【リオアーカイブス】何よりも得難い銅メダル~国枝慎吾~(2016/9/16)

車いすテニス 2016年9月16日
写真:2016年のリオパラリンピックで銅メダル。齋田悟司(左)、国枝慎吾(右)

パラリンピックは見たことがなくても、国枝慎吾なら知っているという人は少なくないだろう。国枝慎吾、イコール、車いすテニス。それは日本だけでなく世界の常識だ。

初めて出場した2004年のアテネパラリンピックのダブルスで金メダルを獲得。2008年の北京大会ではシングルスで金メダル、ダブルスで銅メダル。そして4年前のロンドン大会でシングルス2連覇を達成した。2006年にシングルスの世界ランキング1位をマークして以来、ほとんどその座を譲ったことはなかった。国枝慎吾は、まさに、車いすテニスの“絶対王者”である。

その国枝の姿に憧れて車いすテニスを始めたという障害者、あるいは障害のある子どもたちは多い。事実、北京パラリンピック以降、車いすテニスの人口は急激に増えた。国内競争が高まり、強化指定選手に選出されることが狭き門になった。車いすテニスを始めた少年少女は、世界一の国枝慎吾の背中を見て、あんな風にプレーするぞ、と練習に励んでいる。

リオデジャネイロパラリンピック大会9日目、車いすテニスダブルスの3位決定戦が行われた。対戦カードは、国枝慎吾/齋田悟司vs眞田卓/三木拓也。日本のペアがベスト4に残り、銅メダルマッチに臨んだ。国枝/齋田は、アテネパラリンピックの金メダルペア。一方の眞田/三木は、まさに国枝慎吾の姿を追いかけて急成長してきた世代の筆頭。ベテランと若手がリオの舞台で激突したのだった。

結果は、ベテラン組が若手を6−3、6−4のストレートで下し銅メダルを獲得した。
「今大会、シングルスでは非常に悔しい思いをした。このダブルスの銅メダルでやっと少し悔しさが報われたかな、と」
国枝が試合後、そう呟いた。

写真:試合の様子

リオパラリンピックでは、国枝はシングルスの準々決勝で敗退した。ベルギーの27歳、ヨアキム・ジェラールにストレート負けを喫したのだった。今年4月に右ひじの手術を受け、痛みを取り除いたものの、リオパラリンピックの舞台までに試合勘が戻りきらなかったことが敗因だった、と国枝は振り返る。ダブルスでは、今大会非常に勢いのあるイギリスの若手ペアに準決勝で敗れ、3位決定戦に回ったのだった。

ゲームが始まると、若手2人は徹底的に齋田を狙う作戦を敷いてきた。
「国枝さんを狙うのは、リスクが高すぎる。齋田さんのゆっくりしたリズムから、僕らが前に出て打ち込むチャンスをうかがう。それでも、センターコートの広いサーフェスでは、齋田さんのチェアワークやスピンも生きていた。すごくやりにくさを感じながらの展開でした」
対戦した眞田が振り返った。

実際、ゲームは長いラリーが連続した。後方から齋田が大きなロビングを多用して、前に出ようとする眞田/三木の戦術を阻んだ。
「普段、練習しているようなコートでは守備範囲が限られるため、もっと攻撃的になるのですが、リオの広いセンターコートでは守備がしやすい。そのため、後方からのラリーが続いたと思います」(齋田)
「齋田さんがしっかり我慢して守ってくれたので、眞田/三木たちが攻撃を仕掛けてきても展開としてはこちらのペースになりました」(国枝)

眞田/三木は、ベテラン勢が守備優先で対戦してくることは百も承知だった。
「それを崩すには、僕らが攻撃的なテニスをするしかない。それで前へ、前へと仕掛けていったが、結果的には完全に崩すことができず、こちらのミスで負けてしまった。ただ、積極的に前に出て攻めるプレーを貫いた。見ている人に面白いテニスを見せられたのは僕らの方だったのではないかと思っています」(三木)
「最後までロブ合戦をせずに攻めていったのは、今大会の収穫。国枝さんも齋田さんも、チェアワークは世界屈指です。事実、試合中、何本もドロップショットを拾われた。だから半端なボレーよりはグラウンドストロークで打ち込んでいく方が効果的だった。その精度が、もう一つ甘かった。そこを詰めれば、さらに攻撃的な展開に持ち込めるはずです」(眞田)
序盤から三木は、果敢にネット際に出てボレーを放った。眞田は後方から鋭いドライブをかけたショットを何度も打ち込んだ。攻撃パターンの異なる武器でベテラン組に挑んでいったのだった。

はっきり異なるプレースタイルで試合が進み、結果、ミスの少ない国枝/齋田の技術力が三木/眞田をねじ伏せた。
「試合内容としては、エキサイティングな展開だったかというと、疑問は残る。ただ、今日は勝ちたかった。プレースタイルにはこだわらず、“勝つ”ことだけにフォーカスして割り切って勝負しました。パラリンピックという舞台でメダルを獲得するというのは、普段のツアーで勝つこととは全く別の意味を持ちますから」(国枝)
「普段から練習している仲間。彼らに勝つ方法を考えれば、この展開が効果的だった。ただ、4年後も同じ戦い方をしていたら、絶対に勝てないと思う」(齋田)



“クニエダ“の背中を見て育った世代が、クニエダを越えようとして今大会では自ら崩れ去った。
「結果だけが全てではない。自分たちのテニスが、いかにパラリンピックという舞台で発揮できるかということを確認できた。僕自身は、今日は自分の力を120%出せたと思っています。あと、4年。きっと国枝さんを超えられると信じています」(三木)
「海外の若い世代の選手たちは、ツアーなどの会場で見るだけでも、そのトレーニング方法など、数段レベルアップしていると感じます。日本を取り巻く環境もどんどん進化していますが、勢いを増してくる選手が続々と出てくる中、もっと気を引き締めて向かっていかなくては、と思います」(眞田)

追いかけられる存在の国枝も、銅メダルを獲得したことで、気持ちがまた新しい未来へと向かっている。
「この銅メダルが、心の支えになることは事実。格別なメダルです。齋田さんとずっと組んできたペアで獲ったということもある。日本人対決の3位決定戦だったということもある。でも、その中で、こいつらに負けられないぞ、という思いが、何よりメダルを獲れた最大の要因。これを糧に、改めてツアーを回る日常に戻りたい」

写真:

パラリンピックという最高峰の舞台に、日本人の2組がベスト4に残った。それは、日本の車いすテニスがベースアップしてきたことの証左だ。試合が終了すると、4人はがっちりと握手をし、互いの健闘を讃えた。クールな国枝も大ベテランの齋田も、涙を隠すことはなかった。
「この流れを生かして、さらに伸ばして、4年後の東京につなげたいと思います」

日本の車いすテニスのリオデジャネイロパラリンピックが終わった。確かな足跡を残して。

スポーツライター 宮崎恵理

スポーツライター 宮崎恵理(みやざき・えり)

出版社勤務を経て、フリーのライターに。1998年の長野パラリンピックを機に障がい者スポーツの取材に携わり、「Tarzan」「スポーツグラフィックナンバー」など雑誌やインターネットメディアで執筆。12年ロンドンパラリンピック、14年ソチパラリンピックではNHK開会式中継解説を担当した。著書に『心眼で射止めた金メダル』『希望をくれた人』『みんなちがって、それでいい』。日本スポーツプレス協会理事、国際スポーツプレス協会会員。

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