第7回 競泳・小野智華子「水を得たサカナのごとく」

競泳 2017年8月29日
写真:

「そもそもお風呂が大好きで、1時間くらいは平気でお風呂で遊んでいるような子どもでした」
あはは、と小野智華子が笑う。

「だから、プールでもちっとも怖がらずにどんどん潜っちゃう。障害のある子どもが通う施設が自宅近くにあって、リハビリの一環として夏にプールに入るんです。4、5歳の頃だったかなあ。流れるプールをして遊ぶ時に、もう楽しくて潜っちゃうと、姿が見えなくなって両親がすごく心配したらしいです。体に無駄な力が入らないから、水に浮くこともすぐにできました」
当時は、まだ本格的に“泳げた”わけではない。潜ったり、浮かんだり。水の中の浮遊感と感触に夢中になっていた。

小野智華子は、視覚障害のスイマーである。ロンドン、リオデジャネイロとパラリンピック2大会に出場している。874gという未熟児で生まれ、網膜症により視力はゼロ。光を感じることもない。
「見えないから何かができない、ということがイヤで。友達がやることはなんでも一緒にやるような活発な子どもでした。自転車に乗ったり、ローラースケートをしたり」

 

金メダリスト河合純一に挑戦

北海道に生まれ育った小野が水泳に出会ったのは小学1年の時。障害児を対象にした水泳教室が近所で行われたことがきっかけだ。

「教室で出会った指導者の方に、夏以降も指導していただけるというお話があって、そのままプールに通うことになったんです」
そこは北海道内でも有数の50mプールで、しかも自宅から車でわずか10分程度とアクセスがいい。

「最初に教えてもらったのが、背泳ぎ。だからでしょうか、子どもの頃も、今も背泳ぎが得意」
背泳ぎから始まりクロール、バタフライ、平泳ぎ。小学2年の頃には4泳法をマスターしていたという。

小学2年の夏、小野は、別の水泳教室に参加した。パラリンピックのゴールドメダリスト河合純一がコーチを務めるという視覚障害者のための水泳教室だ。
「この教室で、初めて、あ、仲間がいる!ということを感じて。それまで身体障害や発達障害などの子どもたちと一緒の水泳教室はありましたけれど、同じ視覚障害で水泳をやっているといる人はいなかったんです。だから、河合さんのことも大先輩なのに“仲間”だと」

たった1日だけの水泳教室が終わる時間になって、小野は河合にレースを申し込んだ。
「なんでだろう?絶対に自分は勝てるんじゃないかって思い込んでたんですね。自分が得意な背泳ぎで50mに挑戦しました。無我夢中で泳ぎ切ったら、河合さん、もうとっくにゴールしてて、ガーンみたいな(笑)」
純粋に競い合える人との出会い。パラリンピックという世界を知り、そこで頂点を極めた人が隣のレーンで泳いでいる。ただただ水の中にいるのが楽しいというパーソナルな空間から、明確に“競泳”という世界に向かって、小野は扉を開けたのだった。

「この時、河合さんのタッパーを務めて一緒に金メダルを獲得された寺西(真人)先生もいらしていました。独特の低い声が、最初はちょっと怖かった」

写真:記録会の様子、ターン手前
2017年3月に行われたパラ水泳春季記録会より。50mターン手前の小野選手(右)と、寺西真人コーチ(左)

タッパーというのは、視覚障害のスイマーに対してターンやゴールのタイミングを、先端にボールなどがついた長い棒で選手の体を叩く(タッピング)ことで合図するコーチのことだ。視覚障害の水泳には欠かすことができない存在である。寺西氏は、河合を始め木村敬一、秋山里奈など、錚々たる視覚障害メダリストのタッピングを担当してきた。現在も、木村、小野を中心にタッピングコーチを務める。

写真:記録会の様子、ターン後
ターン後、50mのタイムを確認する寺西コーチ(左)

