第57回 櫻井杏理(車いすフェンシング)「左手でつかむ栄光へ」

車いすフェンシング 2021年8月5日
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左:2020年12月 イギリス・ロンドンにて 愛犬のブロッサムちゃんと


東京オリンピック・パラリンピック開催直前となる、7月8日から11日、ポーランドで車いすフェンシングのワールドカップが開催された。日本人として唯一出場した女子の櫻井杏理にとっては、2019年11月のワールドカップ以来、1年8か月ぶりの大会である。ヨーロッパの強豪選手が顔を揃えた大会で、櫻井はエペでベスト16、フルーレで8位。久しぶりの実戦の舞台は、東京パラリンピックを見据えた櫻井の挑戦の場でもあった。

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2021年7月 ポーランドで行われた車いすフェンシング ワールドカップより櫻井選手(左)


櫻井は、この大会で利き手である右ではなく、左に剣を持って出場した。
大会に集まったライバルたちも、驚きを隠せなかった。利き手を変更するということは、使用する車いすも改造する必要がある。全てが、ゼロからのスタート。東京パラリンピック本番直前の、櫻井のまさかの利き手交換は、リスクを超越した先の決意表明だった。

「左手のデビュー戦が、東京パラリンピック本番でなくて、本当によかった。今大会での経験を、東京でどう生かせるか。このタイミングで自分の立ち位置を見極められたことこそが、今回の収穫だったと思っています」


■右肘の手術後、左手の訓練を開始

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2020年、コロナ禍でロンドンはロックダウン。 剣を左手で持ち、自宅で練習する櫻井選手


1988年京都生まれの櫻井杏理は、2008年に椎間板ヘルニアの手術の後遺症で車いす生活となった。2014年に車いすフェンシングを始め、2018年からイギリス・ロンドンを拠点にして、トレーニングを続けている。

新型コロナウイルスの世界的な感染拡大によって、イギリスでは厳しいロックダウンが行われ、櫻井も練習環境に大きな制限を受けた。練習拠点であるフェンシングの名門クラブ『レオンポール』は閉鎖され、自宅リビングルームで山本憲一コーチと2人だけで剣を戦わせる日々。今年4月になってようやくロックダウンの一部が緩和、レオンポールでの他選手との実践練習が再開した。

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2018年10月 ジャカルタ・アジアパラ大会 車いすフェンシング 女子 フルーレ カテゴリーB 準決勝(剣は右手で持っている)

世界的なコロナ禍にあって、櫻井が取り組んできたのが利き手の変更だ。2018年10月のアジアパラ競技大会で負った右肘のじん帯損傷によって、常に痛みとの戦いを余儀なくされていた櫻井は、2020年3月上旬に緊急帰国し再生医療の手術を受けた。自身の大腿部から採取した脂肪細胞を、右肘に注入する治療である。

当時は、まだイギリスより日本の感染者数増加がニュースになっていた時期で、イギリスのフェンシング仲間からは「なぜ、このタイミングで日本へ?」と、言われたという。術後イギリスにとんぼ帰りすると、まもなくロンドンのロックダウンが始まった。

「去年4月に、東京大会の出場権がかかったアジア選手権が行われる予定でした。その大会までは、痛くても右手で出場するつもりだったんです。ところが、大会がコロナで延期。それで手術を受けることにしたのです」

イギリスに戻った櫻井は、右手のリハビリと同時に、左手での訓練をスタートさせる。
「その時には、まだ手術を受けた右手でもいけるかもしれない、という気持ちがありました」

手術によって、右手の痛みは改善された。しかし、リハビリもそこそこに無理を
押して使い続ければ、右手はすぐにも悲鳴をあげるだろう。


イメージしてみてほしい。利き手とは逆の手にペンを持って文字を書いたり、箸を持って豆をつまんだりすることを。自分の手指とは思えない強烈な違和感を覚えるはずだ。自分の体なのに、意識しなければうまく動かせることさえできない。動かせても、利き手と同じ質ではない。それを、競技で行わなくてはいけないのだ。

