第23回 羽賀理之(車いすラグビー)「流れを変えるミドルポインター」

車いすラグビー 2018年7月31日
第23回 羽賀理之(車いすラグビー)「流れを変えるミドルポインター」

「車いすラグビーは、ターンオーバーのスポーツなんです」
羽賀理之は、静かにそう力説する。

四肢まひなど、上肢・下肢ともに障害のある重い障害者のために考案された車いすラグビー。1チーム4人がコートに入り、1ピリオド8分を4ピリオド戦う。車いす同士のタックルが認められており、激突する迫力が車いすラグビーの魅力になっている。

車いすラグビーでは、ボールを保持したまま敵のコートエンドラインを越えればトライ、1得点となる。トライ後ボールの権利は失点したチームに移り、無事にボールを運んでトライを決めれば、今度は相手チームが1得点する。仮に、守備がまったく機能しなければ、順番にトライして1得点ずつあげていくことになる。1−0、1−12−1、2−2……。極端にいえば、先攻したチームが有利なのである。

この流れを変えるのが、「ターンオーバー」だ。

相手チームのわずかなミスを捉えてボールを奪う。いや、ミスを誘って相手チームのボールを奪い返し、味方の攻撃に転じれば、相手チームを突き放すことができる。逆もまた真なり。ミスをすれば相手にボールが渡ってしまう。
パスや、ボール運びの際のチェアワークの精度をどれだけ高めて攻防を制するか。
そこにこそ、車いすラグビーの戦術とテクニックの醍醐味がある。

羽賀理之は、1984年に千葉で生まれた。2003年、専門学校在学中にバイク事故で頸髄を損傷。肩周りを動かすことはできるが、体幹機能はなく痛みや温度を感じることはできない。車いすラグビーには、0.5点から3.5点まで害の状態や程度に応じて、選手には持ち点(クラス分け)があり、羽賀の持ち点は2.0。ミドルポインターと呼ばれている。

写真:2016年9月 リオパラリンピック 車いすラグビー 予選リーグより

2016年9月 リオパラリンピック 車いすラグビー 予選リーグより

日本が初めて銅メダルを獲得した2016年のリオデジャネイロ大会が、羽賀のパラリンピック初出場である。しかし、実際には、プレータイムはほとんどなかった。2人の3.0選手を軸に、2人の1.0選手、もしくは1.5と0.5の選手を組み合わせる「ハイローライン」と呼ばれる4人が、リオの中心メンバーだったからだ。
リオ以降、2.0の羽賀の出番は急増した。アメリカ人のケビン・オアー氏が代表監督に招へいされ、日本チームのラインナップの幅が広がったことが大きいが、国内競争の激しいミドルポインターの中で、羽賀の躍進が目立っている。

■無茶していい車いすラグビーに衝撃

羽賀が車いすラグビーに出会ったのは、埼玉県にある国立の職業リハビリセンターに入所して、パソコン操作などの職業訓練に取り組んでいたときのことだ。
ある秋の日。センター内の体育館に車いすラグビーの練習を見に行かないかと誘われて、羽賀は体育館に向かった。体育館に近づくと、扉の向こうから「ガツーン、ガシャーン」という激しい衝突音が聞こえてくる。
扉をあけて中に入った途端、衝撃のシーンが目に飛び込んできた。
「車いすでぶつかってる。車いすがひっくり返ってる!」
ボコボコになったフレームの車いすを使った選手たちが、ものすごい形相で走り回っている姿に、羽賀は見とれていた。

「入院していた頃、車いすで転倒したことがあるんです。その時に付き添ってくれていた同い年の理学療法士の人が真っ青になって起こしてくれた。後から聞いたら、患者が車いすで転倒すると始末書を書かされるくらい大変なことらしいんです。だから、車いすでの転倒はご法度なんだと思っていました」
ところが、体育館にいる選手たちは平然と車いす同士でぶつかって大転倒している。スタッフに起こしてもらうと、再び突っ込んで、転倒。羽賀は、あっけにとられていた。
「車いすで無茶していいんだ」

ラグ車(競技用車いす)に乗せてもらった。ホイールを漕ぎ出す時には重さを感じたが、走り出せば日常用の車いすでは味わえないスピード感がある。
「気づけば、腕がパンパンになるくらい走っていました」
以来、羽賀は車いすラグビーの練習に通うようになった。

■ニュージーランド留学でますます本気に

羽賀の持ち味は、持久力。もともと長距離走が好きで、学校内で行われるマラソン大会などで活躍していたという。車いすラグビーを始めたばかりの頃、初速では追いつけないけれど最後まで走りきる持久力に磨きをかけたいと、ひたすら車いすでの走り込みを行ってきた。
「一番持久力を高めてくれる練習が“エア漕ぎ”」
ラグ車に乗ったまま、その場でホイールを回す動作を続ける練習だ。10秒息を止めて漕ぎ続け5秒で呼吸、すぐにまた10秒続け5秒呼吸というインターバルトレーニングを10セット。1分間のレスト(休息)の後、また最初から始める。
「一見、地味ですよ。でも、ものすごくきつい」
合宿やチーム練習が終わった後など疲労が溜まった状態で約15分。他の選手が音をあげても、羽賀はこの練習に励む。

