第12回 成田緑夢(スノーボード)「正解は自分で探す」

2017年12月14日
第12回 成田緑夢(スノーボード)「正解は自分で探す」

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2017年9月2日 ニュージーランドで行われたパラスノーボードW杯より バンクドスラローム

パラスノーボードは、2014年のソチパラリンピックで初めて正式種目として採用された。ピョンチャン大会で日本選手が初出場する。
競技は、男女別に膝上からの下肢障害、膝下障害、上肢障害の3つのクラスに分かれる。ピョンチャン大会では、複数の選手が同時スタートしスピードを競う『スノーボードクロス』、傾斜のあるコースに設置された旗門を滑走する『バンクドスラローム』の2種目が実施される。

成田緑夢(なりた・ぐりむ)、23歳。“夢”の字がついた独特な名前に見覚えがある、という人もいるのではないだろうか。兄の童夢、姉の今井メロはともにスノーボード・ハーフパイプで06年のトリノオリンピックに出場。兄、姉と一緒に父に連れられ1歳の時にはスノーボードを履いていたという。その後、緑夢はスキーのハーフパイプ、さらにはトランポリンで夏冬のオリンピック出場を目指していた。

デビューしたシーズンに優勝

成田が障害を負ったのは、2013年5月。大阪の自宅屋上にあるトランポリンでの練習中に着地に失敗し、左膝が反対側に折れ曲がる事故に見舞われた。骨折、前十字、後十字靱帯の断裂に半月板の損傷。動脈も破裂し内出血で脚はみるみる紫色に膨れ上がった。運び込まれた病院で緊急手術を受け、切断を免れたが、腓骨神経まひによる機能障害が残った。足首に力を入れることができず、膝も大きく曲げられない。転倒などの衝撃で膝が曲がってしまうと、激しい痛みに襲われるという。左足の筋肉が落ち、現在では左右の足の太さは明らかに異なる。

退院して1か月後には、父と一緒にアメリカの雪山でスキーを履いた。
「30分歩いたら30分間アイシングしないと激痛が走る。それでもとりあえずスキーはできたんです。まあ、荒療治でしたけど、今から思えばあの経験があったから、けがしてもスポーツができるって思えるようになったのだと思います」

その後、楽しみとしてウェイクボードに復帰し、一般の大会で優勝した。それをSNSでアップすると、障害のある人たちから反応があった。
「僕の姿を見て、“勇気をもらった”って。スポーツは自分が楽しむだけじゃなく、人に希望を与えられるものなんだということに、この時初めて気づいたんです。それで、改めてパラリンピックを目指そう、と思うようになりました」
最初に取り組んだのは陸上競技。2015年の夏、地元・大阪で開催された体験会でメダリストの山本篤に出会い勧められたのがきっかけだ。走り高跳びに挑戦し1か月後には、当時日本パラ陸上競技連盟が設定していた標準記録の170cmをクリアした。
「目標を持つことの素晴らしさを、篤さんに教えてもらいました」

パラスノーボードを始めたのは、同年冬。
「インターネットを検索していたら、パラスノーボードがあることがわかった。それで倉庫から古いハーフパイプ用のボードを引っ張り出して全日本(スノーボードクロス全国障がい者大会)に出場したんです」
この大会で優勝し、強化指定選手として声がかかる。2016年のシーズンからワールドカップに参戦し、初年度ながらスノーボードクロス、バンクドスラロームで優勝した。
「本当に昨シーズンはただ驚きの連続でした」

雪山での豊富な経験を生かす

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同2月大会 斜面でジャンプする成田緑夢

スノーボードは、基本的につま先側のエッジを使うフロントサイドのターンと、かかと側のエッジを使うバックサイドのターンを交互に行って滑走する。成田は、利き足が右、軸足は左。スノーボードでは左足が前方となるレギュラースタンスである。まひしている左足の足首に力を入れることができないため、かかとに加重するバックサイドの滑走が非常に難しいという。
「昔の感覚で滑ると転んでしまう。ターンの時に右手を大きく前に出し、左手でパンツをつかむようなフォームで、適正なポジションを取るように工夫してきました」
今でも、バックサイドでの滑走は課題。日々、フォームや滑り方に改善を試みている。