利き手である右手で培ってきたフェンシングの技術を、そのまま左手で再現させることは可能なのだろうか。右手に戻すことはできるのか。それとも、1日でも早く左手での戦い方を身につけた方が良いのか。

1年後に延期された東京パラリンピックを見つめながら、櫻井は、迷いに、迷っていた。

「7月になって、左手に変更する覚悟を決めました。東京パラリンピック本番までの期間を考えると、そこがギリギリのタイミングでした」

写真:剣を左手で持ち練習をする櫻井選手。写真右側には愛犬のブロッサムちゃん

8月になって、櫻井は、イギリスの業者に競技用車いすを持ち込み、左手用に改造を依頼した。

コロナ禍で大会が開催されない中、左手での練習に専念する。ひたすらコーチだけを相手に、右手で練習したようにフェンシングの“型”から一つずつ、体に覚えさせていく。
「エペは、試合中時間を使いながら展開する戦い方で、相手の剣や動きを見ながら剣を使える。フルーレは、より反射的に動かなくてはいけない種目。だからフルーレの方が、左手がオートマティックに動くまでに時間がかかってしまいます」

左手での動きに少しでも慣れるため、箸を持つ手を左にするなど、日常生活での工夫もしているという。櫻井は、薄皮を1枚1枚はぐようにして、左手でのテクニックを身につけていった。


■普段通りの自分を取り戻す

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櫻井選手Twitterより会場の様子(2021年7月)

左手で取り組み始めて、ちょうど1年。ポーランドでのワールドカップのピストに櫻井はいた。

「誰も、私が左手に利き手交換しているとは知らなかった。それは、今回、唯一大きなアドバンテージになるはずでした」

ライバルたちの驚きと戸惑いが、有利に働くかもしれない。だから、左手でのデビュー戦をしっかり勝ち切りたい。しかし、櫻井の思惑とは異なる試合が展開された。

「どうしても、相手の動きを見てから、自分のアクションを起こしてしまう。ワンテンポ、遅れてしまうわけです。相手の動きに反応する戦い方では、ディフェンスが中心になりますが、ディフェンス中心で戦うにしては、まだ詰めが甘すぎる」
後手に回ってしまうことで、取るべきポイントを取り切れなかったと、振り返る。

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左手での試合に挑む櫻井選手(右)

利き手を左に変更したことだけが敗因ではない。
「フェンシングは、戦った試合数分の経験値が、モノをいう。その経験値がない左手で、どれだけのことができるかを見極めるのが、今回の私のミッションではありました。やはり左手での実戦経験がないことに、自信が持てない。その自信のなさが、そのままパフォーマンスに出てしまいました」

フェンシングという競技の理解や戦術で言えば、右手での蓄積はある。左手で戦う自信のなさからミスを冒し、相手にとって“ラッキー”となるような失点を重ねてしまった。

初日に行われたエペでは、ベスト16で敗退。2日目、得意のフルーレが行われた。
「フルーレでも、予選での立ち上がりはエペ同様、反応を見て遅れてしまう展開でした」

コロナ禍、感染リスクを押してポーランドまで遠征して大会に出場したというのに、このまま終わってしまったら、意味がない。何かしら、収穫を手にしたい。

決勝トーナメントが始まるまでの時間、コーチと話し合った。

「フルーレの決勝トーナメントで最初に対戦する相手は、予選リーグでも対戦した相手。予選での試合動画を見直して、どう攻撃すればいいか、自分のどんなミスで失点したのかを確認しました」

短時間での修正。そして決勝トーナメント。世界ランキングでは格下となるウクライナの選手を、前半8−0でリード、途中追い上げられるが、最終15―7で勝利。冷静に相手選手の弱点を見極め、右手であればできたはずのテクニックを頭に描いて、左手に指令を出す。普段通りの自分を取り戻したプレーで、勝利を引き寄せた。

「この1試合の15トゥシュ(得点)で、やっと自分がこの1年間取り組んできたことを発揮できたと感じられた。左手であっても、決して技術的に劣っているわけではないとわかったことは、大きな収穫でした」


■イギリスで最終調整して東京へ

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2021年7月 ポーランドでのワールドカップで山本憲一コーチ(右)と共に

