第40回 村上光輝(ボッチャ日本代表ヘッドコーチ) 「発想の転換で武器を磨く」

ボッチャ 2020年2月10日
ボッチャ 日本代表ヘッドコーチ 村上光輝

ボッチャ日本代表ヘッドコーチ 村上光輝

ボッチャは、重度の脳性まひや四肢機能障害者のために考案された、障害者スポーツ特有の競技である。

写真:白い的球に向けて赤いボールを投げる選手

ジャックボールと呼ばれる白い目標球を投げた後、選手はそれぞれ赤または青の6球を投げ、いかにジャックに近づけるかを競い合う。両者が6球を投げおわると1エンドが終了。個人戦、ペア戦は4エンド、チーム戦は6エンドが行われる。

写真:滑り台のような器具から赤いボールを転がして白い的球を狙う選手

ゲームの流れとしてはカーリングに似ているが、ジャックボールを投げることで目標の位置が毎回異なるのが特徴だ。また、ゲーム途中でジャックボールの位置を自分の球で弾いて動かすこともできる。目標球の位置どりを含めて、どんな投球をするか。その知略こそが、ボッチャの醍醐味だ。



■銀メダルでも知名度はイマイチ

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2019年12月 日本ボッチャ選手権大会終了後、村上への質疑応答に大勢の報道陣が囲む


日本は、2016年、リオデジャネイロパラリンピックの団体(BC1/2)で銀メダルを獲得。大会後、各地で体験会が行われ、企業や学校でもボッチャを活用したイベントなどが多数企画されるようになった。ボッチャの知名度は、大きく上がったように見える。

「でも、どんなところに行っても、毎回“リオで銀メダルとったんですよね、すごいですね! それで、ボッチャって、どんなスポーツですか?”と言われてしまうんですよ」

そう語るのはボッチャの日本代表ヘッドコーチであり、日本ボッチャ協会強化部長である村上光輝氏だ。

「学校だけでも週に1度だから年間に50回以上になります。そのほか自治体や企業などからも依頼がありますし、選手個別に依頼が舞い込むこともある。おそらく、どの競技団体よりも体験会などのイベントを開催していると思いますよ」

ボッチャ一筋で強化・育成に携わってきた村上にとって、体験会などのイベントを多数手がけていることは、「ボッチャというスポーツの面白さが伝わっていない」という危機感ゆえ、である。が、理由は、それだけではない。

「“体験会”という場が、選手を育成する。それが、今の日本チームの強さを作っている」

ボッチャを知ってもらう機会と、強化が両立する体験会。銀メダルを獲得した村上の信念は揺るがない。



■ボランティアでボッチャに遭遇

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2019年9月 秋田県大館市にて行われたタイチームとの合同練習より ボッチャBC1・2チーム

村上光輝は、1974年に福島県で生まれた。
「通っていた小学校には特別支援学級があったし、自宅近くに特別支援学校も別にあった。交流会などもあり、生活の中に障害者がいるというのは当たり前の環境でした」

スポーツが得意で、特にサッカーで活躍。高校時代にはインターハイに出場した経験がある。

「特別に能力や体力に秀でていたわけではありませんが、将来、スポーツが得意な教員として子どもたちを指導する役割を担いたいと思っていました」

中学校・高校保健体育の教員免許とともに、特別支援学校の資格も取得できる科目があることを知って、順天堂大学スポーツ健康科学部に進学する。

大学時代は、障害者スポーツの現場でのボランティア活動などをしていた。東京都の障害者スポーツセンターで陸上競技の記録会が行われ、村上はぶっつけ本番で走り高跳びのコーラーを担当することになった。

「コーラー初心者でしたが、選手がいい記録を出してくれた。こういうサポートの仕方もあるんだということを知ったきっかけになりました。また、聴覚障害者と一緒にサッカーをする機会もありましたが、手話はできなくてもサッカーというプレーで分かり合える。これらの体験を通じて、スポーツには垣根がない、障害者のスポーツに関わっていきたいと強く思うようになりました」

村上が大学4年生の時に、日本にボッチャが紹介された。ボールを輸入販売する会社がボッチャのデモンストレーションをすることになり、そこにボランティアとして参加し、ボッチャという未知のスポーツに出合った。

「ボッチャには、複雑で緻密な戦略がある。頭脳を駆使して体力の足りない部分を補うボッチャの戦い方は、僕が学生の頃に目指していたサッカーに通じるものがあった。考えることが勝敗につながる。そこが、面白かったんです」

大学卒業後、特別支援学校教員として地元福島で就職する。仕事の傍ら、障害者スポーツ指導員の資格を取得。さらに、県内の学校対抗ボッチャ大会を開催しようという動きがあり、村上は審判の資格を取得する。そこからボッチャの日本選手権などの審判を務めるようになっていった。

写真:選手とともに笑顔で会場を引き上げる村上

村上が強化に携わるようになったのは、2009年のアジアユースパラ競技大会から。福島県の選手が選出されたことで、村上に代表コーチとして白羽の矢が立った。その経験から、以後、日本代表チームのコーチとなった。

「ボッチャのコーチは、本当に楽しい! まさに自分が求めていた仕事はこれだ、と思いました」

とはいえ、当時は、コーチの仕事だけで生活することなど不可能だった時代。教員の給料をボッチャの活動に注ぎ込む状態だった。



■ロンドン大会を機に、専念する環境へ

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2012年9月 ロンドンパラリンピック ボッチャ団体(BC1/2)決勝 タイ対中国

「2012年のロンドンパラリンピックに初参加して、私自身、その舞台のすごさに圧倒されていました。あの経験があったから、今ボッチャに専念していると言っても過言ではありません」

