延期された金メダル ~島川慎一(車いすラグビー)

東京大会延期を受け、いま“ベテラン”に聞くパラリンピックの意味
車いすラグビー 2020年7月9日
写真:歓声にこたえ、左手を上げる島川慎一選手

2019年10月 車いすラグビー ワールドチャレンジ 3位決定戦より

新型コロナウイルスの世界的な感染拡大に伴い、東京オリンピック・パラリンピックが1年延期となった。1960年に第1回パラリンピックがスタートして以来の緊急事態である。過去のパラリンピックを何度も経験しているベテラン選手たちは、この事態に何を感じ、未来に向けてどう動き出しているのか。シリーズで、選手たちの“今”に迫ってみたい。

3回目は、車いすラグビーの島川慎一。1975年熊本県生まれ、21歳の時に交通事故で頸髄を損傷。24歳で車いすラグビーを始め、日本チームが初めてのパラリンピック出場となった2004年のアテネ大会からエースとしてチームをけん引してきた。チーム<BLITZ>を創設し、8度の日本選手権優勝に貢献。また、車いすラグビー選手としては、海外チームでプレーする草分け的存在でもある。2012年ロンドン大会で4位、16年リオ大会では銅メダル。そして18年の世界選手権で優勝。東京パラリンピックでの金メダルへまっしぐらに進む、日本の車いすラグビー。その歴史を作ってきた島川に、現状を聞いた。



■激変した日本での練習環境

写真:パスされたボールを左手を伸ばして取ろうとする島川選手

2019 車いすラグビー ワールドチャレンジ

――今季、渡米して<フェニックス・ヒート>でプレーはされていましたか。

行きませんでした。池崎(大輔)も行かずにずっと日本での練習に専念していました。「無闇に行かなくてよかった」と、池崎とも話しています。

――それは、東京パラリンピックを見据えてのことですか。

やはり、代表合宿の予定がぎっしり詰まっていたということは大きいです。アメリカに行っても、代表合宿のために何度も日本とアメリカを往復しなくてはいけませんから。僕が初めてアメリカに行った2005年、06年を振り返ると、日本で練習する環境は何倍も整っています。だから、無理して行く必要はないと判断したんです。

写真:マイクを持ち挨拶をする島川選手

2018年6月 日本財団パラアリーナ オープニングセレモニーにて

――(この2年で)車いすラグビーの練習環境は本当に変わりましたね。

代表合宿だけでなく、週3回はパラアリーナでみっちり練習ができる。ラグ車(車いすラグビー用車いす)を車に積んで、パラアリーナに行けばすぐに練習スタート。昔を思えば、激変ですよ。

――新型コロナウイルスの影響を感じたのは、いつ頃ですか。

3月に開催予定だったジャパンパラ競技大会の中止が決定した時ですね。海外チームが来日できないとか、安全確保が難しいという理由で決まったようです。
3月21日、22日に、所属チームのBLITZの合宿はパラアリーナで実施したんですよ。検温したり感染症対策をしたりしながらね。だから、3月の時点では、ちょっと深刻になりすぎているんじゃないかって、思っていたんです。でも、全米選手権も中止になったというニュースを聞きましたし、世界的に拡大していたんですよね。

――その後、すぐに東京オリンピック・パラリンピックの開催が1年延期されるというニュースが発表されました。率直に、どんなお気持ちでしたか。

自分としては、3月のジャパンパラに向けて、すごくいい状態で体も仕上げてきていたんです。だから、大会が中止になったこととか、この先練習が予定通りにできそうもないという状況の中、東京パラリンピックの1年延期は、ある意味、仕方がないことなのかもしれないと思いました。でも、気持ち的には、ズシンと落ちていましたね。


