第32回 太田渉子(テコンドー)「180度の転身」

テコンドー 2019年6月12日
写真:2019 パラテコンドー 全日本選手権 女子 決勝より太田渉子

太田渉子は、ノルディックスキーの選手として、2006年のトリノパラリンピックから、バンクーバー、ソチまで3大会に出場。トリノではバイアスロン長距離で銅メダル、バンクーバーではクロスカントリースキー・スプリントで銀メダルを獲得した。

その太田が、パラテコンドーの強化指定選手として2020東京パラリンピック出場を目指している。競技として取り組み始めてわずか1年余り。2019年2月にトルコで開催された世界選手権では3位という好成績を残した。

テコンドーは韓国発祥の、足技を中心とする格闘技だ。パラリンピックのテコンドーは上肢障害の選手が出場する競技で、2020東京パラリンピックに正式競技としてデビューする。オリンピックのテコンドーとの違いは、パンチは得点にならず胴への蹴り技のみで競われ、頭部への攻撃も反則になること。何と言っても、回転技で繰り出される蹴りのスピードや迫力は、パラテコンドー最大の見どころだ。

太田の、トリノパラリンピックで銅メダルを獲得した走りを目撃し、バンクーバー大会で銀メダルを首から下げて大喜びする笑顔もまぶたに焼き付いている。スキー選手だった太田が格闘技に転向!?その真意とはいかに?聞いてみたいことが山のようにある。それを一つずつぶつけてみた。

■達成感を得て引退へ

写真:2010年 バンクーバーパラリンピック クロスカントリー 女子1kmスプリント立位(title)

2010年 バンクーバーパラリンピック クロスカントリー 女子1kmスプリント立位

1989年、山形県で生まれた太田には、生まれたときから左手の指がない。幼い頃から右手だけでストックを持ち、近所の子どもたちと一緒にクロスカントリースキーを楽しんでいた。
太田が中学1年の時、パラノルディックスキー日本代表監督の荒井秀樹に見出され、パラスポーツとしてのクロスカントリースキーに取り組み始めた。

太田は、クロカン選手時代は実業団チーム(日立ソリューションズ、当時=日立システムアンドサービス)にジュニア選手として所属。チームの支援を得て、高校を休学しフィンランドにスキー留学を果たしている。バンクーバー大会での銀メダルはその成果でもあった。

2014年、3度目となるソチ大会で引退を決めたのは、達成感があったからだ。

「ソチ大会では旗手として初めて開会式にも参加できました。自分なりにやり尽くしたという気持ちでいっぱい。後悔はありませんでした」

帰国後は、所属する企業で社員として勤務しながら、チームの後援会事務局などの業務にも携わるようになる。2018年3月に行われたピョンチャンパラリンピックの時には、チームを応援する側として初めてパラリンピックを見た。

「パブリックビューイングの司会などを務めて、社員がこれほど熱を込めて応援してくれていたのだということを、改めて感じることができました」

■アフター5の趣味としてスタート

写真:2017年 東京都主催のイベントで、岡本依子(右)と、東京パラリンピック出場を目指すテコンドー男子選手の伊藤力(中央)と

2017年 東京都主催のイベントで、岡本依子(右)と、東京パラリンピック出場を目指すテコンドー男子選手の伊藤力(中央)と

パラテコンドーに出会ったのは、2015年のこと。東京都が主催する選手発掘のイベントに、パラリンピアンとして参加していた時だった。柔道選手から「東京パラリンピックで正式競技になるテコンドーというスポーツがある」と教えてもらったことがきっかけだ。

「現役を引退してからは、スポーツダンスなどの習い事をいくつか楽しむ生活を送っていたんですが、もう少しハードに体を動かしたいな、と思っていたので、興味を持ちました」

全日本テコンドー協会のジュニアチーム合宿に見学に出かける。そこで、シドニー五輪で銅メダルを獲得した岡本依子さんに出会い、実際に体験し、道場を紹介してもらうなどトントン拍子にテコンドーへの道が拓けた。

「ジュニア合宿で、テコンドー選手たちの足技を見たら、すごく美しいな、きれいだなって感じたんですね。練習用のミットを実際に蹴らせてもらった時に、ああ、これは楽しい! いいストレス発散になると感じて、道場に通うようになりました」

つまり、当初はあくまでも終業後の習い事の一つのつもりだったのだ。せいぜい、月に1度、道場に通って体を動かすというスタンスだったという。

「むしろ、それがよかったのかもしれません。テコンドーの師範や先輩たちが丁寧に教えてくれて、テコンドーは楽しいということをずっと感じてこられたんです」

■危機感が覚悟を決めさせた

始めた頃から、パラテコンドーに取り組む選手が非常に少ないことを痛感してもいた。

「クロカンも日本ではマイナースポーツと言われます。そんな中でも、新田佳浩選手のようにパラリンピックで金メダルを獲得するようなスター選手がいれば、メディアで取り上げてもらえる機会も増える。このままだと、パラテコンドーは東京パラリンピックで行われても、誰も関心を持ってもらえないかもしれないと思うようになったのです」

