第19回 瀬立モニカ(カヌー)水上200mに懸ける青春

カヌー 2018年6月20日
第19回 瀬立モニカ(カヌー)水上200mに懸ける青春

「水上って、一番バリアフリーだと思うんです」
そう、瀬立(せりゅう)モニカは言う。

車いすで町に出れば、いたるところに段差がある、階段もある。一方、水面はどこまでも平らだ。
カヌーに乗り込むと、目線が水面ギリギリの位置になる。陸上ではない、水中でもない。水の上をスイスイと進んでいくのは「アメンボになった気分」だという。
車いすからカヌーに移乗すると、瀬立の心は解き放たれる。しかし、自由な水面のわずか200mの直線に、瀬立は青春を懸けている。

瀬立は、パラカヌーの選手として、2016年のリオデジャネイロパラリンピックに初出場し8位入賞した。
パラカヌーは、リオ大会からパラリンピックの正式種目になった新競技だ。下肢に障害のある選手が、水上に設置された200mのコースでスピードを競い合う。リオ大会では、細長いフォルムのカヤックを使用するスプリントのみが行われた。2020東京パラリンピックでは、艇の片側にアウトリガーのついたヴァーという種目が追加される。カヤック、ヴァーともに障害の程度・状態に応じて男女それぞれ3クラスに分けられ(※)、瀬立は「L1」という一番障害の重いクラスの選手だ。

リオから2年。今年5月にハンガリーで開催されワールドカップに出場し、瀬立はカヤック女子L1クラスで、リオと同じ8位になった。
「リオの時は、トップとの差が12秒。絶望的なぼろ負けでした」
しかし、2017年の世界選手権では7秒差に縮めた。
「今大会ではトップと3秒差。3〜8位までの選手は1.5秒の間にひしめいてました。1.5秒って、カヌー1艇身分(5m20cm以内)なんです」
この距離なら、あと2年間できっと追い抜くことができる。リオパラリンピックの8位と、今大会での8位。同じ順位でも状況は全然違う。自身の成長を実感できた大会だった。

※2020東京パラリンピックで行われるヴァーは男子2クラス、女子1クラスとなる

カヌーからパラカヌーへ

1997年、瀬立モニカは東京都江東区に生まれた。小学生の時から水泳を筆頭に、テニスや陸上、サッカーなど、スポーツはなんでも大好きだった。
江東区は隅田川と荒川に挟まれ、小さい川がいく筋もある。まるで、運河がめぐるアムステルダムのような街並みだ。瀬立が中学生の時に、子どもたちがカヌーに取り組めるよう、江東区に合同のカヌー部が設立された。瀬立は、学校の教師に勧められてカヌーを始め、2013年に東京都で開催される国民体育大会(国体)出場を目指していた。
高校1年。体育の授業中、倒立前転をしようとして頭部を強打し、体幹機能障害を負う。以後、車いすの生活となった。 

コーチや技師装具士と一緒に準備をする瀬立

コーチや技師装具士と一緒に準備をする瀬立 

「リハビリとして車いすバスケなどもやったんですよ。でも、ほかの人たちの車いすのスピードについていけない。わあ、これは絶対に無理って思いました」
車いすの瀬立がカヌーを再開させた。カヌーは、運搬や移乗など、人の手を借りなくてはならないことが多いスポーツである。だが、江東区在住であることが、瀬立の背中をポンと押した。2020東京オリンピック・パラリンピック開催が決定し、地元から選手を輩出しよう、応援しようという機運が高まり、多くの支援者が集まった。
「一人ぼっちじゃなかった。カヌーをする私のためにたくさんの人が動いてくれる。カヌーだから、続けることができたんです」

パラカヌーとして再開すると、まずは小学校のプールでのトレーニングから始まる。
「死なないようにするための、トレーニングですよ」
転覆した時に、救助が来るまで一人でカヌーから抜け出す訓練だという。何十回、何百回も、ただひたすらプールでカヌーがひっくり返されて、そこから抜け出す練習を繰り返す。
「小さい時から水泳をやっていたから、水は全然怖くない。だんだん面白くなって自分からひっくり返ってました(笑)」

一般的にはプールトレーニングに1週間を費やすといわれる。が、瀬立は3日間のプールトレーニングの後、いよいよ川へ。
「細長いカヌーって、足を踏ん張ったりして下半身に無駄な力が入ると、すぐにバランスを崩して沈(チン:転覆)しちゃうんです」
カヌーに乗り込み、パドルを使って進み始めるとバランスが取れる。ちょうど自転車に乗るときのようなイメージだ。
「車いすになってからカヌーに乗ったら、まひしている下半身に無駄な力がかからない。適正なポジションに乗り込めば、すごくいい重心でバランスが取れる」
中学時代の自分より上手に進むと感じられた。

