格上のイタリアに130—129で勝利し、ロシアとの準決勝に敗れて3位決定戦へ。チェコとの対戦となった3位決定戦で、122—122で延長戦に突入。日本は、この延長戦で岡崎、仲ともに的の真ん中に当てる10点満点をマークし、チェコを下して3位となったのだった。

写真:メダルを首にかける仲選手(左)と岡崎選手(右)

「最後の最後に決め切れたことは、大きな自信になりました!」

パラアーチェリーを初めて体験したのが2013年。本格的に競技として取り組み始めたのは、2016年。競技歴わずか3年で急成長を見せている。


■体を動かす充実感をアーチェリーで体感

写真:岡崎選手

岡崎愛子は1986年、大阪府に生まれた。小学生の頃はテニス、中学ではソフトボール。高校に進学すると、自宅で飼っている愛犬と一緒にフリスビードッグの競技(制限時間以内に人が投げたフリスビーを、犬がどのくらいの距離でどのようにキャッチできるかを競うスポーツ)に出場するようになった。子どもの頃から、体を動かすこと、スポーツが大好きだったという。

生活が一変したのは、2005年、同志社大学2年の春のことだ。朝、通学のために乗車していた福知山線の脱線事故で障害を負った。スピードが出すぎた電車がカーブを曲がり切れず脱線してマンションに衝突したという事故である。記憶に残っている人も少なくないだろう。その電車の1両目に、岡崎は乗車していたという。

「事故のことは鮮明に覚えています。1両目の、後ろから2つ目のドアから入って右側の座席の前に立っていました。衝突した後、車両後方には空間があってその辺りにいたのですが、自分の体が動かないから、何かに挟まってしまったのだと思っていました。でも、そうではなく体がまひして動かせずにいたのです。それは頸髄を損傷したことによるものだと、救急搬送された後にわかりました」


緊急集中治療室で治療を受ける。そこから長期間の入院を経て、自宅に戻ったのは2006年。

「車いすになっても、体を動かしたいという気持ちはすごくありました。だから、退院後リハビリというか、トレーニングだけはずっと継続していたんです」

何か、自分にできるスポーツはないか。模索している中で出合ったのが、パラアーチェリーだった。

「本当は、フリスビードッグを続けたかったのですが、フリスビーを投げることができず、続けるのはやはり難しい。障害のある自分にできるスポーツとしては射撃かアーチェリーだろうと思って、どちらも体験しました。射撃は集中力や精神力はすごく必要になると思うのですが、体を動かすという醍醐味は断然、アーチェリーの方があった。それで続けることにしたのです」

とはいえ、アーチェリーをするときにも、矢をつがえる、的に当たった矢を引き抜くなどの作業に介助者が必要となる。そのため、両親が手伝ってくれるときだけ、練習ができた。大学卒業後は東京で就職したこともあり、アーチェリーを始めてから数年間、練習は数か月に1度、という頻度だった。

「それでも、体を動かしている充実感はすごくありました。弓を引いて矢を射ると、結構な衝撃で矢が飛んでいきます。矢速が速く、“スパン”という爽快な音を立てて的に当たると、やっぱり気持ちいいし、すごく楽しいんですよ」

楽しみの先にあったのは、東京パラリンピック。東京に拠点を移して以降も両親がわざわざ大阪から練習のために上京してくれていたのは、「東京パラリンピックを目指して頑張って」というエールだった。


■射型が決まって成績が向上

写真:岡崎選手

握力や体幹が効かない岡崎は、矢を放つときに使用する“リリーサー”の種類や、体をどう車いすに固定させるかということの研究を重ねてきた。世界中のパラアーチェリーの選手の動画を片っ端からみて、自分に合いそうだと思えるものを試した。

「リリーサーも体を固定させるベルトも、自分で作ることができるわけではないし、すぐに手に入る市販品でなければ壊れたときの代用がききません。市販品の中で、どれが自分に合うか、それを見極めるのに時間をかけました」