■ラグ車専用のローラーで走り込み

写真:簡易ベッドがフロアいっぱいに並ぶ

2020年5月 公開された日本財団パラアリーナ

――4月になって、パラアリーナが医療用施設として転用されることも決まりました。

3月の終わりにBLITZとTOKYO SUNSの合同合宿を実施する予定だったのですが、それも結局、中止。4月6日に、パラアリーナが医療用施設になるということが決まりました。そのころには、今回のコロナはかなりまずい状況なのだということを痛感しました。

――そこから、本格的な自粛生活になったのですか。

4月に予定されていた代表合宿ももちろん中止が決定して、そこからは完全自粛生活です。僕は、もともと所属する会社(バークレイズ証券)の出勤が週2日ほどあったのですが、それもリモートワークになりました。

――そうすると、そこからはトレーニングも自宅で?

以前は、自宅近くのスポーツジムでもトレーニングをしていました。なので、完全に自宅でのトレーニングになったけれども、例えば、トレーニングする用具や機器が何も家にはない。
合宿などがなくなって、しばらくは自宅近くの公園に行って車いすで走り込みをしていましたが、県外ナンバーの車が多くて、すぐに駐車場も閉鎖されてしまったんです。それで走り込みもできなくなってしまいました。

――具体的には、どんなトレーニングをしていましたか。

ラグ車用のローラーを自宅のベランダに設置しました。もっぱら、その走り込みが中心です。毎日、2時間程度やっています。

――筋力トレーニングなども?

体幹トレーニングなどに使用するウォーターバッグを購入して、それで上半身のトレーニングはしていました。

――この期間だからこそ、というような、新しくやってみたことなどはありましたか。

そもそも、ローラーで走り込みをすること自体、初めての体験です。これまでは走ることで困ったことはなかったですから
ね。車いすラグビーを始める前に、陸上競技をやっていた時期があって、その時代にローラーを使った練習をしたことはあります。
僕、本当はローラーは好きではないんです。だって、景色も変わらないし、風も当たらないじゃないですか。それに、陸上のローラーと、ラグビーのローラーでは全然勝手が違うんですよ。ダッシュするとガタガタと車いすが外れそうになって危険なので、7割くらいの強度で時間をかけるようにしています。ベランダにイスを出して、そこにパソコンを置いて、ミュージックビデオやドキュメンタリーの動画を見ながらやると、ちょうどいい。ライブビデオがちょうど2時間。気持ちが上がります。

――走り込みがメインなのですね。

そもそも、体幹が使えないので、筋力トレーニングには限界があるんです。そうそう、これまでやったことがない、ということで言えば、床に仰向けになって、娘を負荷代わりにしてベンチプレスはよくやったな(笑)
下の娘とは、この期間中、すごく仲良しになりました。何しろ、生まれてからあまり家にいる時間が少なかったので、お父さんの顔を覚えてもらっていませんでしたから(笑)。

――生活にも変化がありましたか。

うちは妻が障害者施設に勤務しているため、緊急事態宣言期間中もずっとフルタイムで出勤していました。その間、保育園が休園になっていたので、毎日、僕が5歳と2歳の娘の育児と家事を担っていました。それは、様変わりですよ。これまで、1か月の半分はほとんど家にはいないような状態だったのに、24時間娘と一緒に生活しているのですから。
家事の合間に昼寝をさせて、昼寝している間に練習して(笑)。5月20日から保育園が再開したので、終日の育児からは解放されました。


■再開は体育館を探すところから

写真:ボールを持つ選手にタックルする島川選手

2018年12月 車いすラグビー 日本選手権 3位決定戦より

――車いすラグビーとしての練習はままなりませんね。

それが、一番のネックです。せいぜい、家でボールに触る程度です。

――代表チームやBLITZのメンバーなどと、共有していることなどはありますか。

代表チームのメンバーとは、5月に初めてオンラインミーティングをしました。32人くらいいたのかな。久しぶりにみんなの顔を見ましたよ。その翌日から、3日間かけてビデオを見ながらの戦術ミーティングもありました。
そのほか、チームのトレーナーとSNSでトレーニングの情報を共有しています。