自分が取り組むテコンドーが、社会的に認知されないもどかしさ。どうすれば、パラテコンドーという競技を盛り上げられるだろうと考えるうちに、「手っ取り早いのは、選手として活躍すること」という答えに行き着いた。危機感が、太田に覚悟を決めさせた、と言えるだろう。

2018年1月に行われた第1回全日本テコンドー選手権大会に選手として出場することを決めたのは、開催1か月前。その時には、「東京パラリンピック出場を目指して、どんな苦しい練習にも取り組んでいこう」という決意を胸に抱いていたのだという。強化指定選手として合宿に参加するようになり、道場通いも増やしていった。

■“決めたこと”に継続して取り組めることが強み

写真:右回し蹴りをする太田渉子

全く異なるスポーツの世界に飛び込んだわけだが、スキー選手としてパラリンピックに出場した経験は、どのように生きているのだろうか。

「競技に取り組みパラリンピックを目指す過程で、食事や睡眠といった生活の全てをコントロールしなくてはいけない。それが苦にならないこと、でしょうか。過去にスキーであれだけきつい生活と練習に耐えてきたというのは、今もどこか自分の自信になっています」

テコンドーの強化合宿は、オリンピックとパラリンピックの選手が合同で参加する。強化拠点である岐阜県の施設で、専門のスタッフによる指導を受け、栄養管理など生活面でもサポートを受けられる。

「オリンピック選手たちは子どもの頃からテコンドーをやっているようなエリートばかりです。競技のルール上、パラテコンドーとは攻撃の仕方などに違いはありますが、それでも彼らのテクニックはとても勉強になる。パラのルールに合わせて組手の相手になってくれる時間もあり、高度な練習を続けられることは、成長につながっていると感じています」

本格的にテコンドーに取り組むと覚悟を決めた頃、太田は転職している。現在、ソフトバンクの社員としてCSR事業に携わり平日はフルタイムで就業する。その傍ら、週に2~3日は道場に通い、道場がない日はナショナルトレーニングセンター(NTC)で行われる強化練習に出向き、さらにフィジカルトレーニングにも勤しむ。いずれも仕事が終わった夜や休日。社会人でありながら、競技者として休みなくトレーニングを続けているのだ。

「私は、これと決めたことには継続して取り組めることが強み。メンタル的にも大きな浮き沈みなく淡々と、どんな苦しい練習でも向き合っていけます。いい環境で練習ができているのですから、積み重ねていくことで上達できると信じています」

■表彰台から見た喜ぶ顔を、再び見たい

写真:2019 パラテコンドー全日本選手権 女子 表彰式にて

2019 パラテコンドー全日本選手権 女子 表彰式にて

そうして迎えた今年2月の世界選手権では堂々の3位。

「準々決勝で対戦したイギリスの選手には、一度も勝てたことはありません。当時、世界ランキング1位の選手で、今までは歯が立ちませんでした。ところがその試合では、リードされながらも初めて自分の蹴り技でポイントを取れた。そこから積極的に攻め込むことができて、流れを自分で変ることができました」

コツコツと積み重ねてきた練習と、過去にメダルを勝ち取った勝負強さ。パラリンピアンとしての核が、テコンドーで芽吹く。しかし、強みはそれだけではない。

「冬季のパラリンピックで最も心に残っているのは、表彰台から見えた風景なんです。応援してくれた人たちの喜ぶ顔は、今も鮮明に思い出すことができる。テコンドーに真剣に取り組むようになって、何をイメージするかといえば、まさに表彰台に上がること。冬季はいずれも遠い国でのパラリンピックでしたが、東京は自国開催。所属企業の人や、地元山形の人と、喜びを分かち合いたい。それが、私の大きなモチベーションになっています」

改めて、聞いてみる。パラテコンドーの魅力はなんですか?

「スキーは一人で練習することが多い。でも、テコンドーは、ミットを持つ相手が必要で、お互いにアドバイスしたり励まし合いながら練習します。だから、練習のたびに成長を感じられるし、課題も明確になります。ターンと呼ばれる360度体を回転させる蹴り技、見ていて惚れ惚れしますよ。通っている道場では一般のテコンドーを習う子どもたちにも相手になってもらうことがあります。誰とでも一緒に練習できること。また、1m四方くらいのスペースさえあれば、どんな場所でも練習できる。工夫次第で上達できることが魅力です」

高得点につながる回転系の技をもっとしっかり習得したい、と意欲を見せる。

「応援してくれる多くの人たちと、喜びを分かち合うために」

1年後、目標とする東京パラリンピックに出場して、その夢を実現させる。パラリンピックメダリストとしての資質は、太田の大きな推進力になっている。

スポーツライター 宮崎恵理

スポーツライター 宮崎恵理(みやざき・えり)

出版社勤務を経て、フリーのライターに。1998年の長野パラリンピックを機に障害者スポーツの取材に携わり、雑誌「Tarzan」ほか「スポーツグラフィックナンバー」などで執筆。現在、「Tarzan」「それを最大限に活かせ! パラアスリートGO!」の連載を展開中。12年ロンドン・パラリンピック、14年ソチ・パラリンピックではNHK開会式中継解説を担当。著書に『心眼で射止めた金メダル』『希望をくれた人』。日本スポーツプレス協会理事、国際スポーツプレス協会会員。

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