「小学生の小野は、大きな声でまあよく笑う子どもでした。まだまだ選手というには程遠い。ちょっと甘ったれで。純粋に元気な女の子、という印象だったなあ」
教室で出会った小野のことは、寺西氏もよく覚えている。
「ご両親がとても熱心でね、なんとか協力してやりたいと思いましたよ」

1年後にはアテネパラリンピックを目指す選手たちの合宿に初めて参加する。河合だけでなく多くの選手が世界のてっぺんを目指して真剣に泳ぎ込んでいた。
「この時に、明確にパラリンピックを意識するようになりました」と小野が言う。
小学4年の時にアテネパラリンピックが開催され、合宿で一緒に練習した仲間たちが活躍する姿がテレビから伝わってきた。
「同じプールで練習した人がパラリンピックに出てる。自分もきっと出場したいって、心から思いました」

目標を見失った思春期

写真:ロープを感じながら泳ぐ

後半の50m、右に進む

小野にとっては音からの情報が全てという。水の中では、音の情報は限られる。何を拠り所にして推進しているのだろうか。
「まっすぐ最短ルートで泳ぐことは競泳では、とても大事だと思っています。スタートして浮き上がって1度だけコースロープに触れる。それが最初の目安になります」

コースロープを直進の目安にするという視覚障害スイマーは多い。触れるか触れないかというギリギリの距離をキープし、ロープを感じながら泳ぐのだという。
「100mの場合、前半の50mは左、ターンして後半の50mは右というのがいつものパターン。たまに、気づいたら前半で右に寄っていたということもあって、そういう時には無理して左に修正せずにそのまま泳ぎます。でも、いつもと逆だと結構、気持ちが悪いんです」
ターンで折り返した後も、そのまま左に。それが最短ルートだからだ。

スタートやターンの後、水面に浮上するまでの間に隣のコースに侵入してしまうというミスも起こりうる。侵入したコースの選手への妨害がなければ、コーチの指示で本来のコースに戻ってレースを続行できるが、大幅な失速につながってしまう。
「背泳ぎでは、特にターンの時に気をつけるようにしています。とはいえ、あまり気にしすぎず、万一それてしまったら、その時はその時!」

子どもの頃から大好きだった水泳。しかし、1度だけやめたいと思ったことがある。
「中学に進学するとパラリンピックの強化指定選手として合宿に参加するようになりました。北京パラリンピックの選考に入るかもしれないと頑張っていた矢先、北京で背泳ぎの種目がなくなるということがわかったんです」
中学2年。世界の舞台を夢見てきたのに、目標が突然、消えてしまったのだった。
「かなりショックでした。何かもう投げやりな気持ちになってしまって」
プールに向かう気持ちが萎え、足が遠ざかった。

「それでも、練習は少しずつだけど継続していました。中学3年の時にはアジアユースパラ競技大会が東京であって、それには出場したんです」
高校に進学すると、再び水泳への意欲が戻ってきた。
「このまま水泳をやめてしまったら、せっかくそこで出会った人たちとの繋がりが終わってしまう。河合さんとか、寺西先生とか。寺西先生には小学6年の時から水泳指導やタッピングをしてもらってきて、パラリンピックを目指せるところまで来たのに。そう思ったら、もう、すごくもったいないなって思うようになったんです」

高校2年に進級する頃、2012年のロンドンパラリンピックで、視覚障害の背泳ぎが復活することが決定。
「やっと、もう一度、ちゃんと取り組もうと覚悟を決めました」

得意種目が復活して初めて臨んだロンドンパラリンピック。
「緊張しすぎて、ほとんど記憶がないんです。出場した種目の中では唯一背泳ぎが決勝に残ったけれども、予選のタイムより落ちてしまった。それが、すごく悔しかった」

ロンドンパラ以降、2013年に筑波大学附属視覚特別支援学校の高等部専攻科・鍼灸手技療法科に進学。北海道から東京に練習環境も移った。強化合宿だけでなく日常的に寺西氏の指導を受けられる。小野は13年、15年の世界選手権では背泳ぎ100mで4位入賞を果たし、リオデジャネイロパラを目指していた。

