第48回 大谷桃子(車いすテニス)「第1シードを下して」

車いすテニス 2020年11月17日
写真:全仏オープン準優勝プレートを持つ大谷桃子選手

新型コロナウイルスの感染拡大によって中断されていたテニスのグランドスラム。5か月ぶりとなる8月31日、全米オープンが無観客で再開された。当初、車いすテニス部門は中止予定だったが、選手、国際パラリンピック委員会などの強い要望により、9月10日に開幕した。

車いすテニスの全米オープンに、一人の日本人女子選手が初出場を果たした。それが、大谷桃子である。初めての舞台で、大谷は1回戦でシングルス第2シード(世界ランキング2位)の上地結衣と対戦。日本人対決となった初戦は2−6、6−7で敗退した。

その約1か月後の10月7日、全仏オープンに、再び大谷の姿があった。1回戦、南アフリカの選手を6−4、6-1のストレートで下して準決勝に進んだ大谷は、第1シード(世界ランキング1位)、オランダのディーデ・デフロートと対戦。7−5、6−4で勝利する快挙を成し遂げた。

異例ずくめの2020年グランドスラム。大谷は、車いすテニスの女王を倒した日本人選手として人々の記憶に刻まれた。



■インターハイ出場経験あり

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2020年10月 自身2度目となるグランドスラム・全仏オープンの会場、ローランギャロスにて


大谷桃子は、1995年に栃木県で生まれた。兄の影響により、小学3年生で硬式テニスを始める。中学3年で関東エリアのジュニア選手権に出場し、スポーツ推薦で作新学院高校に進学。3年のとき、ダブルスでインターハイに出場した経験を持つ。

高校卒業後、病気の治療薬の副作用で車いす生活となった。現在、右足にまひが残り、右手の握力も4kg程度。テーピングでラケットを持つ形に指を固定し、ラケットを握る。体温などの調整も難しく、暑い夏は汗がわりとなる霧吹きが欠かせない。病気による影響は今も続き、日々、体調を見ながら練習に取り組んでいる。

本格的に車いすテニスを始めたのは、2016年。5月、福岡県で開催されたジャパンオープンを観に行った。そこで目にした、長いラリーを展開する選手たちの姿に魅了され、「もう一度、テニスがしたい!」と思ったことがきっかけだ。その年の9月、初めて車いすテニスの大阪オープンに出場し、韓国の選手に快勝。そこから、大谷の車いすプレーヤーとしてのキャリアが始まった。

3年前、初めてインタビューした時の大谷の世界ランキングは40位。当時、「グランドスラムに出場することが目標」と、熱く語っていた。

今夏、初めて国際テニス連盟から、全米オープン出場の打診があった。この時点では、大谷の世界ランキングは9位。車いすテニスのグランドスラムは、男女ともトップ8名だけが出場できる特別の舞台だ。

「格上の選手の欠場によって、出場機会ができたんです。ものすごくうれしかったけれども、グランドスラムに出場するからには、恥ずかしいプレーはできないと、身が引き締まる思いでした。その後の練習はいつも以上に力が入りました」



■初舞台の緊張感こそが収穫


8月。ニューヨークUSTAビリー・ジーン・キング・ナショナル・テニスセンターのコートに立った時の興奮は、格別だった。
「“グランドスラムを目指す”と言い続けていたけれど、1年前でさえ、それは現実的ではありませんでした。まさか、本当にこの舞台に立てるなんて、と、気持ちがすごく高ぶって。試合当日の朝も、早く目が覚めてしまいました」

コロナ禍の自粛期間を経て、コートに戻ってから改めて取り組んできたのがサーブの改良だ。エンドラインに対し斜め前に車いすを構える姿勢で、体の回転を使ってフラット気味にサーブを打つ。以前は、回転をかけたボールで、コースを狙う打ち方だったが、新しいサーブになってから、スピードが増した。明らかにフラットサーブの質が上がったという。

