東京パラリンピック 自転車 杉浦佳子「“人生”を取り戻した自転車競技」

自転車 2021年9月2日
写真:金メダルをかけて左手を振る杉浦選手

富士スピードウェイで行われた、自転車 女子個人ロードタイムトライアル。杉浦佳子が出場し、金メダルを獲得した。

ロードタイムトライアルは、1人ずつ出走しタイムで順位が決定する。ロードレースのような集団での駆け引きがなく、孤独な戦いであることが、この種目の特徴だ。

写真:自転車競技中の杉浦選手

杉浦が出場したのはC1~C3クラス(運動機能)統合のレース。障がいの程度が重いC1、C2クラスには実測タイムに係数がかけられ、順位に反映される。一方、杉浦はC3クラスで、その係数は100%。つまり実測で勝負する。

コースは全長16km。国際サーキットならではのテクニカルなカーブと高低差があるコースで、ゴール前には長い上り坂が待ち構えている。スタートから、杉浦はフルパワーで加速させた。

写真:少し苦しそうな表情の杉浦選手

「上りが苦手な選手に、このコースは向かない。そう思っていました。とはいえ、スプリントレースになったら、世界トップの速度には敵わない。途中で仕掛けなくてはいけないけれども、それも簡単ではない。だから、スタートから飛ばしていったんです」

速度が落ちるコーナーと下りで、少しだけ足を休ませ息を整える。上りになったらパワーを全開させる。それが杉浦の作戦だ。
「コース上、7、8分もがいいたら休めるという感じでコースが続きます。なので、最大8分は頑張る、というペースで行きました」

8km地点での杉浦のタイムは12分44秒69。2番手の選手とは21秒差のトップ通過だ。そのままの勢いをキープして25分55秒76でフィニッシュ。平均速度は37.024km、1人だけ時速37km台を叩き出して優勝した。

写真:首に金メダルをかけ、左手にブーケとソメイティの人形を持ち、右手にクラッチを持つ杉浦選手

1970年に静岡県に生まれた杉浦は、2016年自転車ロードレース中の落車事故で高次脳機能障がいを負った。右半身に機能障がいがあり、右脚を自由に動かすことができず歩行にはクラッチ(杖)が必要だ。

また、脳に障がいを負ったことで、記憶しにくいという後遺症がある。事故直後は、それこそ10分と記憶が持たず、担当医に毎回「初めまして」と挨拶するほどだったという。薬剤師だった杉浦に友人が薬剤名のクイズを毎日送信し、それに答える手作りのリハビリが記憶の回復に大きく役立った。とはいえ、ロードレースのように長いコースプロフィールを覚えることは、今でも難しいのだという。

「公式トレーニングの時に、ロード専門の佐藤(信哉)コーチの後ろを走って、ポイントごとに必要な注意事項を全部地図に書き込みました。それを昨日の夜もう一度見てイメージトレーニングして、さらにスタート直前にもそれを確認。コーチに指示された通りに走れたことが、結果につながったと思います」

写真

2018年12月「増田明美のキキスギ?」出演時の杉浦選手

生死をさまよう事故にあったにもかかわらず、自転車競技を再開させたのは、事故の記憶が全くないからだ、と笑う。

「自転車が好きだったことを知ったリハビリの担当医からエアロバイクを勧められて始めたら楽しくなって。退院後、もう一度自転車に乗るようになりました」
再開後ペダルをこぐことはできたが、コーナーを曲がることができなかった。まさにゼロからのスタートだった。

事故前、趣味としてトライアスロンを楽しんでいた時の知り合いが、「2度とけがをしない、落車しない、私だけのスペシャルメニューを作ってくれました」。

今も、パーソナルコーチとして杉浦を支えている八幡光哉(やはた・みつや)コーチは、まだコーナーさえ曲がれないとふらふら自転車に乗る状態から、練習メニューを作成し、杉浦をバージョンアップさせていった。レースコースで一緒に試走し、記憶障がいのある杉浦に細かく指示を出すことも続けてきた。本格的にパラサイクリングの競技に取り組むようになってからは、ロードコーチの佐藤氏、トラックコーチの飯島誠氏、そして八幡氏の3人でタッグを組んで、杉浦を支えている。

写真:ロードのカーブを抜ける杉浦選手

「富士スピードウェイのコースは、全日本選手権で一度走ったことがある。日本人選手にとってはアドバンテージになったと思いますが、正直テクニカルなコーナーが続くので、そこをしっかり走り切れるだろうかという不安はありました。それが実現できたのは、3人のコーチのおかげ。まさか、自分がこんな場所で攻めるようなコーナリングをするとは! 

今日も後続車に乗った(権丈泰巳・けんじょうたいし)監督が“見てて怖かった”って(笑)。すごいスピードで体を倒して走っているからヒヤヒヤしたと後から聞きました」

写真:車体を傾けてコーナーを曲がる杉浦選手

難しいコーナーを一つずつ攻めながら「よし、ここはクリア。はい、次もクリア」と、チェックポイントを次々と通過。頭の中に叩き込んだ地図と、一緒に試走してくれた佐藤コーチの自転車に乗るお尻を追いかけるイメージのままに、コースを走り抜けたのだった。


表彰台の真ん中で金メダルを受け取った杉浦は、その重さに大きな瞳をさらに大きくして驚きの表情を見せた。
「だって、本当に重量があるんです!」

両隣のライバルに「重いよね!」と笑顔で話しかける姿に、会場から思わず温かな笑いが起こった。

写真:笑顔で金メダルをを持つ杉浦選手

パラリンピック、日本史上最年長での金メダル。

「50歳という年齢で世界の頂点を目指す。そのための練習方法もアプローチも、過去のエビデンスはありません。1年延期が決まって競技は続けられないと失望した時にも、私の年齢も障がいや体調もわかった上でずっとメニューを組んでくれていたコーチたちが“ここからが伸びしろだよ”と励ましてくれた。選手である私は、コーチを信頼して走ればいい。金メダルは私1人で取ったものじゃない。だから、これだけ重いんだなって」

世界選手権で2度優勝し、チャンピオンだけが身につけることができるアルカンシエル(虹色ラインのジャージ)を手にしたことがある。
「パラリンピックの金メダル候補と言われるようになり、応援してくれる人がとても増えた。そういう人たちの思いに応えたいという気持ちは、世界選手権よりずっと、ずっと大きかった」

初めてのパラリンピックの金メダルは、格別なのだと語る。

障がいを負い、絶望していた時期に始めたエアロバイクから、パラリンピックの金メダルへ。杉浦は、サドルにまたがって無心でペダルをこいでいることで、人生を取り戻してきた。
「金メダルは、一つの大きな分岐点かもしれません」


9月3日には、ロードレースが行われる。もう一つの目標に向けて、杉浦は再び疾走する。


【杉浦選手出場種目】9/3(金)午前9時35分(予定) 女子個人ロードレース C1-3(運動機能)決勝


スポーツライター 宮崎恵理

スポーツライター 宮崎恵理(みやざき・えり)

出版社勤務を経て、フリーのライターに。1998年の長野パラリンピックを機に障がい者スポーツの取材に携わり、「Tarzan」「スポーツグラフィックナンバー」など雑誌やインターネットメディアで執筆。12年ロンドンパラリンピック、14年ソチパラリンピックではNHK開会式中継解説を担当した。著書に『心眼で射止めた金メダル』『希望をくれた人』『みんなちがって、それでいい』。日本スポーツプレス協会理事、国際スポーツプレス協会会員。

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