第28回 辻内彩野(競泳)「水を得た、マーメイド」

競泳 2019年3月29日
第28回 辻内彩野(競泳)「水を得た、マーメイド」

今年は、来年開催される東京パラリンピックに向けて出場枠がかかった大事な国際大会がいくつもある。競泳も、その一つ。夏に開催が予定されている世界選手権(開催地、開催時期は未発表)では、メダルを獲得した選手1人に対して、その国の出場枠が1つ確保される。世界各国の強豪選手は、今年間違いなく世界選手権に照準を合わせてくるはずだ。

3月2日、3日。静岡県富士水泳場にて、パラ競泳の春季記録会が開催された。世界選手権の代表選考を兼ねた大会である。近年の国際大会で8位以内に入るタイムで設定された標準記録は、種目やクラスによっては、日本記録を上回るようなタイムで泳がなくては突破できないものもあった。つまり、それだけ世界のレベルは高いということを意味する。

今大会、この標準記録を突破して世界選手権出場の権利を得たのは、身体障害8名、知的障害6名の合計14名。リオパラリンピックほか過去のパラリンピックでメダルを獲得した経験豊富な選手が中心だ。そんな中、視覚障害の辻内彩野は、2日に行われた50m自由形(S13)で、27秒92で日本新を更新し、初めての世界選手権代表選手の切符をつかんだ。自身が高校3年の時に出していた28秒10を0.2秒上回る自己ベストでもある。もともとは100m自由形を得意とする。しかし、1年後の東京パラリンピックで実施されるS13の種目は50mと400m自由形。どちらにも取り組んでいるが、記録を出しやすいのは50mである。

パラ競泳を始めて、2年。

「やらされる練習ではなく、自分にとって必要なことを、自分で考えて取り組んできた結果です」

どんな取り組みなのか。そして、それがどのように世界選手権、そして東京パラリンピックへとつながっていくのか。道の真っ只中をひた走る辻内に、話を聞いた。

※辻の字のしんにょうは点が一つ

■中学から競泳の選手に

写真:2018年10月 アジアパラ 競泳 女子 400m 自由形 S13 決勝

1996年に東京都で生まれ辻内彩野は、小学3年生で現在も通うスイミングクラブ<OSSO南砂>で水泳を始めた。父・母とも水泳の選手として活躍した経歴があり、父は、現在も同じスイミングクラブで一般のクラスを受け持つコーチである。3歳年下の妹も、競泳を続けている。文字通り、スイミング一家だ。辻内は、中学に進学すると選手コースで本格的に競泳を始め、高校2年、3年時にリレーの選手としてインターハイにも出場した。

「オリンピックは無理でも、日本選手権やジャパンオープンに出場できるような選手になりたいと思っていました」

高校に進学する頃から黒板の字などが読みづらくなり、メガネをかけるようになった。しばらくすると、作ったメガネが合わなくなってしまう。高校在学中はそんなことを繰り返していたが、大学進学後、眼科医から「黄斑ジストロフィー」と告げられた。網膜にある視力に関わる黄斑に障害があり、徐々に視力が低下する病気だ。自覚はないが、中心視野が欠けておりドーナツ状にものを見ている状態だという。

高校3年まで一般の競泳に取り組んでいたが、腕の靭帯を損傷するけがなどが相次ぎ、卒業を機にプールから遠ざかった。とはいえ、進学した大学では過去に選手をしていたという仲間と水泳サークルで“趣味として”泳いでいた。

「当時、高校生の妹が選手としてレースに出る時にビデオ録画を手伝ったりしていたんです。自分から競泳を離れたはずなのに、妹のレースを見ていたら、やっぱりやりたい! って思うようになったんですね」

 

■2年間のブランク後、パラ競泳へ

辻内が通っていた千葉県にある昭和学院高等学校水泳部の同級生に、現在パラ競泳で活躍する森下友紀(上肢障害)がいる。森下は、高校水泳部の仲間であると同時に、パラ競泳の先輩でもある。仲良し3人組の1人という親友だ。3人はともにお互いのレースを応援しあっていた。
「水泳部では中学から進学した選手が多い中、私は高校からの進学組。高校生活に慣れない時期、2人の応援の声がどれほど力強かったか」
と、今も振り返る。
視力が低下し、障害者手帳を取得した時期に「水泳に戻りたい」と森下に話すと、「パラ競泳においでよ!」と誘ってくれた。

「小学校では特別支援学級が併設されていて、友達の中にダウン症の子がいるなど障害者に接する機会がありました。だから、障害者の水泳と聞いても、なんの抵抗もなかった。同級生の森下もそこで活躍していたし、ちょうど大学2年の時にリオパラリンピックが開催されて、木村敬一さんとか、山田拓朗さんがメダルをとった泳ぎをテレビでも見ていました。パラ競泳を始めることは、自分にとって自然な流れでした」

2年間のブランクを経て、2017年にパラ競泳へ。デビュー直後から日本女子視覚障害のトップ選手へとおどり出る。2018年には、パンパシフィック選手権やアジアパラ競技大会にも出場した。まさに、“水を得た魚”である。