これまで日本国内で想像するばかりだったパラリンピックというステージがどれほどのものか、ということをロンドン大会で痛感した。その後リオ大会でメダルを獲得するが、リオ大会が最初のパラリンピックだったら、ここまでの衝撃はなかっただろう、と振り返る。そのくらい、ロンドン大会は、規模も空気も桁外れだったという。

「ロンドン以降、教員をしていた学校からあまりにも休暇が多いと言われ、2015年は丸1年間、一度も遠征に帯同していないんです。その頃、このまま教員を続けるべきか、思い切ってボッチャに専念すべきか、本当に悩んでいました」

背中を押したのは、東京パラリンピック開催決定から始まった障害者スポーツの環境改善だ。協会内でスタッフの専任制度が整い、教員を辞める決心がついた。実際に退職したのは、2016年3月。リオパラリンピック直前のことである。

村上は、ロンドンパラリンピックで世界の高さを実感して以来、世界のボッチャの情報を各国コーチなどからかき集めた。選手の使うボールを、製造する国のメーカーから直輸入する。選手には専任のトレーナーをつけ、映像分析の専門家や管理栄養士に指導を仰ぐ。そうして、選手の練習や競技環境を外側から固めていったのだ。

「例えばサッカーのJリーグなら当然いる専門スタッフを、ボッチャに取り入れることで、道筋を立てていきました」



■選手に沿った提案が肝要

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2016年9月 リオパラリンピック ボッチャ団体(BC1/2)決勝 タイ対日本


村上が手がけてきた環境改善は、選手のパフォーマンスを向上させた。ボッチャに集中できる時間が増えれば、当然投球技術は上がる。想定した戦術どおりに展開できるようになる。

「実際には、試合の中で戦術の選択肢はものすごくたくさんあるんですよ。自分の考えだけではなく、スタッフからの情報によってもその選択肢は広がる。でも、最後の最後、どの展開を選ぶのかは、選手の気持ちや要望が決め手になる」

だから、ヘッドコーチとしての仕事は、できるだけ選手が気持ちよく展開していける道筋を提案してみせることだ。実際には、試合直前のウォーミングアップで、ライバルの様子を観察して決めていく。直前にライバルが練習しているのは、得意なプレーなのか、修正したいと思う技術を繰り返しているのか。そこを見極めて戦術を立てる。

銀メダルを獲得したリオパラリンピックでは、準々決勝で対戦した中国戦が、日本の狙い通りに展開できた試合だったと語る。日本はジャックボールを中国エースの目の前に置き、エースの攻撃を抑えることに徹した。一方、中国は、日本に負けるはずがないと思い込んでいた。1点差程度でリードしている分には、中国はいつでも大量得点をあげて逆転できると、油断する。日本は焦らずじわじわと同点、1点差のロースコアを守りながら我慢して試合を進めた。最終的に6エンドが終わると5−5の同点。タイブレークに持ち込むことは、想定内だった。そこから1得点をあげて守りきったのは、日本の戦術の勝利だったのだ。



■体験会は真剣勝負の場

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リオ以降、日本だけでなく世界も成長を続けている。そういう中で日本が勝ち続けていくためには、本番と同じ緊張感の中で自分が思い描く通りに投球できる力をコンスタントに身につけることが必要だ。

国際大会が頻繁に行われるわけではなく、数少ない機会だけで成長できるほど、勝負の世界は甘くない。
毎週のように行われるボッチャのイベントは、競技に替わる本番の舞台。村上が目をつけたのは、そこだった。

「ジャックボールの周りに密着したボールを、次の1投で弾き飛ばして自分のボールをジャックボールにピタリと近づけてみせます」「密着したボールの上に乗り上げさせてみせます」「手前においた布石のようなボールを、次の1投で押し込んでジャックボールに寄せてみせます」

あえて困難な局面を作り、観客の目の前で、あえて「宣言」をした上で、一発で決めてみせるのは、次の1投で勝負が決まる“試合での展開”と変わらない。それを実現する技術も、度胸も、不可欠なのだ。

もちろん失敗することもある。それは翌週のイベントに生かせばいい。選手は、毎週、自分をバージョンアップできる。体験会で観客をあっと言わせるような投球をするために、日夜技術を磨くことで、選手はそれぞれ自分のパフォーマンスを向上させることができるのだ。

体験会が、日本チームの勝負強さを培ってきた、と村上は確信している。それが、日本独自の武器である、とも。

「それに、体験会に参加した人の投げたボールが、次の戦術のヒントになることもあります。参加者は、ボッチャを詳しく知らなくても、すごく高度なことをやろうとしていることがある。僕らだけの知識や情報だけでは行き詰まることは多い。どんなことも、我々の力になっていくんですよ」

東京パラリンピックでは、観客があっと息を飲むような展開で試合をしたい。その上でメダルを獲得すれば、一気にボッチャの知名度は急上昇するだろう。でも、村上はそこで終わりとは考えない。むしろ、東京大会をきっかけにしてさらに体験会などのイベントを増やしていくつもりだ。

ボッチャを伝えるという使命と、選手強化の大事な場として。村上の奮闘は、さらに加速していく。


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スポーツライター 宮崎恵理

スポーツライター 宮崎恵理(みやざき・えり)

出版社勤務を経て、フリーのライターに。1998年の長野パラリンピックを機に障害者スポーツの取材に携わり、「Tarzan」「スポーツグラフィックナンバー」など雑誌やインターネットメディアで執筆。12年ロンドンパラリンピック、14年ソチパラリンピックではNHK開会式中継解説を担当した。著書に『心眼で射止めた金メダル』『希望をくれた人』『みんなちがって、それでいい』。日本スポーツプレス協会理事、国際スポーツプレス協会会員。

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