写真:インタビューを受ける小野選手

2016年の3月に行われた春季静岡記録会は、標準記録を切ったもの選手だけがリオデジャネイロパラリンピックの出場が決まる“一発勝負の選考会”だった

「実は、2016年3月に鍼灸資格の国家試験があったので、15年の世界選手権の後、ほとんど1年間、ちゃんとした練習ができていませんでした。試験が終わってすぐに猛練習。でも、全然泳ぎ込んでいないから、それはきつかったです」
プールでの泳ぎ込みとともに、それまであまり取り組んでこなかったという筋力トレーニングも開始する。そうして迎えた2度目のパラリンピック。
「初めてのロンドンの時よりも緊張していました。でも、1度経験していたことで、大舞台だからと流されるのではなく、しっかり自分を保とう、という気持ちだけは切らさずにいられたんです」

結果はロンドンと同じ8位。背泳ぎ100mの記録はロンドンの時が1分27秒55、リオでは1分25秒40。小野は2秒も成長したが、世界はさらに進化していたのだった。

 

強化の手応えとともに世界選手権へ

筑波大附属視覚特別支援学校専攻科を卒業した小野は、あいおいニッセイ同和損保に所属。週に2日出勤日はあるが、それ以外の時間はトレーニングや合宿など競技に専念できる環境がある。
「社会人になって、やっと本当に練習し放題になりました(笑)。1週間にプールトレーニングを7コマ、ほぼ毎日ドライランドトレーニングも続けています」

リオ以降、特に注力してきたのはフィジカル強化だ。
「体幹が強くなってきたかな。腕を伸ばしたフォームの時に腹筋がうまく使えないと水中で体がブレてしまいます。それが最近、少なくなったと実感しています」
筋力とともに持久力も向上してきた。
「50mでタッチしたら3秒後にスタートして20分間泳ぎ続けるような練習で、50m、100mのタイムが上がってきた。常に心拍数が200オーバーの状態で、もう、本当にきつい!オールアウトする泳ぎが継続できるようになりました」

こうした練習の成果が、今年3月に行われたパラ水泳の記録会で表れた。100m背泳ぎで1分21秒17をマーク。2010年以来7年ぶりに更新した自己ベストだった。

まもなく小野にとって3度目の世界選手権を迎える。
「できれば、今年中に1分20秒台まで自己ベストをあげておきたい」
小野と同じ女子の視覚障害(S11)の世界記録は1分17秒96。
「金メダルへの道のりは確かに遠い。一足飛びでは難しいですけど、来年に19秒台、19年に18秒台、いや、東京の前年には17秒台を出す力をしっかりつけていきたいです」

今後はさらにフォームの改善に取り組み、世界選手権をステップにしてプラン通りにタイムを向上させていくつもりだ。
「自己ベストを出した時、前半50mのタイムが39秒でした。後半あまりタイムを落とさずに泳げるようになってきた。だから前半のタイムを36秒にあげれば目標にグッと近づきます」

 

子どもの頃から小野の進化を見守り続けている寺西氏は、
「リオ以降、小野の真剣さがひしひしと伝わってきます。泳力、体力、栄養などの日常生活に至るまで、嫌われるのを覚悟で指導していますよ」
と、語る。

「寺西先生のタッピングは“神”!」
と信頼を寄せる寺西氏とともに、世界選手権、そして3年後の東京パラリンピックに向かって、小野は力強く進み続ける。

スポーツライター 宮崎恵理

スポーツライター 宮崎恵理(みやざき・えり)

出版社勤務を経て、フリーのライターに。1998年の長野パラリンピックを機に障がい者スポーツの取材に携わり、「Tarzan」「スポーツグラフィックナンバー」など雑誌やインターネットメディアで執筆。12年ロンドンパラリンピック、14年ソチパラリンピックではNHK開会式中継解説を担当した。著書に『心眼で射止めた金メダル』『希望をくれた人』『みんなちがって、それでいい』。日本スポーツプレス協会理事、国際スポーツプレス協会会員。

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