左手でのデビュー戦が、東京パラリンピック本番でなくて、本当によかった。それは、櫻井の偽らざる本音だ。

「今大会、私だけでなく1年半ぶりの大会にギクシャクしている選手が多かったんです。予選から、どのカテゴリー、どの種目でも波乱が起きていました」

1年半という空白の時間は、選手のメンタリティに大きな影響を与えていたのだ。本来の自分を取り戻せていないという葛藤は、櫻井だけが感じたものではなかった。メンタルが、試合の行方を左右することを、改めて痛感したのだという。

「次は、もう東京パラリンピック本番です。自国開催は、他の国で行われる大会とは明らかに違います」

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2018年12月 IWAS車いすフェンシング W杯 京都大会より櫻井選手(右)

2018年、櫻井の出身地である京都でワールドカップが開催された。当時、櫻井は、右肘の痛みをこらえながら出場し、フルーレで3位表彰台という好成績を出している。
「自国開催を、京都のワールドカップで経験できたことは大きいです。応援の声もいつもとは違いましたが、報道陣の数も見たことがないくらいでした。当然、プレッシャーも大きかった。その中で、フルーレで結果を出せた経験が、自国開催の東京パラリンピックに生かされると思います」


ワクチン接種が進んでいるイギリスでは、1日の感染者数が5万人という驚くべき数字にもかかわらず、あらゆる行動制限が7月19日に解除された。無防備に外出すれば、感染リスクはこれまで以上に高くなる。イギリスと比較すれば一桁少ない日本の感染者数や、緊急事態宣言が発出されている状況を考えれば、早めに日本に行って練習するという選択肢もある。それでも、櫻井は、予定通り8月15日に日本に入国する予定だ。

「リスクが高いイギリスですが、ギリギリまで残って練習します。私と同じカテゴリーBで、パラ本番にはランキングであと一歩及ばずに出場できない車いすフェンシングのイギリス人選手をスパーリングパートナーとして、レオンポールで実践練習を続けています。その他、健常の選手たちにも協力してもらいながら、イギリスで最終調整して、そのまま日本へ出発するつもりです」


イギリス・レオンポールでの練習環境を、東京パラリンピック本番直前まで確保したい。2014年に車いすフェンシングに出会い、パラリンピックを目指して突っ走ってきた。イギリスに単身渡ったのも、自分のパフォーマンスをどこまでも追求したいというパッションに突き動かされたからだ。自分が求める練習環境を重視して、東京大会に臨む。

写真:剣を両腕で持ち、背中を向けている櫻井選手

櫻井選手Twitterより(2021年3月)
また、東京オリンピック フェンシング・男子エペ団体が決勝で勝利し金メダルを獲得した7月30日には、「今日抱いた熱い思いを燃やし続け戦いたい」と触れました


櫻井にとっては、初めてのパラリンピックとなる東京大会。
「パラリンピックの舞台で最高のパフォーマンスを発揮したい。納得できる結果を残したい。車いすフェンシングを始めた頃から、そう思って、練習に励んできました」

ポーランドのワールドカップという前哨戦での、苦いけれども貴重な経験を踏まえて、最後の最後まで戦いぬく。予選から確実に1戦1戦を勝ち進めなくては、東京パラリンピックのファイナルにはたどりつかない。

「限られた選手だけが出場できる舞台。勝ち進んだ先にある、自分だけが得られる結果を求めて、徹底的に戦っていきたいと思います」



【関連記事】第39回 櫻井杏理(車いすフェンシング)「レオンポールの果実」(2020/1/6)

スポーツライター 宮崎恵理

スポーツライター 宮崎恵理(みやざき・えり)

出版社勤務を経て、フリーのライターに。1998年の長野パラリンピックを機に障がい者スポーツの取材に携わり、「Tarzan」「スポーツグラフィックナンバー」など雑誌やインターネットメディアで執筆。12年ロンドンパラリンピック、14年ソチパラリンピックではNHK開会式中継解説を担当した。著書に『心眼で射止めた金メダル』『希望をくれた人』『みんなちがって、それでいい』。日本スポーツプレス協会理事、国際スポーツプレス協会会員。

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