第33回 藤田道宣(車いすフェンシング)「駆け引きを武器に」

車いすフェンシング 2019年7月5日
第33回 藤田道宣(車いすフェンシング)「駆け引きを武器に」

2018年アジアパラ大会 車いすフェンシング 男子 フルーレ

フェンシングには、戦い方や相手のどこを攻撃すると得点になるかという有効範囲などによって、フルーレ、エペ、サーブルという3種目がある。フルーレは、“攻撃権”を尊重する種目だ。試合中、攻撃権を持った選手に攻撃チャンスが与えられるルールがあり、攻撃権争いから勝負が始まる。

車いすフェンシングも同様だ。ピストという装置に固定された車いすに座ったままプレーすることから、リーチの長い選手が有利に思われるが、攻撃権争いがあることで体格の小さな日本人選手でも、大きな勝機が生まれる。

このフルーレに懸ける車いすフェンサー(フェンシング選手)が、藤田道宣だ。藤田は2019年7月現在、世界ランキング9位。2018年、カナダのワールドカップ、フルーレ男子個人では3位、インドネシアで行われたアジアパラ競技大会では銀メダルを獲得している。

 

■先輩・太田雄貴の一言が契機に

藤田道宣(右)

藤田道宣は、1986年熊本県生まれの33歳だ。寺の御曹司として高校から仏教を学ぶために京都にある平安高等学校に進学した。高校進学と同時に始めたのがフェンシングだった。

始めてからわかったことだが、平安高校は全国でも有数のフェンシング強豪校。2008年北京オリンピックフルーレ個人、12年ロンドンオリンピック団体でともに銀メダルを獲得している太田雄貴は、平安高校の1年先輩だ。藤田はメキメキと成長し、高校3年時にはインターハイに出場。龍谷大学1年の時にはインカレで7位、全日本選手権でベスト16に進出。将来を嘱望された選手だった。

大学2年の夏、海水浴に出かけた際の事故で頸髄を損傷した。自分の障害を受け入れることができずにいたが、入院中のベッドの上で、見舞いに訪れた太田の「退院したら、車いすフェンシングを始めてはどうだ?」という一言を聞いて、目の前に道が開けるのを感じたという。その言葉通り、退院すると車いすフェンシングをスタートさせたのだった。

「北京オリンピックでメダルを獲得する前でしたけれど、太田先輩はすでに雲の上の存在でした。太田先輩から“パラリンピック”という言葉を聞いて、自分にも世界を目指す道があるのだと。それは大きな希望になりました」

 

■障害に向き合い、とことん探る

車いすフェンシングは、パラリンピック競技としては1960年の第1回ローマ大会から正式競技となっている伝統あるスポーツだ。一般のフェンシング経験があったとはいえ、車いすフェンシングに転向してすぐにパラリンピックに出場できるほど、世界は甘くない。

「車いすフェンシングを始めた当初、実は剣を左で持っていたんです」

頸髄を損傷した藤田は、下半身がまひしているだけではない。上肢にも障害があり、握力は右手がゼロ、左手は15kg程度。右利きだったが、わずかな力でも、握ることのできる左手で剣を持つことを考えたのである。

「車いすフェンシングは固定された車いすに座ったまま剣を戦わせます。すごく距離が近いように見えませんか?でも、実際に戦うと、遠いんです。相手に剣が届く気がしない」

固定された車いすの上では、剣をコントロールすることも重要だが、上半身を効果的に動かすために反対の手で固定された車いすのフレームを握り、上半身をコントロールすることも同じだけ重要になる。

「剣は、テーピングで手に固定させれば握ることができる。でも、握力のない手で上半身をコントロールすることはできないと気づいて」

2か月で、剣を持つ手を右に戻した。

「障害のある体について、トレーニングすることで改善できるのか。それとも、諦めて代替の動きを新たに獲得すべきなのか」

藤田は、障害の重いカテゴリーB(クラス)に属している。自分の体と向き合って、とことんできることを探っていくしかない。それが車いすフェンシングなのだ。

 

■あえてゆっくり、相手を見る

2015年全日本フェンシング選手権 車いす 決勝より 藤田道宣(右)

車いすフェンシングのフルーレでは、相手より先に攻撃を仕掛けるか、相手の剣を自分の剣で先に叩いたら攻撃権が与えられる。攻撃権のある選手の剣を払ったり、逃げ切ったりして反対に叩けば、攻撃権は逆転する。この攻撃権争いから、攻撃、防御、反撃と続くのである。とにかく力ずくで相手を攻撃しまくればいい、というわけではない。駆け引きとテクニックが必要となり、そこに醍醐味を感じるのだと藤田は語る。

「車いすフェンシングには、前後のフットワークはありません。すぐ目の前に相手がいる状態の中で戦う。一瞬の駆け引きがすごく意味を持つんです」

体を車いすに預けるような姿勢で後ろに反らせることでしか、相手の剣から逃れることはできない。そのため、どうしても早く攻撃権を取りたい、攻撃したいと“攻め急ぐ気持ち”になりがちだという。