現在使用しているリリーサーは、両腕がなく足で弓を支えあごと肩を使って矢を放つアメリカの選手、マット・スタッツマンが使用している製品と同様のものだ。リリーサーの先についているバーを顎に当てておき、弓を引いたときに一定以上の力がバーにかかると矢がリリースされるという仕組みになっている。

写真:世界選手権、競技中の岡崎選手

また、体を固定させるベルトの巻き方に、岡崎の工夫が見られる。腹部を横に固定させるのではなく、リュックを背負うように肩から縦に車いすの背もたれと体を固定させる。右手で弓を持っているが、弓を引いた後右側に体が傾いてしまうのを、この“縦ベルト”によって抑えられるようになった。

リリーサーと、体の固定ベルトが決まったことで、射型(矢を射る時の方法やフォーム)が安定したのが2017年。ここから一気に成績が向上。今年の世界選手権での躍進につながったのだった。

写真:トレーナーに支えられ、ロープを引っ張るトレーニング中の岡崎選手

岡崎は障害を負った後、2007年から脊髄損傷者専門のワークアウトスタジオに定期的に通ってフィジカルトレーニングを続けている。車いすに座ったままではなく、トレーナーやトレーニングマシンを活用して、まひしている部分を含めた全身の筋力トレーニングを行うというものだ。

「自分では動かせない部分にもアプローチすることで全身の血行が良くなりますし、筋肉の柔軟性や関節の可動域が大きくなります。実際、医療関係者に関節が固まっていないと驚かれることが多いです。トレーニングを続けていることで、アーチェリーで必要な腕や肩周りの筋肉の動かし方を指摘された時に、コントロールできていると思っています」

写真:まっすぐに背をそらし、体幹を支えるトレーニング中の岡崎選手

現在、トレーニングには週1回というペースで通っている。


■競技環境が整い、準備万端

写真:アーチェリーを構える岡崎選手

さらに、今年9月からナショナルトレーニングセンターで専門的な指導を受けられるようになったこと、11月にアスリート雇用としてベリサーブという会社に就職し、練習に専念できるようになったことで、一層充実した競技環境を手に入れることができた。

「環境が整ったことで、ここ最近、スコア(1試合中、矢が的に当たった得点の合計)が伸びてきました。やっと世界のトップの背中が見えてきたかな」

スコアが安定して上がっていけば、「東京パラリンピックでのメダル獲得」という目標が現実的になってくる。

風や天候の影響を受けるが、陽光が降り注ぐ芝の射場は、フリスビードッグの時と同じ爽快感がある。的の中心に向かって矢を射るのも、ピンポイントでフリスビーを投げる狙い方と同様だ。大好きなフリスビードッグと共通する部分があることも、岡崎がパラアーチェリーに惹かれた要因であるという。


岡崎の属するW1クラスは障害の状態も様々な選手が、「それぞれに工夫を凝らして競技を行う」のが、大きな魅力と岡崎は語る。岡崎のベルトように独自に用具を考案したり、腕ではなく口で矢を射たりする選手もいる。試合展開も刻々と変わり、まるでジェットコースターのようだ、とも。

まさしく多様性に満ちた、パラアーチェリー の世界。岡崎は、東京パラリンピックの個人戦、ミックス戦での上位入賞を目指して、今日も的を射抜いている。

スポーツライター 宮崎恵理

スポーツライター 宮崎恵理(みやざき・えり)

出版社勤務を経て、フリーのライターに。1998年の長野パラリンピックを機に障害者スポーツの取材に携わり、「Tarzan」「スポーツグラフィックナンバー」など雑誌やインターネットメディアで執筆。12年ロンドンパラリンピック、14年ソチパラリンピックではNHK開会式中継解説を担当した。著書に『心眼で射止めた金メダル』『希望をくれた人』『みんなちがって、それでいい』。日本スポーツプレス協会理事、国際スポーツプレス協会会員。

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