初出場となる全米オープンのコートで、そのサーブをお披露目させた。
「でも、上地選手に対して新しいサーブに頼りすぎてしまったところがありました。本来、以前から打っていた回転をかけるサーブと、新しいスピードのあるサーブを配分よく織り交ぜれば武器になるはずでしたが、その使い分けの精度が詰め切れていませんでした」
と、初戦敗退の要因を語る。

「自分のプレーや展開に集中できず、気持ちを落ち着けることばかりに気がとられてしまった。苦い記憶です」

本来、8月25日には東京パラリンピックが開幕している予定だった。

「全米オープンに出場したことで、どれほどこうした舞台が特別なものかを痛感しました。グランドスラムを経験しないまま東京パラリンピックに出場していたら、もっと悲惨な心理状態になったかもしれないと思います」
その経験こそが、初出場の大きな収穫だったと、大谷は振り返る。

「1回戦で負けてしまった後、国枝(慎吾)選手や上地選手の決勝戦をじっくり観戦しました。せっかく日本人が3人も出場しているのに、一人さっさと初戦敗退したことが、本当に悲しい、悔しいって思いながら」



■狙い通りのリターンエース


2度目のグランドスラムとなる全仏オープンの準決勝で、大谷は女子車いすテニス女王のディーデ・デフロートと対戦する。

9月。大谷は、全仏オープンの出場が決まり、急遽、クレーコートに慣れるため、直前に同じフランスで行われるリビエラオープンに出場。その間に腹筋を痛め、新しく習得したばかりのサーブが打てない状態でローランギャロス(全仏オープン)入りしていた。

「痛めた腹筋では、長時間のプレーに耐えられない。だから、私はリターンエースを狙って、短期決戦に持ち込む作戦を徹底しました」

車いすテニスを始めた時から指導を受けている古賀雅博コーチも、「デフロートだって、1ゲームに1度くらいはダブルフォルトがあるだろう。ブレイクをしっかりとっていけば、セットを取れる可能性が高くなる。その形を狙っていこう」と、指示していた。

「ディーデ選手は、スピードのあるショットに対しては、それを上回るショットが返ってくる。彼女の持ち味を殺すには、スピードを抑えたリターンを返す方が効果的だと、意識していました」

写真:サーブを打つ大谷選手


試合は、大谷のサーブで始まった。1ゲーム目はデフロートのショットが決まる。2ゲーム目は、反対にデフロートのミスが目立ちブレイクに成功した。

2−3のゲームカウントで迎えた6ゲーム目。大谷のリターンエースが炸裂した。最初のサービスをクロスに返してポイントを挙げると、デフロートのショットがアウトになる。その後、2本立て続けにリターンエースを決めた後、ショットがネットにかかるミスでデュースにもつれ込むも、最後はストレートへのリターンエースを決めて6ゲーム目をブレイクした。

大谷のリターンエースが続くと、明らかにデフロートのサーブが甘くなる。
「“入れにいく”サーブになりますから」

狙いどころの甘くなったサーブを予測して動き、目の端でデフロートの車いすの動く方向を捉えたら、反射的に逆方向にショットを放つ。追い詰められたデフロートは、コースを打ち分けようと焦り、ダブルフォルトの数を増やしていった。

1セット目、6−5でリードして迎えた最終ゲーム。サーブはここでもデフロートだ。大谷のミスが続きデュースとなったが、クロスへのリターンエースを決めてアドバンテージを握った。大谷のセットポイント、デフロートのサーブ1打目はアウト、さらに2打目をネットにかけてダブルフォルト。ゲームカウント7―5。大谷の作戦を象徴する形で、1セット目を勝ち取った。