「カヌーって、これか! やるじゃん、私」
パラカヌーを始めて、瀬立は、これまで以上に夢中になった。

メダル獲得が現実的な目標に

筑波大学体育専門学群1年の秋。瀬立は、初めてのパラリンピックとなるリオデジャネイロ大会に出場した。
「でも、ダントツのビリ。表彰式を見ても、どこかテレビの中の出来事のような、人ごとみたいだと感じていました」

アスリートとしてのスイッチが入ったのは、帰国してからのこと。
「リオまでの過程も、自分としては一生懸命やってきたつもりでした。でも、今から振り返れば、全然!大学でオリンピックを目指している友だちの姿を見て、自分の甘さをきちんと認識することができたんです」

瀬立モニカ選手

リオの経験によって、自分のトレーニングを全て見直した。冬季は、水上ではなく陸上練習がメインとなる。早朝6時から大学の授業が始まる8時30分までの朝練が、瀬立のトレーニングのベースだ。筋力トレーニングと、エルゴメーターという陸上でカヌーの動きができる器具を使ったトレーニングで汗を流す。
「エルゴメーターに乗り込むのも、私は自分一人ではできないのでコーチに来てもらわなくてはいけない。“そうじゃないと練習できない”って、自分で限界を作っていたんですよ。コーチだけに頼るのではなく、キャンパス内でサポートしてくれる人を、自分から募って増やしました」

また、車いすだと、立って体重や体脂肪率など自分の体のデータが計測することができない。横になったままでも計測できる体組計を大学で導入してもらうなど、トレーニング施設についても自分の状態を大学側に伝えて改善を図ってきた。
「トレーニング環境を改善できたことはパフォーマンスの向上に直結しています。が、大学のアスリート仲間から受けた刺激・影響もとても大きいんです。意識が明らかに変わったし、何より大学で一緒に学ぶことが楽しみ、なんです」

去年12月ごろから手首が痛むようになり、今年4月以降の合宿では水上での漕艇練習ができなかったが、一人リハビリのトレーニングに専念し、軽い負荷をかけてひたすらインナーマッスルを鍛えた。体の深層部にある小さな筋肉を強化することで、パドルを使う時のバランスや関節の動きが向上し、大会2週間前にやっと水上練習を再開させた。じっくり練習に取り組み、今年5月、ハンガリーでのワールドカップに臨んだ。

瀬立は、カヤック200mで、トップとのタイム差を3秒まで追い上げた。同時に、これまで出すことができなかった、200m60秒の壁を打ち破る59秒の自己ベストをマークした。
「今回、初めてインナーマッスルトレーニングに取り組んだ成果を感じられました。大会直前にカヌーに乗った時に、これまでと体の使い方が違うことを実感したんです」

まさに“ケガの功名”だ。とはいえ、トップを超えていくためには、3秒、いや4秒、ここからタイムを上げなくてはいけない。
「今大会、スタートから前半100mまではトップでしたが、後半に失速してしまいました。手首のケガもあり、持久系のトレーニングが十分じゃなかった」
スタートダッシュは、手応えアリ。後半ゴールまでその勢いをキープさせる、あるいはさらに加速させる力を身につけることが、喫緊(きっきん)の課題だ。
「ここから、どれだけ自分自身を追い込んでいけるか、ですね」

2020東京オリンピック・パラリンピックのカヌー会場は江東区。瀬立が出場すれば、まさに生まれ育った地元で、たくさんの応援を受けてレースに臨むことになる。
「やっと、世界と戦うステージに立てた。リオでは夢物語だったメダル獲得が、現実的な目標に変わりました」

東京パラリンピックで金メダルを獲得する。今なら、明確にそう言い切れるという。
「2018年はベースを作る、最後のチャンス。試したいことは全て今年中にチャレンジします。2019年の世界選手権で東京パラリンピック出場権をしっかり掴んで、その後1年間、集中して東京を目指します」
これが、瀬立の思い描く、勝利への道筋だ。
 

スポーツライター 宮崎恵理

スポーツライター 宮崎恵理(みやざき・えり)

出版社勤務を経て、フリーのライターに。1998年の長野パラリンピックを機に障害者スポーツの取材に携わり、雑誌「Tarzan」ほか「スポーツグラフィックナンバー」などで執筆。現在、「Tarzan」「それを最大限に活かせ! パラアスリートGO!」の連載を展開中。12年ロンドン・パラリンピック、14年ソチ・パラリンピックではNHK開会式中継解説を担当。著書に『心眼で射止めた金メダル』『希望をくれた人』。日本スポーツプレス協会理事、国際スポーツプレス協会会員。

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