第39回 櫻井杏理(車いすフェンシング)「レオンポールの果実」

車いすフェンシング 2020年1月6日
写真:イギリスのロンドンにある名門『レオンポール・フェンシングセンター』

イギリス・ロンドンにある『レオンポール・フェンシングセンター』は、フェンシングの名門クラブである。ジュニアからシニアまで、イギリス国内の強化選手のほか世界各国からフェンシングの強豪選手が集まっている。

写真:練習中笑顔の櫻井選手

櫻井杏理は、レオンポールを練習拠点にしている、車いすフェンサー(フェンシング選手)だ。櫻井のクラスは、障害の程度が重いカテゴリーB。2018年10月に行われたアジアパラ競技大会が終了した直後に、本格的に渡英した。

渡英して以降、櫻井の成績が向上。初めて日本で開催された車いすフェンシングのワールドカップである2018年12月の京都大会では、フルーレで3位、エペで6位。2019年2月に行われたアラブ首長国連邦・ドバイ大会ではエペで3位、5月のブラジル・サンパウロ大会でもエペで3位、フルーレで5位。コンスタントに表彰台に昇っている。

快進撃を続ける原動力となった、イギリスでのトレーニング生活に迫った。



■フェンシングは難しい!

写真

2018年10月 アジアパラ大会 車いすフェンシング 女子 フルーレ


櫻井は、1988年京都府生まれ。小学校から中学、高校まで陸上競技の長距離選手として活躍していた。高校卒業後、理学療法士を目指して専門学校に進学したが、在学中20歳の時に椎間板ヘルニアの手術を受け、その後遺症としてまひが残る。日常的に車いすを使う生活となった。

車いすフェンシングに出合ったのは、退院後アウトドアショップの店員として勤務したいた時のこと。客として来店した車いすフェンシング関係者の目に留まり、スカウトされたのだった。当時、櫻井はサーフィンやチェアスキーに挑戦していたが、車いすフェンシングに惹かれた理由を、次のように語っている。
「初めての見学でいきなり剣を握らされたんですが、フェンシングって難しい! スポーツが“難しい”というのは、自分の経験ではありませんでした。そこに、魅力を感じました」

ちょうど、リオパラリンピック選考期間。真剣勝負の国際大会を観戦したことが、大きな契機になった。
「2014年香港のワールドグランプリというポイントの高い大会を見に行ったんです。世界レベルを生で見たことでがぜん、スイッチが入りました」

リオパラリンピックを目指すも、出場は果たされず。東京パラリンピックに向けてリスタートした。



■山本憲一コーチと出会って成長

写真:山本憲一コーチ

櫻井とイギリスを結びつけたのは、同じ車いすフェンシング選手である藤田道宣の縁による。藤田の親戚を通じて、当時からイギリスでフェンシングのコーチとして活躍していた山本憲一氏を紹介されたのだ。

「山本さんは、もともと一般のフェンサーとして自分の武者修行のためにハンガリーを拠点にプレーをしていたという経歴をお持ちです。その後、選手を引退し、ハンガリー、イギリスでずっとフェンシングのコーチとして世界中の選手の指導をされている。そんな人に見てもらえるのは大きなチャンスだと思って、リオパラリンピック出場を断念した直後の2016年6月に初めてイギリスに行きました」

現在、山本氏はレオンポールに所属する一般のフェンシング指導者だが、ハンガリー滞在時代に日本の車いすフェンシング関係者に出会い、2000年シドニー大会から北京まで3大会パラリンピックに出場している久川豊昌や、前述の藤田を指導した経験がある。

「櫻井選手を最初に見た時に、彼女ならきっと結果を出せる、という確信がありました。そのくらいガッツがあった。ただ、フェンシングのイロハを、何も知らない。知らないからこそ、教えればグングン伸びるというポテンシャルを感じたんです」

そう、山本氏が櫻井の第一印象を語る。山本氏の言葉通り、短期間で技術を伸ばした。そして、2017年2月にハンガリーで行われたワールドカップで、初めて櫻井はエペ2位という好成績をマークした。

実際には、そこからの櫻井の軌跡は決して順調ではない。2017年12月から2018年の4月まで脊髄の感染症が悪化し、皮膚移植を伴う12時間もの大手術を受けている。練習に復帰できたのは、2018年夏。この年の秋から東京パラリンピック出場のためのポイントランキング対象の大会がスタートする。待ったなしの状況の中、櫻井は再びイギリスでの合宿を行った。

写真:櫻井選手

その後、10月、ジャカルタのアジアパラ大会に出場。香港や中国といった車いすフェンシングの強豪が集まる中で、櫻井はエペ、フルーレ、サーブルの3種目で銅メダルを獲得する活躍を見せるも、サーブルで剣をもつ右肘の靭帯を損傷する大けがを負ってしまう。

「所属企業の日阪製作所がとても理解してくれて、イギリスで治療しながら練習したらいい、と快く送り出してくれることになりました。それでもう、生活そのものをイギリスに移す決心をしたのです。次の結果を出すまでは退路を断とうという覚悟でした」
そこからイギリス生活が本格化し12月、冒頭のような好成績を残したのだ。