――緊急事態宣言も解除されて、これから本格的に練習再開ですね。

やっぱり、いくらローラーで走り込んでも、筋トレしても、試合の感覚は試合でしか、掴むことはできない。とにかく1人でも、2人でもいいから体育館でラグ車を思いっきり走らせたいです。
パラアリーナが使用できないので、クラブチームの練習場所を探すところからスタートなんです。都内だけでなく群馬県や茨城県エリアの体育館まで探しています。チームの練習がきちんと再開できて、そこでベースを作って代表合宿に臨みたい。正直、2018年の世界選手権で優勝できたのは、パラアリーナという存在のおかげだったと思っていますから、どう環境整備するかは重要課題です。

――この1年を、どのように生かしていきたいですか。

ことし、3月のジャパンパラに向けて、いい形で仕上げていて、そこからピークを作るということは順調にできていたので、もう一度、来年に向けて準備します。

――代表合宿の予定などは決まっていますか。

7月にはナショナルトレーニングセンターで合宿が予定されています。その合宿では、本当は、これまでと同じ強度でのトレーニングに対応できるだけの体を作っておきたい。


■ブレない、金メダルという目標

写真:銅メダルをかけ微笑む島川選手

2016年9月 リオデジャネイロパラリンピック 車いすラグビー 3位表彰式にて


――アテネからパラリンピックに出場していますが、改めてパラリンピックという存在を、どう感じていますか。

やっぱり、大きいです
。正直、来年のことも、どうなるかわからない。1年延期になったと言っても、金メダル獲得という目標は変わりません。そのためにやるべきことも。

――パラリンピックを経験していない若手選手もいますが、彼らに伝えたいことは?

若手にとっては、今はチャンスだと思います。まだまだメンバーも固定されるわけではありません。ポジティブに捉えて、どう行動していくか。やはり、パラリンピックは、大きな舞台ですから。

――以前、世界選手権も大事だけれども、パラリンピックはより大きな舞台だとおっしゃっていましたね。

知名度が違います。リオ大会でメダルを獲得したことで、旧知の友人たちから連絡があったり、地元の熊本で祝勝会を開いてくれたりしました。
パラリンピックでの活躍が、車いすラグビーというスポーツそのものの知名度を上げる要因にもなってくれる
。それが、東京大会という日本で開催されるパラリンピックであれば、その効果は計り知れません。車いすラグビーを知れば、ラグビーをやりたいという若い選手ももっとたくさん集まってくると思う。アテネの頃を思い出すと、当時は、車いすラグビーどころか、パラリンピックさえ、知っている人は少なかったので。

――改めて東京大会に懸ける思いとは。

いやいや、だからって、僕はそこで引退するわけじゃありませんよ(笑)。金メダルを獲得してパリ大会を目指す。もしかしたら、その頃には新しく登場する若い選手に追い越されてしまうかもしれない。それでも、自分にできるベストを尽くす。そこは永遠に変わりませんね。



■東京大会延期を受け、いま“ベテラン”に聞くパラリンピックの意味

1年先の、集大成 ~藤本怜央(車いすバスケットボール)

パワーアップ、レジェンド ~大井利江(陸上)


■パラアスリートの流儀

第34回 島川慎一(車いすラグビー)「大成功のロンドンを超えて」(2019/10/9)


スポーツライター 宮崎恵理

スポーツライター 宮崎恵理(みやざき・えり)

出版社勤務を経て、フリーのライターに。1998年の長野パラリンピックを機に障害者スポーツの取材に携わり、「Tarzan」「スポーツグラフィックナンバー」など雑誌やインターネットメディアで執筆。12年ロンドンパラリンピック、14年ソチパラリンピックではNHK開会式中継解説を担当した。著書に『心眼で射止めた金メダル』『希望をくれた人』『みんなちがって、それでいい』。日本スポーツプレス協会理事、国際スポーツプレス協会会員。

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