続く2セット目、デフロートはダブルフォルトだけでなくショットミスも頻発しゲームカウント6−4。大谷は、1時間13分で試合を締めくくり、決勝進出を決めたのだった。


日本人対決となった上地との決勝戦は、2−6、1−6で完敗。

写真:バックショットを打つ大谷選手


「自信のあるショットの一つひとつが、ボール数個分アウトになった。自分でもどうしたらいいんだろうと思っているうちに試合が終わってしまいました」

上地とは、国内大会を含め対戦数も多く、互いに手の内を熟知している。

「上地選手との対戦では、スピン系のショットのラリーになることが多い。上地選手のショットは軌道にすごくバリエーションがあります。また、上地選手は、グランドスラムでも決勝戦を見据えて1戦1戦を組み立てているのに対して、私は1試合に取り組むことに精一杯になっている。改めて経験値の差を痛感しました」



■変革の1年を経て、東京パラリンピックへ

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2020年3月 4年間通った地元の佐賀県・西九州大学にて。卒業式は中止になったが、キャンパスで友人たちと記念撮影

ことし、新型コロナウイルス感染拡大に伴い、スポーツ界にも大きな影響があった。3月、アメリカで行われる予定だったツアーの1戦は、大谷が現地入りしてから中止が決定し、急遽帰国を余儀なくされた。西九州大学の卒業式も中止に。ごく親しい友人と大学で記念写真だけ撮影した。そして、3月24日には、東京オリンピック・パラリンピック延期のニュースが舞い込む。

「それでも、私にとって、ことしは大きな1年でした」

4月、1年前から所属先として支援を受けているかんぽ生命保険に正社員として入社。練習拠点を確保し、平日に充実したコート練習、週末はしっかり休むというでサイクルが整った。

また、コロナ禍でコート練習ができなくなったことで、故障していた右手首の手術を敢行。2年前、手首の靭帯が断裂し、骨が軟化していた部分にプレートを入れる手術を一度受けているが、そのプレートを外したのだという。

「本来、ことし東京パラリンピックがあれば、大会が終わってから受ける予定でした。でも、1年時間ができたことで、あえてこのタイミングで受けることにしたんです」

コート練習ができない自粛期間は、ラケットを握らず手首を休ませる時間に充てた。

「コロナ禍で大会が開催されることもありませんから、焦ることなく治療やリハビリに専念できました」

コートでの練習が再開すると、これまで感じていた痛みや違和感に悩まされずにプレーできるようになり、サーブの改良にも思う存分、取り組めたのだという。

デフロートを下す快挙を成し遂げて決勝に進出した大谷の、現在のシングルス世界ランキングは7位。今後は、世界の選手からプレーを分析されて戦うことになる。

「次回以降、ディーデ選手が対策を講じてくれば、リターンエースも簡単には取れなくなるでしょう。ブレイクだけでなく、キープ(自分のサーブでゲームを取る)する展開に持ち込まなくてはいけない。改良したスピードあるサーブと、回転のあるサーブとの使い分けの精度を上げて、それを武器にしていきたい」

先にグランドスラム出場を経験し、来年行われる東京パラリンピックを目指す。

「以前は、ダブルスでのメダル獲得が目標と考えていました。でも、グランドスラムを経験して、シングルスにも自信がついてきました。東京パラリンピックでは、シングルスでも高い目標を持って臨みたいと思っています」

グランドスラム決勝の舞台でつかみかけた、一番大きな盾(優勝プレート)。それを手にする日を目指して、大谷の奮闘は続く。

スポーツライター 宮崎恵理

スポーツライター 宮崎恵理(みやざき・えり)

出版社勤務を経て、フリーのライターに。1998年の長野パラリンピックを機に障害者スポーツの取材に携わり、「Tarzan」「スポーツグラフィックナンバー」など雑誌やインターネットメディアで執筆。12年ロンドンパラリンピック、14年ソチパラリンピックではNHK開会式中継解説を担当した。著書に『心眼で射止めた金メダル』『希望をくれた人』『みんなちがって、それでいい』。日本スポーツプレス協会理事、国際スポーツプレス協会会員。

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