■一般選手との練習の毎日で、経験を積む
レオンポール・フェンシングセンター は、ロンドンの中心地から鉄道でおよそ30分。ヘンドン駅からほど近い場所にある。近隣には焼きたてベーカリーのファクトリーなどがある、閑静な住宅街といったところだ。工場のような建物の2階に、競技大会も開催できる常設の練習場がある。櫻井ら、車いすを使用する選手のため、建物内には、小さなリフトも備え付けられている。

現在、櫻井はここで、午前、午後に山本コーチや、ポーランド人のコーチの個別指導を受ける。

「フェンシングでは、柔道のように基礎的な型を徹底的に練習します。パーツに分けて、技の一つひとつを体で覚えて実践できるように」

写真:お手玉を利用して練習をする櫻井選手

山本コーチとの練習は、インナーマッスルを鍛えるウォーミングアップから始まり、お手玉を利用したフェンシング動作の反復練習を経て、やっと剣を持った練習に入る。一見地味だが、この練習こそが大事なベースを作る。山本コーチ自身、現役時代からエペの選手として活躍、櫻井のトレーニングもエペ中心だ。

写真:ポーランド人コーチ

櫻井と同い年だというポーランド人コーチは左利きだ。このコーチには、フルーレのトレーニングを受けている。
「リオパラリンピックのフルーレで金メダルを獲得した左利き選手、イタリアのベベ(ベアトリーチェ・ビオ)を想定した実践練習の相手になってくれています」

写真:練習中の櫻井選手

個別練習の後は、現地の理学療法士による肘の治療やフィジカルトレーニング。また、週2回、火曜日と水曜日には2時間、近所の語学学校の授業にも通いながら、夜になると再びクラブに出向いて世界中のあらゆる選手たちと剣を戦わせて練習する。

「クラブはイギリスの選手だけでなく、本当に多国籍なんですよ。1日に20か国の選手とファイティング練習したということもありました」

車いすの選手もいるが、ほとんどは一般の選手。練習場に備え付けられたピストの車いすに乗り込んで練習するという。

「一般の選手も車いすに乗ると、アームワークの集中的な練習になるんです。毎日のようにいろんな選手から“明日の夜、練習相手になってくれる?”と予約の連絡があるくらい(笑)」

写真:ほかの選手の練習を眺める櫻井選手

日々、イギリスをはじめ世界各国の代表クラスの選手が相手になってくれる。それは櫻井にとっては貴重な経験の積み重ねになる。


渡英したばかりの頃はクラブ近くのホテルに滞在していたが、現在は山本コーチ家族の家に部屋を借りて住む。自分で車を運転し、クラブへの往復のほか、車いすの修理に出かけたり、休日に遠出を楽しんでいる。

写真:マグカップを手に笑顔の櫻井選手

午前中の練習が終わった後に立ち寄る近所のカフェは、お気に入りの場所。櫻井の顔を見ると、「いつものカフェラテだね!」と、トールサイズが差し出されるという。山本コーチとの反省会をするのも、ここだ。また、併設されているスーパーマーケットでこまごまとした日用品を買ったり、メールを打ったり、ハードな練習が続く日常のアクセントになっている。



■東京パラリンピック、そしてその先へ

写真:笑顔の櫻井選手

櫻井は、常に東京パラリンピックを見据え、そこから逆算して現在を考える。

「2020年5月末のランキングによって東京パラリンピック出場選手が決定します。2月、タイで行われるアジア選手権は選考に関わる大事な大会の一つ。それまで、残りわずかな期間に少しでも世界ランキングを上げた状態にしておきたい。ランキングによって東京パラリンピック本番のプール戦(予選)の組み合わせも決まってきますから」

2019年12月現在、櫻井の世界ランキングはエペ7位、フルーレ8位。どちらも5位以内まで上げて東京本番を迎えたい。

「すでに東京パラリンピック決勝戦の観戦チケットを購入したという友人がいます。それも、いいプレッシャーになっているかな」

フェンシングは経験値のスポーツ。だから、東京で終わりとは考えていない。30代半ばで迎えるパリ大会でこそ、これまでの経験が活かせる。所属企業も、東京の先まで応援してくれるという。

「東京パラリンピックは大切なステップ。その先も考えながら、1試合1試合に挑みます!」

スポーツライター 宮崎恵理

スポーツライター 宮崎恵理(みやざき・えり)

出版社勤務を経て、フリーのライターに。1998年の長野パラリンピックを機に障害者スポーツの取材に携わり、雑誌「Tarzan」ほか「スポーツグラフィックナンバー」などで執筆。現在、「Tarzan」「それを最大限に活かせ! パラアスリートGO!」の連載を展開中。12年ロンドンパラリンピック、14年ソチパラリンピックではNHK開会式中継解説を担当。著書に『心眼で射止めた金メダル』『希望をくれた人』。日本スポーツプレス協会理事、国際スポーツプレス協会会員。

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