パワーアップ、レジェンド ~大井利江(陸上)

東京大会延期を受け、いま“ベテラン”に聞くパラリンピックの意味
陸上 2020年6月25日
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妻の須恵子さんと共に投球を確認する大井選手

新型コロナウイルスの世界的な感染拡大に伴い、東京オリンピック・パラリンピックが1年延期となった。1960年に第1回パラリンピックがスタートして以来の緊急事態である。過去のパラリンピックを何度も経験しているベテラン選手たちは、この事態に何を感じ、未来に向けてどう動き出しているのか。シリーズで、選手たちの“今”に迫ってみたい。

2回目は、ことし72歳になる陸上競技の大井利江。漁師だった39歳の時に、マグロ漁に出ていた船上でけい髄を損傷し、下半身だけでなく上肢にも機能障害が残った。リハビリのために水泳を始めたが、50歳になる年に陸上競技の円盤投げなど投てき目をスタート。初出場となる2004年のアテネパラリンピック、F53クラス円盤投げで銀メダル、08年北京大会で銅メダルを獲得。12年ロンドン大会出場後、F53クラスの円盤投げが種目から外れることとなり、砲丸投げに転向する。
円盤投げでは利き手の右手で投げていたが、砲丸投げでは、障害により利き手である右手のひじが曲がらず肩まで上げられないため、左手を使って投げ込み、リオ大会出場を果たした。現在の自己ベストは2018年に出した6m 92。「自粛期間中、手応えを実感している」と語る大井に、73歳での出場を目指す東京大会への意気込みを聞いた。



■神社前の広場で毎日50投

写真:ほこらの前でポールにつかまり投球の練習をする大井選手


――全国で唯一、感染者数ゼロ(※)の岩手県にお住まいですが、大井選手がコロナを意識するようになったのは、いつ頃ですか。

3月末、志村けんさんが亡くなったというニュースを見て、これは怖い病気だと思いました。同時に3月末には日常的にトレーニングしている地元・洋野町の競技場や屋内プールが利用できなくなり、そこから自粛生活になりました。
※このインタビューは2020年5月末に、電話で行いました。



――その後はご自宅でのトレーニングになったわけですね。どんなことをされていたのですか。

自宅のすぐ隣に小さい神社というか、祠(ほこら)があって、その前が広場のようになっているんです。そこで日常の車いすに座ったまま、砲丸投げのトレーニングをしていました。いつも競技場などでのトレーニングの時にサポートしてくれる近所の人やゲートボール仲間が、自宅の練習を支えてくれています。

――毎日決まった時間にトレーニングされているのですか。

朝9時から30分間。50投するのに、ちょうど30分かかるんです。50投というのが練習としてベストの本数なんですよ。競技場でも、同じ本数で練習していました。それ以上やると、けがにつながってしまいます。

写真:自宅のベンチプレスで鍛える大井選手

――以前、取材させていただいた時には、ご自宅の庭に知り合いが作ってくれたベンチプレスの機器が置いてありましたが、50本投げた後に、その機器での筋力トレーニングを行うのですか。
そうです。バーベルが自然と戻ってくるように、奥が高くて手前が低い形状にパイプを組んだベンチプレスのトレーニング機器です。砲丸投げは、何よりパワーが重要です。これで押し出しのパワーアップを図る練習をしています。

――2年前、お話を伺った時には負荷が25kgということでしたが、その後、負荷は変化しましたか。

あがりましたよ、どのくらいだと思います?

――え、そうですね、30kgくらい?

50kgですよ! 今は、50kgの負荷をかけて30回5セットでやっています。2年で倍になりました。

――それはすごい。

室内でできるトレーニングもしています。ハンマー投げのハンマーを使って、押し出す動作のトレーニングをしています。これは、パワーではなく動作確認のトレーニングですね。

写真:水中で両腕を広げてトレーニングをする大井選手

――砲丸投げに転向してから始めたプールでの水中トレーニングも効果的だとおっしゃっていましたね。自粛期間中はプールトレーニングだけはできないのが残念ですね。
プール自体は、6月に営業再開になりましたが、練習をサポートしてくれる学生さんが、学業の実習期間とも重なってしまい、その人が戻ってこないと練習再開ができません。

――プールトレーニングの代わりとしては、どんなことを?

芝の上での車いすの走り込みです。結構、きついですよ。



■自粛期間中でも前進


――東京オリンピック・パラリンピック1年延期というニュースを聞いた時、率直にどんなお気持ちでしたか。

やっぱりことしに懸けてきましたからね。でも、自分としては、あとまだ1年、準備ができるという気持ちになりました。

――それは、前向きですね!