「待ちきれないんです。パワーやスピードのある選手なら、なおさらですよ」

藤田は、どうするか。

「あせらずに相手を見ながら、あえてゆっくりとした動作を入れるんです。そうすると、相手はこちらの動きに目を奪われるし、ゆっくりとした動作の後の素早い攻撃では、実際以上のスピードがあるように見える」

スピードに緩急をつけることで、相手を戸惑わせる。これは、藤田が高校から大学時代、立ってフェンシングをしていたときからの戦い方だ。

「こちらが剣を小刻みに動かしながら誘っておいて、相手が待ちきれずに一気に攻め込んできたところでかわして、優位に立つ。これがうまくいった時には、攻撃権を得るところから実際の突きまで、自分らしく得点を重ねていくことができます」

パンパンパン。剣を叩き合う小気味いい音が響く中、藤田は自分のプレーに集中する。

 

■心を読む、なだめる

相手の意表をつくプレーも藤田の持ち味だ。

「相手に対して素早くまっすぐ正面に攻撃を仕掛けたとします。そうすると、人間はどうしても次に同じ攻撃を仕掛けられないよう、自分の正面を警戒するものです。相手からそういう攻撃を仕掛けられたら、反対に、僕はあえて体の外側を警戒する動作、構えをします。そうすると、相手は“おやっ?”とひるむんですね。構えの姿勢で相手の逆をつき、相手の動作から心を読むことも、一般のフェンシング経験で培ってきました」

藤田が語るような冷徹な戦い方を、徹頭徹尾貫くことができれば、勝利に結びつく。それが、目指すところでもある。

「車いすフェンシングはメンタルのスポーツと言われます。審判の“プレ!(用意)”“アレ!(始め)”というかけ声で試合が始まった瞬間、相手に有利な態勢をとられてしまったり、すぐさま剣を叩かれたりして体が引けてしまう。自分がイメージしていない展開の時に、どれだけ気持ちを切り替えるのか」

また、攻撃権を取っているつもりでも審判がそうではないと判断し、攻撃が得点に結びつかないということもある。

「やっぱりイライラしたり、がっかりしたりしますよね。その気持ちが審判に伝わってしまえば、心証も悪くなります。剣を持っていない手を胸に当てて“わかりました”という仕草をしたりすることで、審判を尊重しているアピールをするとともに、イライラする自分をなだめたりもする」

心の揺れが、プレーを左右する。マイナスの要素を、自分で取り除くことも、車いすフェンシングには欠かせない。

 

■東京の、さらにその先へ

2016年のリオパラリンピック出場を逃したことが、その後の成長につながったと語る。

「本当の意味で全力を尽くしてきたかと自分に問えば、まだまだやれることがあるはずだと、リオを逃したことで再認識したんです。大学まで続けていたフェンシングの強みを生かしながら、今ある自分の障害をもっともっと見極める。東京パラリンピックを目指す気持ちが揺らぐことはありませんでした」

パーソナルコーチについてさらなる体力強化を図り、転職して練習環境も整えた。後戻りすることはできないと、自分を追い込む。そうして、翌17年2月に行われたハンガリーの大会で、ようやく自分のフェンシングスタイルが見えてきたという。

「国際大会などでは、毎回自分なりにテーマを決めて臨むのですが、ハンガリーの大会では、左手で握る車いすのフレーム位置を1cm高く設定して、さらにフットレストの高さを1cm下げました。体の制限ができるだけかからないようにしたのです。そのセッティングがすごくフィットして、動きがスムーズになり、結果的にベスト8という成績を残すことができました」

長年模索を続ける中でつかんだ、自分らしい戦い方。これをベースに、世界ランキング上位8位以内をキープし、1年後の東京パラリンピック出場を果たしたい。出場すれば初のパラリンピックとなる東京大会。しかし、藤田は、そこで終わり、とは考えていない。

「先輩の太田さんを見習って、僕は車いすフェンシングの人気をもっとあげることにも力を入れたい。そのためにも競技者として継続することはとても重要です。これまで培ってきた経験を、東京パラリンピックだけで終わらせてしまうのはもったいない。4年後のパリ、さらに8年後、もっと上達していい結果を残せるはず。そこを目指して進んでいきます!」

東京パラリンピックは、その大きな土台になる。世界のライバルたちと最高峰の舞台で剣を戦わせる。その日を視線の先に捉えて、今日もピストの車いすに座る。

スポーツライター 宮崎恵理

スポーツライター 宮崎恵理(みやざき・えり)

出版社勤務を経て、フリーのライターに。1998年の長野パラリンピックを機に障害者スポーツの取材に携わり、雑誌「Tarzan」ほか「スポーツグラフィックナンバー」などで執筆。現在、「Tarzan」「それを最大限に活かせ! パラアスリートGO!」の連載を展開中。12年ロンドン・パラリンピック、14年ソチ・パラリンピックではNHK開会式中継解説を担当。著書に『心眼で射止めた金メダル』『希望をくれた人』。日本スポーツプレス協会理事、国際スポーツプレス協会会員。

おすすめの記事