きついトレーニングに積極的に取り組むようになったのは、ニュージーランドに車いすラグビー留学した経験が大きい。2009年、当時の日本ウィルチェアーラグビー連盟会長に勧められ、8か月間<カンタベリー>というチームでプレーした。
「留学中、自分と同じ持ち点2.0のジャーミー・ティンカー選手の練習方法や姿勢に、すごく刺激を受けました」
例えば、エア漕ぎのトレーニングを実際の試合時間と同じように8分→2分(休み)→8分→5分(休み)→8分→2分(休み)→8分というふうに続ける。あるいは負荷をかけて2時間ぶっ通し行う。
「ただやるだけじゃない。“どうやるか”。誰もやらないようなメニューを自分で考え組み立てる。彼の取り組みに触発されて、ますます車いすラグビーに対して本気になりました」

■嫌がられるプレーヤーを目指して

写真:2017年5月 ジャパンパラウィルチェアーラグビー競技大会より

2017年5月 ジャパンパラウィルチェアーラグビー競技大会より

もう一つの長所は、2.0としてのボールハンドリング。
「3.0などハイポインターのようなわけにはいかないが、比較的高さのあるボールを受けたり、投げられる。さらに、少しでもそれが効果的になるように、ラグ車の高さもギリギリまで自分で調整して上げています」
フィジカルやスキルが向上すれば、日々ベストポジションは変化する。もともと車の専門学校で勉強していたこともあり、始めたばかりの頃からラグ車の調整を自分で手がけるようになった。ホイールの軸の少し上。座面のポジションを1mm単位で調整し、より効果的にプレーできるように進化させているという。
より高い位置に手を伸ばして相手チームのパスをカットし、素早く味方にパスを出す。ターンオーバーのチャンスを、羽賀は虎視眈々と狙っているのだ。

「ディフェンスで1回、ターンオーバーした時のインパクトって大きいんです。ある意味、ゴールする瞬間より確実に盛り上がりますね」

ターンオーバーが醍醐味の車いすラグビーで、どれだけ実践できるか。誰よりも走り回って、チャンスをモノにする。それこそが、羽賀の最大の強みなのである。

「目立つことは大事です。プレーで目立つと海外の強豪選手から一目置かれる。嫌だな、あいつ、と思われる選手を目指しているんです」

羽賀にとって、とても印象に残る大会がある。それは、2017年3月カナダで行われたバンクーバー・インビテーショナルだ。北米のクラブチームと、若手中心で構成された日本チーム全8チームが参戦。この大会で羽賀は初めてキャプテンを任され、リオ以降の国際大会で羽賀の出場時間が劇的に増えたのだ。日本は、4チームずつの予選リーグ3戦全勝で決勝トーナメントに進出した。
「予選リーグでも、決勝戦でも対戦したチーム<オンタリオ>は、現役を含むカナダ代表選手が数多く在籍するチーム。そのオンタリオを相手に、試合中走り負けることがなかったし、何よりディフェンスがすごく機能したんです」
予選リーグでは57−48、決勝戦では52−45で日本はオンタリオを下して優勝。得意のターンオーバーと固いディフェンスで、羽賀は日本の勝利に貢献したのだった。

「自分としても最高のパフォーマンスが出せた。若手が多かったけれど、彼らのフォロー、サポートを考えながら自分の実力が出せたことで、大きな自信になりました」

2020東京パラリンピックでは、リオで逃した金メダルを獲りにいく。
「絶対に日本の3.0選手にマークが集中します。そこで自分が効果的なターンオーバーを仕掛けることができれば、相手のディフェンスはどんどん崩れるはずです」
味方チームの士気が上がり、相手チームにはダメージを与える。インパクトの大きいターンオーバーを武器に、羽賀が暴れまわる姿が、今から楽しみである。

スポーツライター 宮崎恵理

スポーツライター 宮崎恵理(みやざき・えり)

出版社勤務を経て、フリーのライターに。1998年の長野パラリンピックを機に障害者スポーツの取材に携わり、雑誌「Tarzan」ほか「スポーツグラフィックナンバー」などで執筆。現在、「Tarzan」「それを最大限に活かせ! パラアスリートGO!」の連載を展開中。12年ロンドン・パラリンピック、14年ソチ・パラリンピックではNHK開会式中継解説を担当。著書に『心眼で射止めた金メダル』『希望をくれた人』。日本スポーツプレス協会理事、国際スポーツプレス協会会員。

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