ことしに入ったくらいから、記録を伸ばすコツのようなものを少しずつ掴んできた
という感触があって、練習していても結構、面白くなってきていたんです。それで、自粛生活になって、家の隣の神社での投げ込みを始めてから、さらになんだか前よりも球が飛ぶような気がしているんですよ。

――この自粛期間中に、ですか。

いつも練習している競技場のフィールドだと、競技本番を想定して投げるようにしているんです。だから、ついついとにかく遠くに飛ばすことばかりに集中してしまいがちです。でも、今、神社の前でやっている時には、単に遠くに飛ばすだけではなく、フォームや動きを意識するようにしたんですね。動作に変化をつけて、自分に合う投球フォーム、動作の研究をすることができた。それがよかったんだと思います。

写真:鳥居の前で投球練習をする大井選手

――具体的に、どんな手応えを掴み取ったのでしょう?
球を押し出すタイミングです。早すぎても、遅すぎても遠くには飛ばない。どのタイミングで押し出せばいいか、いろいろやってみて自分なりのベストを掴めたような気がします。練習では、砲丸だけでなくテニスボールを使って投げ込んだりします。コントロールも良くなってきたかな。



■今は、粛々と練習に集中できる


――大井選手は、2004年のアテネ大会からパラリンピックに出場されていますが、延期は想像もつかない事態ですね。

もしかしたら、中止ということも考えました。

――このような事態になって、改めてパラリンピックはどんな存在ですか。

パラリンピックは「夢の舞台」。そこに出場できるということがどれほど大きいか
、ということを実感しています。パラリンピックに出場できることは特別なこと。感謝しています。私にとっては、今回の自粛生活よりも、東日本大震災の時の方が、精神的にキツかったですね。

――それこそ、練習さえできない日々が続いていたとか。

自宅で被災して、近所の消防団の人たちが車で裏の高台に連れて行ってくれました。幸い、12mの防潮堤があって、津波の被害は免れたんですが、その後全く練習はできませんでしたから。

――今とは全然違う気持ちだったのですね。

周りが大変な中、自分だけが練習なんかできるわけがない。それでも、普段練習を手伝ってくれる仲間や近所の人たちが「練習しないのか。みんなパラリンピック出場を楽しみにしてるんだから」って、会うたびに声をかけてくれて。「頑張れ」と言い続けてくれたことで、練習が再開できて、そして今があるんです。

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普段練習をしている自宅近くの競技場。投てき台を設置したり、投げた球を手元に運んだりなど、近所の人たちがサポートしてくれる


――ロンドン大会は、そういう意味では他のパラリンピックとは違う大会でしたか。

全然違いました。あまりにも思いがこもりすぎて、(円盤投げの)結果が伴わなかった(笑)。

――現在は、全世界的に影響が広がっています。状況が異なりますね。

自分が自宅でできることを粛々とやるだけ。そういう状況だから、むしろ自宅トレーニングに集中できているんだと思います。



■ことし、7m50を狙う

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自宅トレーニングでは、ハンマー投げのハンマーを使い、砲丸を押し出すフォームの動作確認を行う。こちらは競技をする左腕


――約2か月の自粛期間のトレーニングで手応えを掴んだのですから、次に実施される記録会や競技大会が楽しみですね。

5月末から競技場での練習も再開できるようになりました。でも、焦りは禁物です。これまで通り、マイペースで練習していくことが大切だと思っています。

――このいい感触で、自己ベストが更新できそうですか。

そう、7m 20くらいは今でも出せそうです。9月に埼玉県の熊谷市で日本選手権が予定されていますが、そこでは7m 50。その先、1年後に8mを超えるのが目標です。来年の東京パラリンピック本番が、楽しみですよ。

――ベテラン選手ならではの強みって、どんなことですか。

自分にあったペースを把握しているということでしょうか。自分にできる範囲で工夫して、無理せず取り組むこと。無理をすると、翌日に確実に影響が出てしまいますよ。それが怪我にもつながってしまいます。

――来年、東京パラリンピック出場が決まれば73歳での出場です。どんな覚悟で本番に臨まれますか。

まずは東京大会の内定を決めること。出場が決まったら、しっかり自分の力を発揮すること。周りで応援してくれる人、いつもサポートしてくれる仲間たちに感謝しながら戦います。プレッシャーはあるけれども、必ず入賞できるように頑張るだけです。

――東京大会以降のビジョンについて、お聞かせください。

競技生活をサポートしてくれる人がいれば、まだまだ続けたい。パリ大会も目指したいと思っています。ただ、アスリートとして継続できなくても、例えば後進の指導など、別の形でも、陸上競技に携わっていきたいと考えています。何ごとも、諦めずにコツコツと継続すること。
利き手ではない左手で砲丸投げを始めた時には、どうなることかと思っていたけれども、諦めずに続けてきて、リオ大会にも出場できた。継続することで確実に掴めるものがあるんです。時間はかかりますが、そういう積み重ねを大切にしたいと思います。



■東京大会延期を受け、いま“ベテラン”に聞くパラリンピックの意味

1年先の、集大成 ~藤本怜央(車いすバスケットボール)

延期された金メダル ~島川慎一(車いすラグビー)


スポーツライター 宮崎恵理

スポーツライター 宮崎恵理(みやざき・えり)

出版社勤務を経て、フリーのライターに。1998年の長野パラリンピックを機に障害者スポーツの取材に携わり、「Tarzan」「スポーツグラフィックナンバー」など雑誌やインターネットメディアで執筆。12年ロンドンパラリンピック、14年ソチパラリンピックではNHK開会式中継解説を担当した。著書に『心眼で射止めた金メダル』『希望をくれた人』『みんなちがって、それでいい』。日本スポーツプレス協会理事、国際スポーツプレス協会会員。

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