「改めてパラ競泳に取り組んで、やっと高校時代に近いところまで戻してこられた。でも、そこを超えることは、去年はまだできていませんでした」

 

■早朝の自主練習で苦手を克服

2019年、3月の大事な記録会に向けて、辻内は年明けから自分のネジをもう一段階巻き直した。

いつものスイミングクラブとは違うプールに、一人、早朝に通った。50mプールで、レースで使用するスタート台が設置されている。辻内はプールから上がるときに使うはしごの手すり部分にスマートフォン用の三脚を巻きつけ、録画スイッチをオンにするとスタート台から飛び込んだ。浮き上がって数m泳ぐと戻って、今撮影したばかりの飛び込みのフォームを、画面を拡大させて確認する。

写真:スマートフォンに目を近づけて確認をする辻内

撮影:三上大進リポーター

「スタートは、高校の頃からの私の課題でした。両親からも“スタート、もう少し良くなるといいね”とよく言われます」

自分のフォームと理想のフォームを頭に叩き込み、もう一度録画ボタンをオンにしてスタート台に向かう。人気の少ないプールで、ひたすら飛び込みだけを繰り返した。

「主に確認していたのは、入水角度です。以前から直角に近い形で深く飛び込んでいました。この自主トレで、やっと斜めに入水できるようになった。入水角度がいいと、その後浮き上がりからのひとかき目が、すごくスムーズに感じられるようになりました」

写真:2018年10月 アジアパラ大会 スタート前の辻内

3月2日、50m自由形のレース当日。自分の名前がコールされると、辻内はプールに向かって深々とお辞儀をした。軽く体を動かしながらスタート台に立つと、今度は直立の姿勢で大きく「はあっ」と深呼吸する。

「このルーティーンは、中学・高校の頃からずっと続けています。これをやることで、心を落ち着けてレースに集中できるんです」

選手として、勝負に立ち向かう姿勢や自分だけの儀式を持っていることで、本来の力を発揮できる。それが自分の強みであると、パラ競泳を始めて改めて感じているという。

スタートの号砲が鳴り響き、水に飛び込んだ。

「リアクションタイムは大きく変わっていませんが、入水の感触は完璧でした。アジアパラの頃よりずっと上達した手応えがあります」

前半12、3mくらいまで、泳ぎながらキックが弱いと感じていた辻内は、意識して大きなキックを心がけた。

「このままのキックでは、また28秒台になってしまう。キックを上げれば、体全体が浮き上がってくるので、水の抵抗が少なくなります。歩くときに手を振るじゃないですか。走れば速くなる。それと同じで、キックを大きく早く動かせば腕の回転もそれに合わせて早くなる。上半身だけ動かそうとするのではなく全身を連動させて、泳ぎを大きく早くしていくんですよ」

前半で感じた反省点を後半の泳ぎで修正した。そうしてゴールすると、27秒92というタイムがコールされた。初めての27秒台だ。

「すべてがうまくはまった結果でした」

 

■世界選手権から東京パラリンピックへ

もちろん、これで終わりではない。この先には来年の東京パラリンピック出場枠の権利がかかった世界選手権がある。

「本当は、ウェイトトレーニングとか、大っ嫌いなんですよ。これまでも自重での腹筋や背筋はしていたけれど、きちんと筋力トレーニングに取り組んでこなかった。でも、そんなことを言っている場合じゃないですよね(笑)」

1日も早く、ウェイトトレーニングに取り組みたい。その成果が表れるのは少なくとも3か月以上先のことだ。世界選手権でどのくらい自分が取り組んできたことが発揮されるのか。それを大会で確認するのは、むしろ楽しみだ、と語る。

写真:2018年8月 パンパシパラ 競泳 表彰式より

2018年8月 パンパシパラ 競泳 表彰式より

「海外のレースでは同じS13の選手がたくさんいる。レースで競い合うだけでなく、出会った選手たちと招集所でおしゃべりするのも楽しいんです。彼女たちが、国際大会だからって緊張なんかしなくていい、と教えてくれた。そういう選手と戦えることも、世界選手権の楽しみです」

世界選手権、そして東京パラリンピックでのレースに向けて。

「決勝で自分の最高のパフォーマンスを発揮すること。欲を言えば、東京の舞台でメダルを獲得したい。出場するすべての種目でしっかり力を出すことが目標です」

やらされる練習ではなく、自主的に。朝練で一人黙々と課題に取り組むことも、嫌いな筋力トレーニングを続けることも全ては自分の成長のため。自分で考えて行動することに、意味がある。
辻内の東京までの道のりは、ここから加速していく。

スポーツライター 宮崎恵理

スポーツライター 宮崎恵理(みやざき・えり)

出版社勤務を経て、フリーのライターに。1998年の長野パラリンピックを機に障害者スポーツの取材に携わり、雑誌「Tarzan」ほか「スポーツグラフィックナンバー」などで執筆。現在、「Tarzan」「それを最大限に活かせ! パラアスリートGO!」の連載を展開中。12年ロンドン・パラリンピック、14年ソチ・パラリンピックではNHK開会式中継解説を担当。著書に『心眼で射止めた金メダル』『希望をくれた人』。日本スポーツプレス協会理事、国際スポーツプレス協会会員。

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