それこそ、つかまり立ちの頃から培ってきたスノーボードやスキーの経験が、成田の強みだ。
「自分には雪上での経験という引き出しがいっぱいある。
例えば、おもちゃのブロックで遊んでいるとします。目的に合ったピースがなくてもそこで諦めて放り出すのではなくて、自分の引き出しの中から“これだったら代用できるんじゃないか”というものを取り出して作り続ける感じです。やってみてダメならまた違うものを試して、作り変えてって何度でもトライ&エラーを繰り返すと、必ずちゃんと目的のものを作れるんですよ」
じっくり時間をかけて自分の滑りや状況を熟考し、雪の上でさっと取り出せるように準備するのだという。

パラスノーボードを始めてからは、自分のテクニックだけでなく“地球のエネルギー”を有効活用することを心がけるようになった。
「雪玉を作って斜面を転がしていくと、最短距離で、最速で転がって落ちていくじゃないですか。それが最も自然で効率のいい滑りです。最初もチョコンと小さいエネルギーでそれが最大になっていきます。理想はこの雪玉なんです」
例えが、一つひとつユニークで明快だ。

健常時代に取り組んでいたスキーのハーフパイプは1人だけで演技し、採点によって順位が決まる。スノーボードクロスもバンクドスラロームも、スピードが勝敗を分ける。さらにスノーボードクロスでは、同時スタートする選手との駆け引きも重要だ。
「パラ陸上の影響もありますが、スピードという絶対的な記録で勝負が決まる競技の方が自分は好きだということに改めて気づきました」

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ハートネットTV「新たな地平を切り拓く―義足のスノーボーダー・小栗大地―」より。
スノーボードクロスは二人の選手が同時に試技を行う

スピードは成田の武器でもある。
「スノーボードクロスではスタート直後は直線スピードが出るコースが多い。そこで先行するのが勝ちパターンなんです」
後ろから追いかけてくる選手との距離感や息遣いを感じながらコースを滑走するのは、パラスノーボードで初めて体験した。
「そこがクロスの難しいところ。気を取られて転倒したレースでは対戦相手に逆転された。とにかく最速のラインをキープして先行逃げ切りの展開に持っていく」
1年間世界と戦って得た、現在の解であった。

日本人初のチャンピオンへ

写真:成田選手

日本障害者スキー連盟 2017/2018キックオフ記者会見

障害を負うまでは、熱血コーチである父の元で兄や姉と同様、猛特訓を積んできた。
「あの頃は、父が頭脳、僕ら子どもはロボット。むしろ、自分に脳は不要でした。余計なことを考えずに父の言う通りに練習していれば効率が良かったんです」
しかし、パラスノーボードを始めてから、ガラッと状況は変化した。
「今は、脳も動かす体も全部、自分自身。誰もどれが正解かということを教えてはくれない。自分にとっての正解は自分で探すしかないんです」
そうやって最善を探り続けてきて「少しずつ自分の限界を超えていく感覚がある」という。
父は、今、良き理解者である。
「父の行き過ぎたところも、今はとても理解できる。毎週末実家に帰ると、『おう、どうだ?』みたいな感じで、距離を保ちつつ応援してくれます(笑)」

ピョンチャンパラリンピックのシーズンに入り、すでに成田はワールドカップで1勝をあげている。
「僕はまだニューカマー。いつも表彰台に絡むトップ選手の常連になるが目標です。僕は、僕にできることをただやり続けるだけ」
ピョンチャンでの目標は明確に語らない。応援する者たちは、初めての日本人チャンピオンが誕生する瞬間を、ただ心待ちにするだけだ。

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